2007年11月27日

日本料理教室-第2回


Yomoyamabanashi日本料理教室、
<家で寿司を作ろう>の第2回目『巻き寿司』です。


具には玉子焼き、きゅうり、サケ、ツナ、カニ缶、サラダ菜などを用意、好みで巻いて頂いたのですが、これがなかなか日本人も顔負けの手付き。
皆さん結構巻くのが上手い!!



2本目の『裏巻き』も積極的に挑戦、しかもこちらもほぼ成功だった様子。

第1回目の時も和気藹々のムードでしたが、実習時間の多かった今回は一段と賑やか、自分で巻いたお寿司の一皿の出来あがりに満足してもらったようです。
片付けに関しては、協力すれば参加しているって気分になる、とかなんとか、あっという間に交替でやろうという話にまとめてくれ、おかげでほとんど予定時間を大幅に延長せずに終了。
こういうイタリア人のソリダリエタ(solidalieta`)精神、いつも感心します。

今回はAIさんとMASAKOさんが応援にかけつけてくれ、料理がお得意なふたりの協力に私はとても心強い思いをしました。どうもありがとう。

2007年11月12日

本ーわたしの外国語学習法

フランス語勉強会グループがまた時期も続けようと計画中で、参加する意志があるかどうか近日中に返事をしなければならない。思うように学習が進まない頃、3ヶ国語に堪能というかの人が推薦していた本。読んでみました。

ロンブ・カトーの『わたしの外国語学習法』(ちくま学芸文庫)

コースで親しいクラスメートのひとりが私のいつも愚痴る出来ない言い訳を制して、
『いくら日本人がグループが違う言語を勉強するといってもイタリア語を知っているなら、然程障害があるわけじゃない。要は自習をどれだけやるかにかかってくる。勉強もしないで出来ないっていうのは言い訳にすぎない。』ご尤も。

こんな当たり前に思えることが何故か『緊急に必要』とされない場合に限って難しいとさえ思えてくる。

ロンブ女史流、最後の方にある10の教訓(要約)

1)毎日学習する。最低10分でも
2)自分を鞭打ったりしないかわりに、学習は捨てない。本から離れ、ラジオを聞いたり練習をひとまずおいて、別のかたちを考える。
3)コンテストから引き離して覚え込まない。
4)多くの場合に最大限利用可能な成句を覚える。
5)あらゆる物事を頭の中で訳してみる。
6)正しい文章をしっかり覚えこむ
7)成句や熟語的表現は1~3人称、単数で書き出し覚える。
8)四方八方から同時に襲撃する。読み、書き、聞く、見る
9)喋るのをおそれない、誤りをおかすことを恐れず、それを直してくれるように頼む。そして、実際に誤りを指摘されたら、がっかりしたり、いじけたりしない。
10)自分自身が外国語を達成できると確信する。
*太字は個人的に特に同調する。

先のクラスメートはドイツ語、フランス語、スペイン語を操り、中国語を勉強中。中国語にはちょっとてこずっているらしいが。こういう何カ国語も話す人々の存在にはそれほど驚くことはなくなったのは、イタリア語を日常会話として生活しているからこそ、地続きの外国語は日本語からに比べると短距離だと実際感じているから。

しかし、短距離だからといっても、クラスメートのなかでも努力している人こそ、習得しているということも見逃してならないと思う。

2007年11月8日

映画 『どん底』

映画と演劇などを会員制で公開しているNuovoSpazioArteOFFというところで、日本語オリジナル版を上映するというので、行ってきました。

映画は1957年の黒澤明監督、『どん底』。
画像空間の配置や台詞の言いまわしは舞台を観賞しているような印象、しかもお説教(?)が多い重たい映画、と思ったら案の定後から映画評で、ゴーリキーの戯曲が原作、黒澤監督が日本に舞台を移して作った映画だと知る。しかもかなり原作に忠実に作っている作品、モノカメラ撮影ということ。

時代は江戸、さまざまな人間が共存している長屋の住人とその『日暮し』を描き、どう生きるかを問う。

モノクロ、音響も悪く、口の動きと音がずれているという条件で、映像も全体に暗いうえ、話もやりきれない。長屋の様子はちょうど今イタリアで問題になっているジプシーの棲家を思わせるような、簡素な紙と木の作りで、畳でなく藁のような床、混沌としていてちょっと目を覆いたくなるみすぼらしさ。継ぎのあたった布団一枚にもぐってまるまって床に寝ていたり、アルコール中毒の人間や、病気で死にかけている妻がいる男、売春婦、盗人、旗本くずれ、などの長屋の住人たち、それはそれは貧しい様子。隣に住む長屋の主人と底意地の悪そうな妻と世間知らずな妹の三人はそれでも着ているもので、金銭の出入りがあることがわかるけれど、決して幸せでない。この夫婦の怖い顔とすざましい姉妹喧嘩!

話し言葉は現代の若者とちょっと違う、でも確かにこういうアクセントでこんな話し方をする人達はいた、と思う。
それにしても、憂さ晴らしにお酒を飲み、酔っ払い、歌い踊い、何事も笑ってやり過ごす(ごまかす)傾向は何時の時代もでしょう。最初か最後にウへへへ、とかウヒヒとかいうのはいかにも日本人らしいけれど。 

とても面白かったのはこの頃の俳優たちの表情豊かで個性的な顔つき。美男美女もいるし、それに醜いという顔もあるということ。50年前には『日本女性』の美しさがあったらしい。山本五十鈴も香川京子もかなり綺麗です。

観始めてすぐ席を立ちたくなったほど、話も画像も暗い作品だったのに、登場人物の動きなど隅々観察したらもっといろいろな発見があったかもしれないと、書きながら思っている。

2007年11月4日

夕暮れのアディジェ川







アディジェ川にかかるポンテ・ピエトラ(Ponte Pietra)。
灯りがボチボチ燈る頃から一段と魅惑的になるヴェローナの一角。