2009年7月21日

リ渓谷'食べ歩き'ハイキング

話は前後するけれど、先週末のサット(SAT)主催の『Luci e Sapori in val del Ri』参加報告。

メッゾロンバルドを夕方7時ころ出発、約400メートルの標高差のある渓谷の森を歩きグイエル経由ピアニまでの約2~2、5時間コース。SAT側は初心者でも大丈夫と言ってたけど、第一休憩所までたどり着くまでがかなりの急坂とおよそ岩場。
トレッキングを甘く見てはいけませんね。

そして各休憩所で待っていたのはご自慢の地元料理。
第一休憩所フリッテッレ・ディ・メレ(リンゴの揚げ菓子)とカナッペ
裏側でリンゴの薄切りを揚げているボランティアの方たち。



まだ日が暮れないうちに、丘の上からメッゾロンバルドを望む。


第二休憩所、ストランゴラプレーテのニョッキ詰め
そして暗い森の中を足元に気をつけながら先へ進み、漸くたどり着いた終点地には、トルタ・デ・パタテ(ジャガイモをすって揚げたタルト)とチーズ、ハム、キャベツ、インゲンの夕食とワイン(水)が待っていて、軽スポーツ(?)の後ライブ音楽とおしゃべりで参加者皆さんおおいに盛り上がっていました。



帰りはピアニから出発地点のメッゾロンバルドまで送迎バスが運行。

途中で何度も帰りたいと思っても、引き返すに引き返せない、最近あまりトレーニングしていない私たち、試練のトレッキングでしたよ。しかし試練の後は『達成感』というのがあり、そして日頃のもやもやも汗とともにふっとぶ、のも確か。

そこで簡単な教訓:
1、靴はトレッキングシューズを着用すべし。普通のスニーカーでも大丈夫と言われたが、特に雨降りの後で下り坂はすべりやすくなっているし、軽いエクスカーションでも断然トレッキングシューズがお薦め。
2、日が暮れないうちはトレッキング中かなり汗ばむが、第一休憩所はひんやり森の中。あっという間に汗がひくので、体が冷えすぎないようにセーターやフェルパなどを用意して休憩中は着込む。
3、ステッキがあればなお便利。上り坂、下り坂ともきっとお役立ち。
4、ジーパンより動きやすい運動服を着用する、できれば通気性がよく防水性のもの。
5、リュックは肩ひもの幅の広いものがよい。
6、夕方からのトレッキングに懐中電灯は必須。

スポーツをする時はそれなりに身支度することが基本。
トレッキングも安心感と歩きやすさで苦しさも楽しさに!(変わってほしい、、、)

2009年7月20日

太陽(と)エネルギー

あまりの暑さに辟易していた先週、金曜には夕立がきました。夜21時30分からの野外シネマには上に厚手のトレーナーを着てちょうどいいくらい。
映画はクリント・イーストウッド監督主演の『グラン・トリノ』、マッタレッロ住民センターの中庭で。夏の野外シネマ、音響がいまいちという欠点はあるけど、大きな画面で映画を観たい私は毎年実は楽しみにしている。

さて、土曜日の午前中はバケツをひっくり返したようなどしゃ降り。(もうこんな風に言わないか?)
日曜日は快晴。毎度のことながらトレントを脱出、ガルダ湖方面へ出かけました。



これはトレント県を走る高速道路のガードに建設されたソーラーシステム。日当たりの良い土地柄を利用した賢いエネルギー開発。



自転車レースの競技者にとっても幸運な日曜日。高速アフィ出口からバルドリーノへ抜ける途中のロータリーで偶然出合う。
全長どのくらい走るのか知りませんが、この方たちのエネルギーもかなりのもの、、、

2009年7月15日

うんちくオジサンの買い物


幼なじみの最近の買い物だそう。
いい色の車だったのでブログに載せていいかと聞いたら、許可がでました。

オジサンのうんちくは下記の通り。

ミニはイギリス生産ですが輸出もしています。世界で右ハンドルは自分が知る限りイギリスと日本だけ。
輸出する各国の基準に合わせて細部を変更します。イギリス右ハンドル→イタリア左ハンドル等もろもろ。
1、今のミニはBMW
2、その前のミニはローバー
3、おじさんの今回のミニは30年前、(イギリスBLMC社)とおなじ、今では稀少ということ。(形は同じでも細部が違う・・・・ここ重要)


そこで、夫が写真も見ずにイノチェンティのことか?と聞くので再びメールすると

'おしい、、、'と拡大文字で。また違うモデルでイタリア仕様ってことらしい。でもついでに他にもうんちくを述べてくれました。

イノチェンティは1966年にイギリスBMC社(ミニの最初のメーカー)とライセンス契約を交わし1976年ころまでイタリアで生産していましたが、イギリスのミニとはちがいます。(外見はにているけど)車をみるとイタリア人とイギリス人との違いがわかります。

イギリスミニとイノチェンティミニの違い。

イノチェンティは1300ccで合理的に三角窓にしてグリルも黒くシンプルなメーターから7連メーターになり、オーバーフェンダーでシートもバケットタイプになりました。・・・・ちなみにイノチェンティはスクーターも作っています。日本では当時物が50万~70万します。・・・べスパとはちがいます。

日本人が考えるイタリア人とイギリス人との車にみるちがい。

保守的かつ伝統的な古いイギリスミニ、よりスポーティーでおしゃれなイタリアンミニ(おおよその形は一緒)くわしくないと気が付かないでしょう・・・
現代の車にも表れているよ。癖があるデザインのアルファ・・・チーズやアンチョビのようにやみつきになります。日本でいったらクサヤ、臭くてXXのにおいがするけど癖になるみたいな・・・・


というご返事。

確かにイタリア車は、というより身の回りのあらゆるモノにおけるイタリアンデザインは永遠に『スポーティでお洒落』がコンセプトなんじゃないかな。一般ドイツ車はどれも合理性を追求している感じの印象を受けるのと同じでしょう、時に戦車みたいに見えるものもある。(お好きな方失礼!)

夫に意見を聞いたところで、彼は『国産品推奨派』だから'当然だね、何をいまさら'という顔をされるだけでしょう、最近はそれも少し納得できる気もしないでもない。

というわけで、近所で古い型のミニクーパーを見かけたらそれは自称うんちくオジサンです。

このあたりでも時々出合うクラッシックカーにこだわっている人たちの集合写真『』はアーカイブ Cantine-Aperte fiat600 に行ってみてください。ミニクーパーでなくて残念ですが。

2009年7月14日

暑くなるそうです

日曜日、怪しい雲行きの早朝ちょっと心配しましたが、午後にはなんとお日様も顔を出してくれたから、どうやらお天気は私たちの味方だったんですね。

標高1000メートルくらいの山小屋のテラスを借りグリル2台を持ち込んでの'Onigiri de BBQ’昼食会を行いました。トレンティーノ日本文化交流会『四方山話』の提案した在トレンティーノ日本人と日本文化に興味を持ってくれているイタリア人たちの全員集合バーベキューです。

肉の串刺しコンビネーションは夫、野菜の準備はアンナと二コロが担当(この二人には今回たくさん助けてもらいました)日本人参加者全員にはおにぎり持参をお願いしました。たくさん握ってきてくれてありがとう。天気のおかげ(?)でほぼ自然を貸切状態、やっぱり野外は気持ちがいいです。
またキョウコさんには経理部門で、そのほか当日お手伝いをしてくれた皆皆さま本当に感謝してます。

会員の方のひとりから『いろんな年齢層がうまく溶け合っていて好いグループ』というお褒めの言葉を頂いた。これは私も願っていることのひとつだったので嬉しい一言。

ここに住むのも何かの縁だし、家族や友人たちと遠く離れて暮らす海外在住組も、近くに住む知人が次第に遠い親戚まがいになってくる、時々お互い元気を伝えあうというのもいいんじゃないかな。

家族や親せき、親しい友人たちと離れて生活することを一番残念がってるのはきっと私自身で、ワイワイ楽しんでた日本の生活を取り戻そうという気持ちも大いにあることはある、、、んですが。

