2008年1月31日

映画 『la giusta distanza』


<監督> Carlo Mazzacurati
<出演> Giovanni Capovilla, Ahmed Hafiene, Valentina Lodovini, Giuseppe Battiston, ecc.

ジョヴァンニはポー川を望む小さな田舎町に住むジャーナリスト志望の18歳。地方紙の特派員記者をしていることは誰も知らないし、記事にも氏名が載らない。
傍ら私生活で大型廃棄物のなかから見つけた二輪の修理をするために近所の工場に通っている。そこに勤める善良なチュニジア人技師アッサンと短期で赴任してきた、若く美しい小学校の教師マラの間に芽生える恋心を遠くから見ている。


題名が示唆しているが、ある相応しい距離をおいてひとつの事柄を眺めていくと、近距離ではわかり難かった事実が見えてくることがある、これは映画の中でベテランのジャーナリストが若い彼にアドバイスした言葉の意味。

時にある村祭りに皆が参加したり、唯一あるレストランにどの住人も通っているような、長いポー川沿いを中距離バスが1時間に数本通るような、大きな魚が連れたことが大きな話題になるくらいの平穏な日常生活は、逆に異常でさえもある。

昔ながらの土地に新しくやってきて暮していくのは、少し好条件の外国人と似たようなものだ。でもだから尚更慎重でなければならない。外人はさらに悪条件で暮していかなければならないから、余程である。

表面的には“外国人は悪いやつばかりじゃない”のは皆わかっているようです。でも何か問題があったときには、顔が違い、話し方が違い、習慣も違う『誰か=外人』を疑うのが、一番都合がいい。だからいつも大抵少し弱い立場に立ってしまうわけで、しかも賢く立ち振る舞う人でなく、生真面目にやっている人間がその不利な立場に立たされることも多いというのも事実。

大きな事件にかかわらず、日常的に起きていることです。

従って(知らない土地で暮す時は)自己防衛を心がけ、忍耐力をもって慎重に行動する、、、なんかいつも同じ結論にたどりつくなあ、とは独り言ですが。

2008年1月28日

日本料理教室ー第4回

Yomoyamabanashi 日本料理教室、第4回目『天ぷら』



天ぷらはたくさん揚げるともう見ただけで美味しそう、です。

トレントでも日本の某有名メーカー『天ぷら粉』が手に入るようになって、材料を切って揚げるだけになりそうだったので、(イタリアでも海の幸の揚げ物はありますからね、、!)『和食の特徴をつけるための一工夫』をインストラクターを担当してくれているKYOKOさんにお願いしました。

“衣を変える”ことと“かき揚げ”は日本風のアレンジ、私達のちょっとした食文化の紹介になったでしょうか?



後から気がついたのですが、参加者が菜ばしを不思議そうに試している様子。
皆さん食べる時の箸は上手に使えるけれど、この長いのは苦戦したに違いありません。イタリアでは、同じ用途で大型のピンセットみたいな調理器具が存在します。

この料理教室は今回が最終回。共通の『いつもと違う料理』に興味をもった人達の集まりであったことはもちろん、偶然同年齢くらいの女性が多い小人数グループだったせいか、あっという間に皆さん仲良くなり、和気藹々とした調理実習の時間を作り上げてくれました。

日本の習慣や食文化、料理に興味を持ってくれて参加してくれた皆さんはをはじめ、実習担当のKYOKOさん、それから参加者登録の受付、問い合わせ等一切を引き受けてくれたチャギくん、お手伝いにも駆けつけてくれた囲碁部部長レイクくん、AIさん、MASAKOさん、遠くから鮮魚の仕入れ担当してくれたNATSUKOさん、場所を提供してくれたVillaの方達、そして台所のロベルトなど、たくさんの方達の協力を得て小さな料理教室を開くことができました。皆さんの応援とご協力にとっても感謝しています。どうもありがとう!!

これをきっかけに、どうかトレンティーノの人々が『日本』を一層身近に感じてもらえますように。

2008年1月16日

映画ーLa Sconosciuta

クリスマスから年末年始は風邪をひいたり、車のトラブルがあったり(事故ではなく)ちょっと冴えない長い長い休暇でしたが(?)、逆に考えれば、おかげで自宅でゆっくり休養することができたとも言えるかも。

この間に今まで見逃したイタリア映画をまとめて何本か観たのだけれど、偶然にも『移民』『外国人』と『国民』の関係について別の視点から、でも共通して『より良い解決とは?』という疑問を残したものばかり。『共存』とは確かに現在の、この国の大きな緊急を要する課題のひとつなのだ。

そのうちの1本“La sconosciuta” は、ウクライナから『イタリア』の裕福で閉鎖的な住宅地域へやってきて暮し始めたイレーネという女性の物語。

<監督>Giuseppe Tornatore

<出演>Xenia Rappoport, Michele Placidi, Caludia Gerni, Margherita buy ecc,


直訳で『見知らぬ女』でも『異国人』とも言える、または『外人』。
でもこの題名は実際に、どこからやって来て、どんな過去を持つかもしれない異国人に対する受け入れる側の不安、猜疑心と新参者である主人公をよく表していると思う。実際未知であるから。

イレーネは幸(ある意味で)を求めてイタリアにやってきたのにも拘わらず、目的を果たすどころか自らさらに大きな賠償を請け負うことになる。ひとりの不幸な女性の例にすぎないかもしれない。でも過去を捨てて異国で生きている人というのは、例えば貧困や社会事情で、しかたなく母国を諦めることが多いらしいのは事実らしい。

確かにイタリアに住んでいる外人の中にはどこか悲しそうか、寂しそうか憂鬱そうという印象を受ける場合もあり、相手を不安に思わせることもある。(というのは私個人の勝手な意見。)主人公の女優も演技が上手かったということだろうが。

主人公イレーネが背負っている過去とイタリアでの現実との交錯、どん底の貧困と豊かさ、幸福と不幸との比がとても対象的に描かれている。それに思いがけない結末で、驚愕する。おかげで立て続けに2度観てしまった。

移民を迎えるイタリア側も、ある程度慎重でなければならない理由であまり寛大に振舞うわけにいかないのだ。でもこれが全ての外国人に対する偏見につながらないことを是非とも祈ります。

2008年1月1日

謹賀新年



親愛なる友人知人、親族の皆々様へ

昨年はだいぶご無沙汰してしまいましたが、お元気でお過ごしのことと察します。
皆様にとって、ますます健康で喜びの多い2008年になりますように。

また、

今年も相変わらず(ご贔屓に!)宜しくお願い致します。