2012年9月17日

カボチャとストルティーナ・ヴェロネーゼのリゾット


Vialone Nano Veronese I.G.P. の耕作地 Isola della scala お米祭りが行なわれています。

こういう噂を聞くと即車を走らせてしまう、我が家の日曜シェフ。
レシピを教えてもらった翌朝、早速市場でカボチャを買って、ストルティーナ・ヴェロネーゼと一緒に炊いたリゾットがランチメニューとなりました。

カボチャは小型にカット、別鍋にリゾット用のスープブイヨンを少々追加、蓋をして数分蒸かした後、マッシュしてお米と一緒に炊きます。
リゾットが出来上がる直前に、同様に小さく切ったトルティーナ・ヴェロネーゼを入れ良くかき混ぜて、パセリを散らしパルメサンをかけていただく、というもの。





カボチャの甘みとサラミの塩味とがうまく調和、色合いもきれいで評価はまずまず、、、。
私は『7』、でも本人に聞いたら『8』(10点満点)だそう。(それは失礼!)

ストルティーナ・ヴェロネーゼというのは、ヴェネト州の Bassa veronese 地方に代々引き継がれてきた豚肉サラミソーセージ。サラミとサルシッチャの間の子というべきか、半生サラミとべきかな。やや曲がっている様子から、ストルティーナという名前がついているそうです。







<走り書きイタリア語>

Storto (storcere の過去分詞)

1,ねじれた、よじれた、ゆがんだ、曲がった:tronco storto ねじれた木の幹、gambe storte がに股の足

2,ひねくれた、間違った、不正な:idee storte まちがった考え

3,反対の、あべこべの ;Oggi mi vanno tutte storte 今日は何をやってもうまくいかない
//副詞 斜めに、曲がって camminare storto 斜めに歩く guardare storto 敵意を持ってにらむ
//副詞 stortamente 斜めに、ゆがんで、曲がって

2012年9月12日

時々高いところに上りたくなるわけ

を、ディーノ・ブッザーティが言ったような。




晴れの日曜日、カーブは苦手ですが少々我慢して、できるだけ上のほうまで車で登り、モンテ・バルドの頂まで、久しぶりに歩きました。

そのうち軽装の観光客が次々到着。実はマルチェージネからロープウェイが接続しているからでした。そういう手もあったのかと思いだしながら。しかし近頃、週末のガルダ湖ドライブは交通渋滞が極まりなく、出かけるのも躊躇されるので、今回は反対側から。

人が一列に並んでも遠くを眺めたくなるのは、海岸で水平線を見るためだけではない。
山に登ったときも同様で、その理由は遠くに見える山群や眼下を眺めるためらしい、その気持ち、わかる気がする。

もっとわかったのは、



ここから、パラグライダーが飛び立っているから。
湖畔に専用の到着地があります。しかし、頂から麓まで下るのに最も(エキサイティングではあるが)優雅な方法(?)かも。

2012年9月3日

パフォーマンス 二人三脚?


城壁に囲まれた中世の街、Castellaro Lagusello を訪ねました。

現在のヴィラ・アリーギは個人所有。ヴェローナとマントバの国境に位置することからももともと戦略的な城塞だったそう、遡れば深い歴史が。自然の『池』がハート型であることは知る人ぞ知るところ。

週末の悪天候でストリートアーティストフェスは一週間延期になったらしいものの、街かどには何人かのパフォーマーが芸を披露していました。

さて、黒ずくめの二人が何を始めるのかと思ったら、次第に2人が3人になっていく。















ちょっとびっくり!