一晩明けて、月曜日の新聞によると今週まさにアフリカ並みの暑さがイタリア全体を襲うってことらしい。
これは比喩ではなく本当にリビアから来る熱気なんだそう。7月だから驚くことではないけれど、シチリアやサルデニアで37度を越す、と予測され、この暑さが北部に到達すると、ピエモンテからヴェネト地方では湿気を伴う35度以上、40度にも上がることも予想される、ってことらしい。いやはや。

一人暮らしのお年寄を家庭訪問するシステムが整っている行政区域が少ないらしく、今週襲う高気圧に備えて慌てていろんな地域で住民票を再チェックしているらしい。

我が家はマンサルダといって屋根裏を利用した住居方式(ロフトです、つまり)で夏はかなり室内温度が高くなるんです。でもトレントは暑くて大変なのはせいぜい2、3週間。エアコンを入れたらもう外出できなくなるだろうし、公共バスにも乗れなくなりそう、デザインの気に入った扇風機もいっこうに見つからないし、毎年エアコンも扇風機も買い損ねている。さあて今年はどうしようかと。

とりあえず、全国ニュースで健康管理を促しているのにしたがって、ジェラートをたくさん食べ、水分をたっぷり摂取する、これは遂行するつもりです。

2009年7月3日

四方山話サイト


しばらくお知らせしてなかったトレンティーノ日本人交流会『四方山話』のこと。

昨年10月から10回コースで日本語勉強会基礎編1を行いました。
とても楽しく優秀なステファニア先生を迎えて、また参加者たちも即仲良くなり励ましあいながらほぼ全員皆勤、大満足だった様子です。次の段階に進みたいというほとんどの参加者の希望で、2月に基礎編2を再開し、5月初旬に相変わらずの大好評で無事終了しました。参観に行きましたが、ステファニア先生率いる本当に良いグループです。

コース終了後、ステファニア先生と以前からコラボレーションしていたCinema Vertigo のジャンピエロの絶大な好意により、会員限定の邦画DVD上映会(日本語オリジナル版)が実現。日本語コースに参加したイタリア人はもちろん、在トレンティーノ日本人には大評判。一番喜んだのは私自身、かもしれない、、:)残り一回を残すのみ。

上映する邦画がどれも良質なものばかり、私たちの習慣や民族性を垣間見るいい機会です。ジャンピエロともちろんステファニア先生の日本文化に対する関心と愛情の深さからくるものでしょう、嬉しいネ、感謝、感謝です。

囲碁練習会もどうやら定着。黒帯エミコさんいわく、面白くなって通っている人はどんどん強くなってるらしい。エミコさんが時々「う~ん、そう来ますか?」と日本語で呻り対戦相手もニヤリとすることもあり、彼らも相当真剣です。

最新ニュースは念願のホームページの構築。
日本語勉強会参加のひとりアンナの協力で着々と建設中です。彼女の世代はこれが普通なのかな、最新の技術情報に敏感で、とにかく仕事が早い、その都度感動してます。

まだイタリア語版のみですが、フォーラムは日本語入力可。トレンティーノと日本の写真が次々に入れ替わり、見ているだけで楽しめるので興味のある方は是非ともwww.yomoyamabanashi.it へ。

只今野外で集合するバーベキューを計画中。どうかお天気が私たちの味方になってくれますように。

2009年7月1日

走り書き、7月今日から変わること

今日から変わるんだそうです。

<その1>
携帯電話の海外通話の料金値下がりー現在の通話料金より平均0.28ユーロ(IVA別)の値下がりになるそう。発信については0.43ユーロ以下、受信については0.19ユーロ以下になる。海外とはちなみにEC加盟国における、ってこと。

<その2>
電気料1%、ガス7.7%の値下がり。
従って、一年で通算すると一家族あたり、およそ電気代5ユーロ、ガスおよそ80ユーロの節約になる計算だそうです。




<その3>
イタリアン・オリーヴオイルといえば、エキストラ・ヴェルジネ(ヴァージン)。
メーカーラベルにオリーヴの原産地を記載することが義務づけられる。出所を明確にすることがひょっとすると値上がりの理由にもなりえる、と思う。もともと純正のはずには違いないが、純正だから値段が高いんですよ、とかね。

2009年6月30日

ミラノ大聖堂



早いもので旅券の更新時期になり、領事館へ出頭することになりました。
地方在住者には当日発給という計らいをしてくれます。その際には領事館に事前に連絡をして、当日は11時ころまでに出頭、午後3時か4時ころ受領が可能。ミラノ行きは一日で済み、待っている間に昼食とチェントロ散策できるわけです。

長い間修復中だった大聖堂のファサード、ひさしぶりに満喫しました。

ちなみに旅券は近年始まったICチップ内臓のごわごわしたもの、使用保管についても指示されているのでちょっと扱いに不安になってくる。また顔写真について細かな規制があり、領事館推薦の写真屋で撮影するものの、髪が眉にかからないようにくれぐれも注意され、旅券の出来上がりは「顔写真」付きに。(ま、仕方ないか)

なんとこの日領事館近くで偶然ヴェネト在住のろんまさんにばったり。地方在住同志なのに、こういうこともあるんですね、、少々の時間を一緒に過ごして大聖堂の前で記念撮影。お互いに『元気』が確認できて嬉しかった日でした。

2009年6月13日

ダンテの説教



5月中旬からインフルエンザにかかり高熱がでて、その後激しい咳が続くという体調不良と葛藤していました。というとちょっと大袈裟ですが、いつもの『咳シロップ』も今回は効力なしで、長く咳に悩まされていたのです。聞けばけっこうな数の人たちが同じような症状で体調崩していたそうです。
初旬ごろ急に暑くなり、夏が来たつもりになり薄着になった途端にまたまた雨振り、肌寒い日が戻るという不安定な天候にうまく体調がついていけなかったんですね、、

そうこうしているうちに早くも6月。調子の悪い状態にもいい加減厭きたし、久しぶりによい天気になったのでチェントロに下りました。晴天の午前中はほんと気持ちいい。

駅前でバスを降りると左前方にダンテの彫像、青空のもとくっきり見えること!いかにも説教している様子にちょっと親近感を覚えてしまった次第。

ちなみに、ダンテ像は19世紀末トレントがまだオーストリアハンガリー帝国下時代に、イタリア文化の象徴として建てられたそう。フィレンツェの彫刻家チェーザレ・ゾッキの作品です。

2009年6月10日

『果てしなく美しい日本』ドナルドキーン著


#本の構成#

学術文庫序文
第一部 生きている日本: 足立康訳、1973年8月、朝日出版刊
第二部 世界のなかの日本文化: 県民カレッジ叢書37、1993年3月、富山県民生涯学習カレッジ刊(1992年7月20日、夏期講座富山会場における日本語による講演)
第三部 東洋と西洋: 足立康訳、1999年10月9日、ザビエルイ上陸450周年記念国際シンポジウム記念公園英文原稿

『生きている日本』として1958年ころニューヨークの出版社から刊行され1973年日本語版として朝日出版社から刊行、講談社学術文庫版は生きている日本にふたつの講演内容を掲載、書名を『果てしなく美しい日本』として再刊。

近頃のわたし個人の関心事『日本とは、日本人とは』について大いに満足させてくれる一冊。
著者の前書きにも述べているとおり、50年前の外国人の視点から見た日本の姿は現在では大きく変わっていることも多い、しかし変わっていないこともはるかに多いことに納得。

第三部の東洋と西洋の講演でも指摘、

ここ50年間、日本は世界文化の不可欠な一部となりました。今日では、日本の寄与しない世界など、ちょっと考えられません、、、(略)日本独自のやり方を根本からかえはしませんでした、、(略)たとえどのような美味が外国から輸入されようと、日本人は永久に日本食を好むでしょう。
家についても事情は同じです、、、(略)たいがいの俗説同様、、、(略)日本人は木の家に住むのが好きなのです。
(中略)
日本人はけっして自分の文化を放棄するつもりはない、、、
(中略)ともあれ、世界の文化が将来どのような道を歩むにしろ、日本が主要な貢献をなすことは間違いありません。


と締めくくってくれているところはまさに共感、また一外国人が日本文化を好意的に評価記述しているのでさらに嬉しくなる。
ただし、数年後にどのように変化しているか、ひょっとして明日にでもこの日本感が古いと感ずる日が来るかも知れないとふと心配になるが、ここの永久にという言葉がより永い時間であることを祈って。

足立康訳、ぜひ一読を。

アンナのノチーノ

近所のアンナがお手製『ノチーノ』を手土産に持ってきてくれました。
クルミがまだこんな状態の時のを浸けてリキュールにしたもので、深い琥珀色の食後酒のことです。

ついでに作り方も聞いてみました。

*材料*
アルコール95度、 水1,2リットル、砂糖1,2リットル、クルミ(6月ころ採ったまだ未成熟のもの)約40個、レモン2個分の皮、シナモンの皮約4センチ、ペパーミント4枚、シトロン4枚、緑バジリコ2枚、黒バジリコ2枚、クローブ15個

1) 水に分量の砂糖を入れ、温めながらとかす。砂糖水を冷却して3キロ用の容器にほかの材料とともに入れる。
2) 一方で20個のクルミを半分に、残りは4分の一に切る。(手が真っ黒にならないよう手袋を使用するといい)
3) 1)と2)を入れた容器を密封し、時々揺すりながら約ひと月置く。
4) 約一月後ガーゼで濾過して別の瓶に入れ替える。
5) 瓶のふたをしっかり閉めて冷涼で湿気が少ない暗室におよそ8カ月寝かせる。
6) なお、寝かせている間に濁りが出た場合は濾過して新しい瓶に入れ替える。

とまあ、説明してくれたときもさぞ簡単そうでしたが、実際どうなんでしょう。
要は、美味しいものを食べたり飲んだりするために手間暇惜しまないってこと、ですね。

2009年5月18日

ここも初夏近し















週末トレントから脱出して足蹴く通っているガルダ湖のバルドリーノ。
湖畔に沿って程よい距離の遊歩道があり、気軽なウォーキングに最適。ぼちぼちドイツ人観光客が目立ち始めて初夏も近いかなと思わせます。















近頃トレントのスーパーマーケットでもこのアサヒ瓶ビール500MLサイズ売ってるんですね。でも2Lサイズは初めてバルドリーノで見ました。こういう大きなサイズはドイツ人観光客用かなと?
しかし、ますます夏近いなぁと思います。

2009年5月15日

XENOFOBIA

Corriere della sera から
...La differenza tra noi e la sinistra è che loro vogliono le porte spalancate per chiunque, noi le vogliamo chiuse e vogliamo socchiuderle solo per chi vuole venire in Italia per trovare lavoro e rispettare le nostre leggi...

『、、、左党と我々との違いは左党は誰に対しても門を開けたがるが、我々は門を閉ざしたい、求職や我々の法律を尊重する人々を限定して開きたいのである、、』

つまり、左党(特に現リーダーは)は現在の首相ベルルスコーニを”何事においても”全面否定しているんだけど、それを例に出しながらベルルスコーニ首相はコメントしているのである。ほんのほんの一部ですよ。

イタリア南部には今毎日何百人の不法入国者が船で到着しているんですよね。受け入れているのはイタリア人の『寛大さ』だと思うけれど、同時に不法入国者や在住外国人が問題を起こしている例が多すぎるんだなぁ、それでイタリアの国の安全問題というのが話題になってるんです。

数回不法上陸しようとした船をリビアに返送したことでかなり叩かれているんですが、、、輸送船のなかには数名の妊婦なんかも乗ってたそうで、リビア政府との合意のもとで送ったらしいけれど、さてリビアでの就職が可能かどうか、依託施設の保障はあるかどうか云々討議されているんですね。

でもね、

最近のイタリアは行儀の悪い人々や犯罪が増えてます。それは決して外人に限らないけれど。特に外人について目立つってことだと思う。教育もモラルも各国異なるわけで、時に仕方なく生ずる事件もあるでしょうが。

もう十数年前になりますが、当時STRANIERI(外国人)という言葉は人種差別だとかいって使用しない方向に変わりつつありました。そして何年か前からそれに代わるEXTRACOMUNITARI (EC非加盟国人)が流用されるようになってきました。

でもこのエクストラコムニターリという言葉、正規の書類はともかく、一般的な会話のなかでは暗に発展途上国の外国人をさすらしい、だから日本人やアメリカ人は含まれないことが多い。だからと言ってその区別がどこでするわけかしら。

最近はモオこういうのを通り越してIMIGRATI(移民)と総称されるようになった。『夢』や『仕事』『今よりましな生活』を探してやってくる外国人たちのことです。でも辞書にはほかの国あるいは場所から住居を移した人々とあるから決して間違った使い方をしてませんよ。

でも、イミグラーティがイタリア人の生活を様々脅かしているおかげで、イミグラーティイコール問題を引き起こす外からやってきた人、というイメージが益々強くなってきています。

かくいう私もimigratiに分別されるひとり、同じにしてほしくない、、、と思っているわけです。

『郷に入っては郷に従え』"Quando a Roma vai, fa' come vedrai" "Paese che vai, usanza che trovi"という諺はあるわけです。はともかく法律を尊重する人々限定に門を開けてほしいと願っています。誰もかもでなく法律を尊重できる人々に門戸を開けてほしい、、。

イタリア人は寛大で決してXENOFOBIAではないと思うけれど、そのうち外人嫌いの人々も増えるかも、増えすぎない(もう増えすぎているかも)今のうちに選択しておかないと。

2009年5月7日

Parco Sigurta` Giardinoーシグルタ公園


シグルタ庭園公園に関する数字、
20Kに渡るポルフィドの遊歩道、100キロの灌漑用水官、3万本のバラ、4万本のツゲ、一年で30万人の訪問客、60万平方メートルの表面面積、100万リットルの灌漑用水、つまり広い。

芝生の絨毯の上を裸足で歩いてもイイわけですが。



ゴルフカートは平日15ユーロ、日祭日と8月は18ユーロ。今年から全カートにGPSが設置されから行きたい場所も見逃さない。




レンタルサイクリングの場合は大人5ユーロ、子供3ユーロ。
でも疲れて後ろで寝ている(!)



それから約35分で園内を周遊するミニ電車(3ユーロ)、またはガイド付きのシャトルバス(10名まで、大人4,9ユーロ、子供3.9ユーロ)を使うことも可。

庭園公園Sigurta`は3月8日から11月8日まで午前9時から18時、4月から9月19時まで。入場は有料。バールやジェラッテリアもあり、パニーノ持参で1日のんびり過ごせます。

でも、ルールがあって、
1)テーブルや組み立て式のものを広げる 2)ボール遊び 3)点火 4)水着での日光浴 5)上半身裸で歩く 6)許可なく商業の使用目的のための写真をとること、7)動物の入場 は禁止。

ゴルフカートのレンタルにはIDカードの提示が必要。雨天でも入場券は払い戻しいたしません。ミニ電車とゴルフカートはやむおえず運行を見送ることもあります。グループの入場は予約要とのこと。

Sigurta`;
Via Cavour, 1-37067 Valeggio sul Mincio (VR)
www.sigurta.it

2009年4月29日

Agip



何年も住んでるとこういうことも見慣れてしまって新しくもなんともないんですが、、

これは、イタリアどこへ行っても見かけるガソリンスタンド『AGIP』。
6本足の犬のマーク。火をふいて“早く走る”ってことが一目でわかる? !

と思っていたら、実はもっと奥深く、頭を後方に向け火をふいて、急プレーキをかけている様子、だそうな。見ると、前足は地についていて、残りの足はちょっとやや宙に浮き気味。つまり、二輪なんかで急ブレーキをかけると後輪がちょっと浮くって感じになるでしょう、アレではないでしょうか。

良質のガソリンは馬力もあるし、キレもあるってことでしょうか。

2009年4月24日

茶飯事

先週末に戻ったばかりで、心身ともに調整中である。

税金の申告とトレントは市長選の話題で賑わってます。たった一月と少し留守しただけなのに、相変わらずの雑用は待ってくれません。一人増えるだけなのに、家の中は急に乱雑になったとは夫の小言。

雑用のひとつ、高熱費の支払いのため、最寄りの取引銀行へ。
ひととおりの手続きが終ると、窓口の女性がポツリと
『おたくのダンナとうちのダンナはほとんど同じ名前だわ。』と。え!

ちなみに名前は‘有名人’と同名で、でもイタリアではちょっと珍しい。苗字は2字しか違わないが、両方ともトレンティーノによくある姓だった。だからついでに『どちらの生まれ?』とか聞いてみたわけだが、彼のほうは地元(銀行の所在地、私の現住所)夫のほうは隣村出身で、もともと“目の仇どおし”の間柄??ってことである。

この銀行員は続けて、
『去年税金申告の時ちょっと手間どったでしょう、あれ実はこのほとんど同じ名前のお宅とウチに起きたわけ。ちょっと混乱が生じて、、まぁなんて偶然でしょ。漸く誰かがわかったってことだわ』と妙に感心。
そう言えば、申告日の連絡が遅れていて心配したことがあったっけ、それから当日同じ時間に誰かと一緒になって、他には!?
『申告額の入力間違いがない事を祈ってますよ』とつい心配になって言ってしまった。
『もちろんですよ、ちゃんと確認してますから』と慌てて『だって、税務コードも違うし大丈夫ですよ、ウチのは把握してますから』
と付け足し。でも、、

やはりちょっと怪しいと疑ってしまうのは、長年のイタリア生活の為に染付いた“まず疑う”悪い癖、フレンドリーに裏話をついしてしまう銀行員は愛嬌、なんだけど。

それから、久々に行った銀行内のBGMの音がやたら大きく『ディスコに来たみたいですね』と文句を言う自分と、それに答える『ええ、ちょっと近頃音大きいかな、と思ってるんですけどね』と行員とのやりとりに、少しづつ帰国した事を実感。

2009年4月21日

帰伊報告

親しい皆さま、日本滞在中はいろいろお世話になり有難うございました。

無事トレントへ。こちらは気温は朝で10度くらい、雨模様でやや肌寒く感じます。

日本がちょうど桜満開で至る所の景色がピンク色のパステルカラーだったのに、こちらに戻ると辺り一面‘ミドリ’色、芽吹きが眩しい!

相変わらずのベランダからの景色。でもアディジェ川を挟んだ向こう岸の山の崖が随分近くに見えるなぁと改めて思う。

パスクワ(復活祭)の頃の、つまり春の季節の一品といえば『アスパラ』。

もちろん地元ザンバーナ産の白アスパラ、茹で卵を添えて、コショウ少々と“美味しいオリーブオイル”でごくごくシンプルに食べます。
こちらに戻った最初の『お昼ごはん』の一皿でした。

2009年2月16日

訪問客


カーニヴァルです。

今度は夫のほうが風邪をこじらせ休養中の日曜日の訪問客。
子供達を驚かせるつもり、、と仮装してやってきたマリアローザとルチア。
結構怖い、、



そして、仮面の下は嬉しそう。さて来週はマリアローザの住んでる地域でお祭りがあるそう。今度は私達が訪問する番じゃない、と作戦を練り始めているところです。

2009年2月7日

『SEKI』シロップ

巷ではインフルエンザが流行っているらしく、会う人皆高熱出していたとか具合が悪かったとか、、、。暫く風邪も引かないので健康だけは自慢できるとたかをくくっていた矢先、やられました。ひどい咳で動くのも大変、おかげで週末は自宅休養するはめに。

総合病院の緊急受付以外にこちらで医者にかかるには、外科も内科も予め指名しておいた診療所の先生の診断書を手に専門医の予約をする。
幸い今まで然程健康上の大きな問題がなかったのでめったに足を運ばないですんでいることもあり、通い慣れないうえに、かかりつけ(であるはず)の医者が無愛想で苦手、風邪くらいでは診療所へ行きたくない。

今回はタチの悪そうな乾いた咳なので、夫に頼み市販のシロップ買ってきてもらった。コレ『SEKI』というシロップ、以前の風邪の時も"セキ"だったから結構普及してるってことでしょうね。

名前をすぐ覚えられて都合がいいといえばイイ。
でもぼんやりしていて薬屋で『セキシロップ下さい』と全部日本語で言いそうになるかも。(シロップはイタリア語になると"シロッポ"になる)

2009年2月5日

花が開きました

先日のゼリーの報告。
色はとってもきれいなエメラルドグリーン、味はちょっと塩味が強かったかなぁ。多分菊芋を茹でた時の塩加減が多かったのでしょう。

ところで、
趣味にしている人には申し訳ないくらい、園芸をホッタラかしている我が家ですが、一度全部の花を落しても葉が元気なうちは暫くバスルームで装飾として活躍のラン。

冬の間も温室に近い環境なせいか、いつのまにか幾つかつぼみがふくらみ始め、気がつくと一輪咲き始めました。
こういう時は結構嬉しいものです。鉢を乾かさないように注意しているだけなのに、生命力があるんですね、、

2009年2月3日

Topinambur-菊芋

なんともエキゾチックな名前の野菜"トピナンブール"。

表面皮をブラシでこすり良く洗い、小さく切って、サラダやバター煮、揚げ物ピューレなどに、生でも茹でてもよい。1センチくらいのサイコロ状なら強火で約10分、とろ火の場合は15から20分。

ところで我が家はリゾットと炊くのですが、ワインを切らしていた時に代わりにお酒を使ったら、これも悪くなかった。具によってワインかスプマンテでないと味がしっくりこない場合もあるのですが、つまりコレ和風にもイタリアンにもなるってことね。

もともと北部アメリカ産の野菜だそうですが、イタリアではピエモンテ州の地方料理『バーニャカウダ』の食材のひとつ。でもよく調べると日本にも渡ってきたらしくその名称も"菊芋"。

今回は皮ごと茹でみたら、残りのお湯は皮と同じ色の茶色、ところが冷めるときれいなエメラルドグリーンに変化しました。これにゼラチンを加えて冷蔵庫で冷やしてゼリーが出来あがる。(こういう事は夫が調べる)

ホオ!と感心していたら、もう『菊芋ゼリー』として日本では商品化されているらしい。
さて美味しいかどうかは、というよりほのかに味はあるんでしょうか、今晩食べてみないことには!?

2009年1月29日

雪の日の走り書き

これは一週間前の晴天に恵まれた日の午後、ラヴァローネでの雪景色。
標高1200mのフォルガリア高原に位置するリゾート地で、かのフロイトも夏季休暇の多くを過ごしたとか。近頃はマルコ・トラヴァイオ(知っている人は知っている)もよく来てる(らしい)。今年の冬は本当に雪が多いことがベンチの高さまで積もっているのを見ても判るとおり。

さてまた先週末からまた雪になりました。
日曜日は夫の実家でポレンタ、牡鹿肉の煮込み、クラウティ、コテッキーノ等とトレンティーノ地方料理三昧の昼食をご馳走になる。

義母の料理の上手さはもちろん、義姉夫婦は特にこういうメニューは雪の日にぴったり!と大満足。確かにポレンタは出来上がるまでの間、その香ばしさとともに台所の気温が上がるし、こってりした肉料理に、強いて言えばテロルデゴとか重ための赤ワインなんかを飲みながら、大勢で食卓を囲むのにぴったり、胃も気持ちもほかほかになるわけだ。

昼をたっぷり食べたので夜はあっさりと。
白いご飯を炊いて、、そういえばプンタレッレの浅漬けがあった。

プンタレッレはちょっと苦味のある野菜で、いつもは生でサラダにして食べる。葉とサクサクした茎がお醤油と相性が良さそうかもしれないと、試しに日本で買ってきた『浅漬けの素』にペペロンチーノを刻んで暫く漬けてみたら、これがなかなか!野沢菜漬けを思い出す味。夫は『醤油味のプンタレッレ』もお気に入りでバクバク食べるのだ。

それで自分のために白いご飯を炊く口実になるわね、と内心シメタと思っているこの頃。トレンティーノ料理ももちろん美味しいけれどやはりポレンタよりご飯だなぁと恋しくなる度合いが違う、、。別に雪の日に限ったことではありませんが。

2009年1月9日

謹賀新年


明けましておめでとうございます。

近頃写真撮影も怠っていますね、自己反省。
長い長い休暇中の日曜の午後、一番最寄のスキー場のあるボンドーネ山へ。ドロミティ・ブレンタが良く望める晴天に恵まれたので、漸く雪山の一枚です。

さすがにスキーからは遠ざかっているものの、雪道散歩は防寒具さえあれば午後からまだ陽の高いうちのわずかの時間に楽しめ、戻る頃は身体もホカホカ、ちょっと元気になりました。
やはりたまには外気が必要、今年はアウトドアスポーツするゆとりを取り戻さなければネ、と実感しています。

ご挨拶遅れましたが、
遠くや近くにいる皆さんにとって健やかで幸福な2009年でありますように。
今年も相変わらず宜しくお願いします。

2008年12月7日

少し早めのクリスマスプレゼント

友人フランチェスカが出版者として独立、彼女のところから『太鼓』が発刊いよいよ書店に並ぶことになったそうです。日本語原作のイタリア語翻訳本です。

ある日届いた宅急便の包みを開けてみると、本と一緒にメモ書きで、翻訳者後書きに私宛ひとこと書いてあるからネ、と。

私はといえば、つまり本ができるまでの長い長い時間と手間隙の間のわずか一部をお手伝いしただけなんですが、それから随分月日が経ったといえるかも。出版を手がけている彼女もさぞかし忍耐が必要だっただろうな。でもそれだけに彼女にとって発刊にいたったことは大きな喜びだったと想像します。

実は、日本語から伊語っていうのは英語から伊語にするときのようにダイレクトに訳せないことが往々にしてあるから結構大変な作業、それに言葉は1タス1が2という明確な答えが出難いやっかいな相手。同じ日本語でも解釈のずれが生ずるくらいだから、そうやすやすといかないのですよ、ね。

それに時々日伊辞典と伊伊辞典にちょっとした違いが生ずることがあったりして。これは習慣の違いとかメンタリティの違いとかが関係してるはずだろうとうすうす思ってるんですが。実生活の言葉は日伊や伊日辞典とおりに理解してては納得できないこともあることもお忘れなく。

早速お礼のメイルを出したら、彼女らしい真摯な返事が返ってきました。ともかくお互い慌しい1年だったようです。でも大変と思えることも後に大きな喜びに繋がることも多いから、前に進むことはやめられない、ってことかなぁ。

少し早めのクリスマスプレゼントを頂きました。

2008年11月30日

湯たんぽ

何だか日本でも最近また見直されているって噂を聞いてますが、こちら、家中温まっていても足元だけは冷えるから、冬にはやっぱり登場する。

ドルチェヴィタ(タートルネック)セーターを着たハート型『湯たんぽ』。

もともと"電気屋"なのに、時々覗くといつも不思議なものとかなり美しいものが置いてある店で、あまりにも可愛らしかったのでつい購入。
でも突然寒くなる前のことで、間に合ったことに胸をなでおろしています。

2008年11月24日

初雪


そりゃ今年は一週間早くクリスマスマーケットが始まったとはいえ、まだ11月24日。
冬はよろい戸を閉まってしまうので、近所に住む夫君の同僚から『便乗コール』があるまで知らずに呑気に朝食をとっていた次第、そういえばかなり静かだったっけ。

私のほうは、それ程あわてず、何時もよりやや早めに家を出る。
トレンティーノは降雪日のオーガナイズは徹底しているほうだと思う。いつもあっという間に除雪車が出動するからだ。ところが今朝は、雪が降り続いているので、除雪車が何度も往復して交通遮断している。マイカー通勤族も急遽バス通勤に変更したため、バス車内外ともども、一時間近い遅れを伴う大混乱。

まだ早いかも、としまっておいた雪の日用防寒ブーツが早速活躍することに。これでないと家の前の駐車場を横断できないほど積もった、ちょっと早めの『初(大)雪』だったので。

2008年11月18日

エスプレッソメーカー

実はアンチ電化製品。
でもついに買ってしまった、エスプレッソメーカー。

忙しい朝モカをガス台にかけて、他のことをしながらついコーヒーをふきこぼす事が多く、その後のガス台の掃除のことや、ちょっと目立つようになった愛用モカの焦げつきが気になってきたこともあった。最近ことにいろんな種類のエスプレッソメーカーが電化店に登場してきて、バールにあるような大型のものでなく、かといって味気ないデザインでないもの、と気にし始めてから数ヶ月。

これは、カプセルをセットして作る形式に変わりつつある傾向のなかで、火に直接かけるかわりに電気で沸かすというシンプルなもの。(こういうのはもう生産してないのかも)エスプレッソが出来あがったところで電気が切れ、30分間保温、タイマー付き。

出来あがったコーヒーの良い香りで目が覚める、という優雅なことを想像していたが、実際にはこの準備さ程手間がかからないため、飲む前にセットしても大した時間の節約にはならない。

唯一のメリットは吹きこぼれない、ってことかな。
肝心の味のほうは、、暫く使い続けてみないとね。美味しいエスプレッソが飲めるかどうかは、そのモカにちょっとコーヒーの味が染みついてみないと、ということで“まだちょっと疑問”の使い始めである。

2008年11月3日

Firenze-フィレンツェ 

2年ぶりのフィレンツェ。そして今回は数年ぶりに“観光客”として市内散策。
ドゥオモはいつの時代も変わらないだろうと思わせる毅然とした佇まいで、近代的で洗練されたウインドーディスプレイのお洒落な店がどんなに増えても、伝統的な工芸品を売る昔ながらの店構えにはどうやっても適わない、そこの一角だけ時代が留まっているような印象です。



今回は幸運にもヴァザーリの回廊の入場が予約できたので、再びウフィッツィ見学する機会も得られ、数回目のその余裕でテラスにでて一休みなんてことも。
建物間の隣接した細い路地を歩き回り、改めて眺めるとフィレンツェの旧市街の建築物は高層だなと思う。当時これだけの高層建築物を設計していたことに比べると、現代人はそう新しいものは作っていないかもしれないなと思ってしまう。

さてヴァザーリの回廊。
ヴァザーリが短期間で設計したという、ウフィッツィとピッティ宮殿を結ぶためのいわばシンプルな廊下。でも、ポンテ・ヴェッキオで行われている貴金属の取引などを円窓から眺めたり、中間地点の窓からアルノ川とそこにかかる見事に調和のとれた設計の幾つかの橋、鏡のように映る河岸の景色はきっと唯一の絶景。そしてあるところでサンタ・フェリチタ教会の上を通り抜けていて、行われているミサの様子なども観察できるしくみ、メディチ家の贅沢な希望をかなえた回廊ってことでしょう。



そこに展示されているのはあらゆる画家たちの自画像と画学生たちの静物画などのコレクション。もちろん設計者本人の(有名な)自画像があります。この方画家というより、芸術家評論で有名になったけれど。

同じ画家の何枚もの作品も描かれたときの状態などにより随分顔つきが変わっていたり、イタリア人画家像は特に愉快で、イタリア人らしく自己表現がとても豊か。有名無名に拘らず観てみる価値有り、です。

ここフィレンツェも(?)、実は毎回変わることもある。教会の入場が有料になったのはごく最近のことでしょうか?でも時間によっては、フィレンツェ在住の約200名がボランティアとして協力しているという観光ガイドが教会の中を説明をしてくれるサービスがあり、得した気分の見学にもなる。超有名な数人の芸術家たちの作品があるだけでなく、夥しい数の優秀な芸術家たちが、歴史的証言を残していることを知る良い機会です。

今回の宿泊場所は旧市内から徒歩で30分のところ。小さなヴィラでヨーロッパ独特の天井が高く梁の見える部屋、調度品もいたって品の良い伝統的なもの。またレセプションの担当者がとても親切で気が利いていたので、まずまず満足できました。5ツ星宿泊という経験はないので知りませんが、失礼ながら、イタリアで感じの良いフロントにあたったのは実に始めて。また路線バスなら旧市街地まではすぐ。

この路線バスで郊外のレストランにも結構スムーズに移動でき、徒歩では行かないような場所にも周遊(偶然だけれど)、これもなかなか楽しめた事のひとつ。

ちなみにフィレンツェの市内バスは70分有効で一枚1,2ユーロ、4枚綴り4,5ユーロ、カルタ・アジレ10ユーロ(10枚綴り)、20ユーロ(21枚綴り)で買える。また本人のみ使用できる一日券5ユーロ、3日間券12ユーロなども有るので予定に従って購入できるってことですね。

またいざという時、バスの切符は運転手から買えるらしい。しかし通常1、2ユーロのところを2ユーロ。しかも、運転中は購入不可、運転手はつり銭を用意していないそうで、できるだけ乗車前に切符購入を薦めるとの注意書きです。詳しくはwww.ataf.netで確認を。

2008年10月27日

10月末、、ちりめんキャベツ畑

さて毎度のことながら10月最終日曜日から冬時間に変わりました。
昨日までの朝8時が朝7時なのよね、と初日は毎年言い聞かす。目に見えるありとあらゆる時計を全部1時間遅らせるから、(出来た事に携帯電話の時計は自動的に変わっている!)これも2日もすれば当たり前のようになるのが実に不思議。



当然夕方も日が早く暮れるから昼過ぎに散歩に出かけるのも慌しい。
紅葉が綺麗なブナ林を通ってVilla Lagallina からまだ先の峠のふもとに車を止めて、そこからロヴェレートの町が一望できる山小屋へは15分ほど。途中 Cavolo Verzaの畑とか眺めながら、、。



ところでこのVerza(ヴェルザ)というのは見た目はキャベツ、葉が縮れているのが白菜にも似ているイタリアでは良く見かける野菜。ちりめんキャベツと訳されてます。ミラノのキャベツとも呼ばれているらしいですヨ。
なんとお味噌汁の具にぴったり。

2008年10月8日

La terramadre (2008年伊映画)

監督:Nella Lamarca

南シチリアのパルマ、数年前に母親をガンで亡くしたガエタノは父親と叔母との3人暮し。父は飲食業の成功を求めて近日中にドイツへ出発する予定でいる。息子にも同行を強いるが本人は生まれ育った土地を離れたくない。

一方、海を渡り難民として流れついたアラブ人のアリ、道路に倒れこんでいるところを幸運にも土地のイタリア人家庭に救われ、つてで仕事を得る。外国人労働者の手を借りることの多い農作業である。

退廃的ムードを漂わせるシチリア南部の小さな町では、現在も北部へ仕事を求めて移民するイタリア人が多い傍ら、不法外入国の外国人労働者達をわずかな収入で雇用して経営を支える土地の業者も存在する。国外で外国人として生活すべく選択をせざるを得ないイタリア人と、イタリアに移民した外国人との両方の視点から、不可能な状態における希望と失望を描く、選択の答えが出難い、やりきれない気持ちになる悲しい映画だった。

映画は実際ガットパルドの作者の土地、パルマ・ディ・モンテキアロで行われたそうである。貧困とは対象的に、海や教会、修道院跡などの景色は非常に美しく、人々の心に培う土地や宗教への拘りがドキュメンタリーのように描かれている。

また、現在自分の住む北イタリアと南イタリアの生活の違いというのも予想以上で少しショックである。

il gioco degli specchi 2008, CINEMA 上映作品のひとつ

2008年9月23日

トレンティーノ囲碁倶楽部


トレントに引っ越してきたご夫妻の協力とレイクくんが中心になって、昨年の夏からYomoyamabanashiの活動のひとつとして始め、今年レイクくんが日本へ出発した後も、囲碁を楽しむ何人かが参加を続けてきたグループがあります。彼等、いよいよトレンティーノ囲碁倶楽部として本格的に肩を組むらしい。

その参加者グループのうちの一人フェデリコは随分まえから『囲碁杯』を企画、いよいよ27、28日トレントの隣町ロヴェレートで行われます。イタリア各地から参加者を募り、どうやらイタリアで一番強い段者も参加するって噂です、スゴイ。

個人的には碁が打てない、覚えようと努力しても、不向きなんですね、大抵負けてしまう。白黒の碁石と広い碁盤に向かっているだけで、くらくらしてしまってゲームが読めないという情けない状態ですが、会にはほぼ受付係のように(?)顔を出しています。

先日クラウディオからの依頼で、四方山話お知らせメールを発信しました。トレンティーノ囲碁倶楽部のロゴが出来たそうです。
多くの人に宣伝したくなりここにも載せておきます。なかなか格好いい、トレンティーノのシンボル『鷲』と『碁』の組み合わせで、強そうだし。

この囲碁練習会、日本人よりイタリア人のほうが圧倒的に多いのですが、打ち始めるときに『お願いします』終りに『ありがとうございました』と挨拶するあたりがとても好ましく、嬉しく思っている次第。

囲碁杯の団体戦、個人戦共々幸運を祈ります!!

2008年9月9日

Bici - 自転車

最近こういうのに凝っているらしい、友人のために。イタリア製をかなり絶賛していましたが、んん納得するかも。たまたまディスプレイした店に通りかかったので写真撮っておきました。





こちらは、部品。私からすると単に“枠”に見えるけれど。
それにしてもディスプレイしてある『運動靴』かなりお洒落ではないでしょうか。

2008年8月13日

道具



山岳地方で見かけた家の壁にかけてある、ひょっとしたら意図的に飾ってある(?)かつての仕事の道具。
鍬とかのこぎりくらいはわかるけれど、一部しか残ってないものもあり、さて何に使うのだろうかと気にかかったので。

2008年4月21日

007

久しぶりの晴天の週末、リモーネまでドライブ。
ガルダ湖の西岸、細いカーブと崖を掘り起こして出来たと思える絶景の古いトンネルを抜けると、車道から下る坂に沿って小さなリゾート地Limoneがあります。

ちょうど今ガルダ湖で次回の『007』のロケーションをしているのです。(書いているうちに終了したかもしれませんが。)前々日(?)トブリーノ近郊でロケ中、スタントマンが運転を誤り車ごとガルダ湖に転落、スタントマンは無事脱出に成功、すばやくレッカー車が到着、撮影用の車も引き上げられた、というニュースを小耳に挟んではいたのですが、、、

次の撮影予定地であるリモーネにありましたね、それらしき撮影用の『車』。我ながらこの野次馬根性に少し苦笑いしながら、写真に収めました。ちなみにコムーネの掲示板いっぱいにロケに関する記事が張り出されていましたヨ。

憶えていたら次の『007』をお見逃しなく!

2008年4月6日

映画-『8月の狂詩曲』

黒澤明監督、1991年日本映画。
Cinema Vertigo のジャンピエロの絶大なる厚意と協力により2月から3月の間Barycentroで行った『SERATE A TUTTO CINEMA』の日本映画上映会の上映作品のひとつ。どの作品も様々な観点でいい映画ばかりだった。在日本人にとっては“家”を思い出す、日本を知らないイタリア人には“日本”を垣間見られるいい機会だったと思う。ホントにありがとう、ジャンピエロ。
記憶の新しいうちに、感想を。

<ストーリー>
戦後45年、長崎の田舎の祖母の家で夏休みを過ごす4人の孫たち。被爆地の長崎市内を訪問しながら歴史の中の出来事、第2次世界大戦について考えていく。またハワイに移民した祖母の兄弟のうちのひとりの息子(リチャード・ギア)が祖母を訪ね長崎を訪問、原爆記念45年にあたるその夏にアメリカ国籍の甥と初対面を果たす。

ジャンピエロも言っていたが、日本語オリジナル版の良さは特にリチャード・ギアが日本語を話している部分にあるのでは。日系二世の役柄の真摯な感じがとてもイイ。ハワイには日系人が多く住んでいることは周知だが、様々な理由で海外に移民し、現地で成功を収めている背景には家族とは疎遠にならざるを得ない犠牲もあるのだ。彼等の子供達は日本人の血をひいていても、完全な英語を話す米国人として成人する。

始めて会う伯母とそれほど流暢ではない日本語で会話するシーンが穏やかで印象的。親や自分のルーツを尊重する気持ちが無意識が働くのだろうか?これは終戦後のアメリカと日本の理想的な関係を象徴しているかのよう。

ひと夏の不思議な縁の対面と、原爆を思い起こす雷を伴う豪雨、それも湿気の多い日本の夏には起こる天空が狂ったようにまた怒ったように降る激しい雨のなか、人も恐怖で我を忘れたようになるシーンで締めくくっているところが、映画のタイトルの『狂』と重なるのかな。

常に疑問に思うことだが、被爆地の日本はこの歴史的過去についてどう受けとめるのが公正なのだろうか。

2008年3月21日

走り書き、3月

事務所の女性が別の仕事が見つかって急に辞める事になったのだけど、来てくれないかしらとボランティアでお手伝いしている事務所から電話がかかってきた。半信半疑で『ハ、いいですけど、こんな私でよかったら。』(どこかで聞いたような台詞)という簡単な合意で、短期契約であるが毎日働くことになった。

イタリアに来てからというもの早寝早起きの習慣がすっかり身についたので、朝8時半出勤という、画期的な時間帯で引き受けた。でもまあ、やれば出来るもんですね。これも習慣になればどってことはないかも。speriamo!

出勤2日目、バスの乗換え5分の予定が先のバスが案の定遅れて、久しぶりに人中走りました。朝のあの時間目立ってしまったな、と反省。なにしろイタリアで走る人、見た事ありませんから。

5、6分遅れそうになった時に連絡し、事務所で、こういうこともあることをご承知おき下さい、と事情を説明したら、『多少の時間の遅れを気にするよりも、もっと気にしなくてはいけないことが山ほどあるのよ。大事なのは来ることだから、そういう些細なことは心配しないように。』との返事。

本当にそうだと思うが、日本人のメンタリティでは出勤時間厳守、が原則だし。
私自身がなぜかイタリアに来てから急に時間に神経質になって、ほぼ15分は遅れてくるイタリア人より時間を守る几帳面な人側になったのはちょっと不思議な現象だと思いつつ。

おかげで翌日からはバス1本逃しても慌てないことにした。そこで遅れてもせいぜいわずか数分のことなので。

環境は予想していたものよりもずっと良く、とにかくここの一番偉い『会長』女性であるが、腰の低さには恐れ入る。小柄なこの女性は声に張りのある人で、スゴイ数の人から絶大な信頼を得ている。そしてその人達の強い賛同と快い協力を得て大きなプロジェクトを運営している。でもちっとも高慢なところがない、こういう女性に会えたのはちょっとした幸運かもしれない。

春だから、私にも新しいことが始まったかも、と思うような3月の出来事である。

2008年3月1日

卒業後の試練

甥の大学卒業のお祝いに駆けつける。
こちらの学生が大学(高校もだが)を卒業するためにかなり一生懸命勉強するっていう姿には感心している。それに学生時代勉強した事を就労に生かす、という社会全体の姿勢も。

甥も同様、多くの試験を通過、分厚い論文を提出。それから卒業のその日までは論議の準備も怠られない。
フェスタに呼ばれた私達など、彼が新品のジャケットにネクタイを結び緊張している様子、同日に卒業する同級生やその仲間たちがドアの外で励ましあったりする様子なんかをカメラに収めたりして、呑気なものである。

教授とのディスカッション会場には、親戚と友人一同がガサガサ入場。最初相当な早口で始まった論議も、皆が会場に着席して静かになったころにはやや落ちつきを取り戻したらしい。この騒々しさがきっと本人の緊張を高めたに違いない、、。ひととおり質疑応答が終ったところ退場、もう一度呼ばれて自分の合格点を知らされ、改めて卒業を認められる。

無事卒業。おめでとう!!

しかし、

祝う前に『試練』があって、卒業の印である月桂樹をいだいて町を練って人通りの多い街頭へ。その後をぞろぞろついていく、私達親族友人たちの列。
どうやら恒例の“コンパ通り”があるらしく、そこへ到着すると彼はガールフレンドからジャケットを脱がされ、ネクタイを解かれ、シャツを脱がされ、この寒い中下着一枚になる。そして友人一同が作ったトンネルを何回も裸のまま通り抜けさせられる間、身体中滅茶苦茶にひっぱたかれる、背中が真っ赤になるまで。

いい加減なところで、漸くTシャツを着て、ついでにビニール袋もかぶせられ、ガムテープで巻きつけられて、その中に野菜や生きた魚も突っ込まれる。他の同級生は身体中にマジックで何か書きこみ、その後は生卵を投げ、小麦粉を顔中塗りつけられる。洗いものを強いられたり、同級生の言いつけに従うままである。

やはり寒いからというのもあるし、酔わなきゃ出来ないというのもあるだろうが、ワインボトルを手渡されて『Bevi』コールを何度も受ける。そして、友人たちがあらかじめ用意しておいた、在学中のエピソードをもじった彼のストーリーを大声で読み上げていく。その間も小麦粉シャワーを浴びたり、野次がとんだり。

卒業後の初の試練がこの街頭での長い恥ずかしいパフォーマンス。

人通りの多い街頭での同級生のキツイ冗談には思わず苦笑いしてしまうもので、親も親戚も知らない、友人だけが知る甥への“お祝い”。まあそれだけ在学中は『愛された』ということらしい、、、。

フェスタ会場はシャワー完備のレストランで。
彼がすっかりりりしい姿で再登場するまで随分待たされたのは、髪についた卵はなかなか落ちないだろうとか、足についたガムテープをはがすのは大変とか、香りに気を使ったとか、鏡を見ている時間が日ごろから長いとか(イタリア人は皆往々にしてナルシストだし)様々なことが想像できた。

私達は次々出てくる料理と飲み物に感嘆して、彼の仲間たちはいとおしい『同期のサクラ』の卒業に相変わらず浮かれていた。

食後のお菓子の後、このフェスタの締めくくりにチョコレートのサラミが仰々しくワゴンに乗って運ばれる。卒業した本人が、端のシッポを切って次の卒業予定者に投げ渡される。受け取った友人が次の戦士、先輩からのエールというわけである。ここの学生たちの慣習だそうだ。

卒業までの楽しく苦しい日々を思い返しながら、その日も緊張いっぱいの朝を迎え、称号を頂いて漸くほっとし幸福感を味わったのはきっと甥だけではない。両親も親戚も同じくらい感慨していたようだ。

帰る頃にはなんだか甥が『dottore』にふさわしい、また一層美男子にも見えてくるから不思議。(もちろん手前味噌!ですが)

2008年2月18日

徒然

Yomoyamabanashi料理教室の第2グループもお蔭様で催行を決定、先日初回を迎えた。日本食といっても、私達の提案する料理教室は日本食の代表みたいになった『Sushi』と『Tempura』を家で作ろう、というもので、料理を通して私達の習慣や食文化を紹介するひとつの試みである。

近年タイ・アジア食材店ができてからは調味料の多くが手に入るようになったので、工夫次第で『日本の味』に近いものが自宅で作れてとても助かっている。しかもここのオーナー夫妻も親切で会の料理教室の材料調達でもお世話になることがしばしば、協力的でありがたい。

先日店の奥さんから、たくさんの顧客からタイ料理教室をやったらどうかと言われているんだけどどうしたものか、ともちかけられたので、確かにこれは私達日本人にも面白そう、今度共同企画しましょうヨ、と答えながら、でも私はタイへ行ったことがないのだと思い出した。

タイには日本食品の工場もあり、『スシ』も『天ぷら』の他、彼等にとっては日本食も身近なものらしい、この店に置いてある菓子類なども日本製かなと思うようなものもある。

一方私自身は、かつて訪れたアジア各国ではいつだってその土地の料理が口に合うことがなかったので、(旅行や仕事で行っているからごく一部のものの評価にすぎないけれど)日本でそれを食べようという意識に欠けていた。唯一タイという国はいつか行きたいという希望はかなわず、こちらに来てしまってますます遠い国になった。日本にあるアジア料理レストランに数回足を運んだくらいで、よくよく眺めてみるとこの食材店に並んでいる野菜や調味料の類もどうやって使っていいかも見当もつかないくらい、無知である。

またトロピカルな国=濃い辛い味つけという図式が頭の中で出来あがっているし、混沌ととしたイメージのある国、トムヤンクンくらいしか思いだせないからきっと沢山の材料や香草を混ぜるんだろう、、、とかますます???である。

つまり自分が知っていることは少ない。知らないことは人にも薦められないし、それをどう形に出来るかは少し知ってから、興味を持てるかどうかもその後のことだ。
だから残念ながらちょっとこの案は一時保留“オアズケ”である。何か良い案がある方は是非一報を!

2008年2月8日

会員証

 なんだかここのところ“44匹の猫たち”ではYomoyamabanashiの話しばかりですが、、

暫く前からNatsukoさんにいろんな種類の用紙の組み合わせで試作品を作ってもらいながら思考錯誤。彼女の忍耐と創作の協力に感謝、感謝です。遂に納得いくものが出来あがりました、『会員証』です。

傍からみるとどうでも良い些細なことのように思えるけれど、好ましいものを作りたい、という気持ちからです。せめて自己だけでも満足しないとね。
いいでしょ?と言えるもののほうが、何事も説得力があるというものだから。

2008年1月31日

映画 『la giusta distanza』


<監督> Carlo Mazzacurati
<出演> Giovanni Capovilla, Ahmed Hafiene, Valentina Lodovini, Giuseppe Battiston, ecc.

ジョヴァンニはポー川を望む小さな田舎町に住むジャーナリスト志望の18歳。地方紙の特派員記者をしていることは誰も知らないし、記事にも氏名が載らない。
傍ら私生活で大型廃棄物のなかから見つけた二輪の修理をするために近所の工場に通っている。そこに勤める善良なチュニジア人技師アッサンと短期で赴任してきた、若く美しい小学校の教師マラの間に芽生える恋心を遠くから見ている。


題名が示唆しているが、ある相応しい距離をおいてひとつの事柄を眺めていくと、近距離ではわかり難かった事実が見えてくることがある、これは映画の中でベテランのジャーナリストが若い彼にアドバイスした言葉の意味。

時にある村祭りに皆が参加したり、唯一あるレストランにどの住人も通っているような、長いポー川沿いを中距離バスが1時間に数本通るような、大きな魚が連れたことが大きな話題になるくらいの平穏な日常生活は、逆に異常でさえもある。

昔ながらの土地に新しくやってきて暮していくのは、少し好条件の外国人と似たようなものだ。でもだから尚更慎重でなければならない。外人はさらに悪条件で暮していかなければならないから、余程である。

表面的には“外国人は悪いやつばかりじゃない”のは皆わかっているようです。でも何か問題があったときには、顔が違い、話し方が違い、習慣も違う『誰か=外人』を疑うのが、一番都合がいい。だからいつも大抵少し弱い立場に立ってしまうわけで、しかも賢く立ち振る舞う人でなく、生真面目にやっている人間がその不利な立場に立たされることも多いというのも事実。

大きな事件にかかわらず、日常的に起きていることです。

従って(知らない土地で暮す時は)自己防衛を心がけ、忍耐力をもって慎重に行動する、、、なんかいつも同じ結論にたどりつくなあ、とは独り言ですが。

2008年1月28日

日本料理教室ー第4回

Yomoyamabanashi 日本料理教室、第4回目『天ぷら』



天ぷらはたくさん揚げるともう見ただけで美味しそう、です。

トレントでも日本の某有名メーカー『天ぷら粉』が手に入るようになって、材料を切って揚げるだけになりそうだったので、(イタリアでも海の幸の揚げ物はありますからね、、!)『和食の特徴をつけるための一工夫』をインストラクターを担当してくれているKYOKOさんにお願いしました。

“衣を変える”ことと“かき揚げ”は日本風のアレンジ、私達のちょっとした食文化の紹介になったでしょうか?



後から気がついたのですが、参加者が菜ばしを不思議そうに試している様子。
皆さん食べる時の箸は上手に使えるけれど、この長いのは苦戦したに違いありません。イタリアでは、同じ用途で大型のピンセットみたいな調理器具が存在します。

この料理教室は今回が最終回。共通の『いつもと違う料理』に興味をもった人達の集まりであったことはもちろん、偶然同年齢くらいの女性が多い小人数グループだったせいか、あっという間に皆さん仲良くなり、和気藹々とした調理実習の時間を作り上げてくれました。

日本の習慣や食文化、料理に興味を持ってくれて参加してくれた皆さんはをはじめ、実習担当のKYOKOさん、それから参加者登録の受付、問い合わせ等一切を引き受けてくれたチャギくん、お手伝いにも駆けつけてくれた囲碁部部長レイクくん、AIさん、MASAKOさん、遠くから鮮魚の仕入れ担当してくれたNATSUKOさん、場所を提供してくれたVillaの方達、そして台所のロベルトなど、たくさんの方達の協力を得て小さな料理教室を開くことができました。皆さんの応援とご協力にとっても感謝しています。どうもありがとう!!

これをきっかけに、どうかトレンティーノの人々が『日本』を一層身近に感じてもらえますように。

2008年1月16日

映画ーLa Sconosciuta

クリスマスから年末年始は風邪をひいたり、車のトラブルがあったり(事故ではなく)ちょっと冴えない長い長い休暇でしたが(?)、逆に考えれば、おかげで自宅でゆっくり休養することができたとも言えるかも。

この間に今まで見逃したイタリア映画をまとめて何本か観たのだけれど、偶然にも『移民』『外国人』と『国民』の関係について別の視点から、でも共通して『より良い解決とは?』という疑問を残したものばかり。『共存』とは確かに現在の、この国の大きな緊急を要する課題のひとつなのだ。

そのうちの1本“La sconosciuta” は、ウクライナから『イタリア』の裕福で閉鎖的な住宅地域へやってきて暮し始めたイレーネという女性の物語。

<監督>Giuseppe Tornatore

<出演>Xenia Rappoport, Michele Placidi, Caludia Gerni, Margherita buy ecc,


直訳で『見知らぬ女』でも『異国人』とも言える、または『外人』。
でもこの題名は実際に、どこからやって来て、どんな過去を持つかもしれない異国人に対する受け入れる側の不安、猜疑心と新参者である主人公をよく表していると思う。実際未知であるから。

イレーネは幸(ある意味で)を求めてイタリアにやってきたのにも拘わらず、目的を果たすどころか自らさらに大きな賠償を請け負うことになる。ひとりの不幸な女性の例にすぎないかもしれない。でも過去を捨てて異国で生きている人というのは、例えば貧困や社会事情で、しかたなく母国を諦めることが多いらしいのは事実らしい。

確かにイタリアに住んでいる外人の中にはどこか悲しそうか、寂しそうか憂鬱そうという印象を受ける場合もあり、相手を不安に思わせることもある。(というのは私個人の勝手な意見。)主人公の女優も演技が上手かったということだろうが。

主人公イレーネが背負っている過去とイタリアでの現実との交錯、どん底の貧困と豊かさ、幸福と不幸との比がとても対象的に描かれている。それに思いがけない結末で、驚愕する。おかげで立て続けに2度観てしまった。

移民を迎えるイタリア側も、ある程度慎重でなければならない理由であまり寛大に振舞うわけにいかないのだ。でもこれが全ての外国人に対する偏見につながらないことを是非とも祈ります。

2008年1月1日

謹賀新年



親愛なる友人知人、親族の皆々様へ

昨年はだいぶご無沙汰してしまいましたが、お元気でお過ごしのことと察します。
皆様にとって、ますます健康で喜びの多い2008年になりますように。

また、

今年も相変わらず(ご贔屓に!)宜しくお願い致します。