2012年8月24日

SERAPHINE-セラフィーヌの庭

『セラフィーヌの庭』2008年フランス・ベルギー共作映画
 
 



 
 
DOC(Denominazione di Origine Cinematografica) 上映作でした。
 
この手の作品は、時代背景の再現がとても興味深いのです。当時の衣食住が現在と近からず遠からず、と思うのは、地続きで生活しているメリットかも。
 
 丸ごと兎を調理したり、固めのパンやチーズをナイフで切る、精肉などの食習慣などは今とさほど変わらないに違いない。画材と生活雑貨を売ってる店(箒も売ってる!)はまだお見かけするし。まっ白いシーツの洗濯、アイロンがけを他人に頼むなどの生活習慣、シーツは伝統的に白く、(当然かな?)シミ抜きも一仕事になる(現代もシミは一大事)とかエトセトラ。

あげればキリがないけれど、そんな小さなことがうかがえて面白いわけです。
伊と仏の違いは多少あるにしても。

100年くらい経過したくらいでは、そうそう変わらないことも多いのだと思う一方、意識改革はとんでもなく進んできたのだと感心。特に、正と狂の境界線は果たしてどこに、と考えることが大いにありますものね。
 
 

2012年8月20日

いやはや暑い日が


アフリカからの熱風だそうで、この暑さも今週水曜日末まで続くとか。
日中は雨戸を閉めて家に籠る、というのが自宅待機組。幸いに仕事も始まれば、冷房が効いた職場にいたほうがずっと快適かもしれない。




ところで、スプマンテで有名なフランチャコルタでは、ブドウ収穫が例年よりひと月ほど早まるらしいとのこと。そういえば、近所のブドウ畑にも重たそうな房がたっぷり。

残暑を楽しみたい気持ちの一方で、涼しさが待ち遠しい。(なんという身勝手さ!)



2012年8月9日

セイヨウタマゴダケ

夫君もやっと夏休みに入ったので、一緒に朝市を覗いたら珍しいキノコを見つけました。



『Ovolo』 オヴォロ ( Amanita caesarea)、どうやらセイヨウタマゴダケのことらしい。
“タマゴ”ダケというのは妙に納得。


滅多にお目にかからないキノコだそうで、夫君も興味津々。パスタにからめると美味しいですよ、とのお言葉に、その帰り道に手打ちパスタも買って家路を急ぐ。




傘の部分を洗い、薄くスライス。ニンニクとオリーブオイル、刻みパセリでさっと炒め、



粉末ピスタキオ、すったレモンの皮も絡めて、新作タリアテッレ・グレッグ風となりました。

2012年8月6日

夏祭り Egna

トレントから北へ車で約30分と程近い、ボルツァーノ県(アルト・アディジェ)のEgna (エーニャ)は人口5000人弱、ポルティコ(柱廊)のある優雅な印象の町。

しかし、夏祭りの盛上がり方が"Wärme"なのです。
イタリア国内、そして確かに二ヶ国語圏なのですが、『南チロル』であることを誇っている。お祭りメニューも看板もドイツ語のみ。


定番<カネーデルリ、スペッツァティーノ、クラウティ>



定番<ストラウベン>
いずれもサイズがチロル風

更に、(どうやら)スドゥチロール出身のパーティバンドグループ『Dreirad』が初日の夜を熱くしてました。


”僕たちスドゥチロール人だぞぉ!” ”Woooooooo!" てな具合に。

2012年8月1日

接ぎ木する

日本のリンゴ品種をヨーロッパで試験栽培しているそうで、今秋実がなる予定のりんごの木の取材に同行して来ました。そこで、リンゴは接ぎ木して育てることを初めて知りました、遅ればせながら。

環境に慣れその土地の味になるには何年もかかるのだ、そして様々な試みの失敗や成功の繰り返しである、また作り上げる人々の努力と研究の成果である、というごく当たり前のことなのに、とても感動!上手く育ってほしい。

久しぶりに『走り書きイタリア語』。

<他動詞> innestare

1)【園】接ぎ木(接ぎ穂)する
innestare le viti  ブドウの木を接ぎ木する
2) 【医】移植する;接種する
innestare il vaiolo a qlcu. 人に種痘する
3)【機】差し込む、かみ合わせる、つなぐ
innestare la spina nella presa di corrente コンセントにプラグを差し込む
innestare la frizione 【車】クラッチを入れる
4)【比喩的】移植する、取り入れる
Roma innestò culti forestieri.  ローマは外来の信仰を移入した。
//-arsi  (代)移植する、結び付く《su》
Il viale s' innesta sulla strada principale. その道は幹線につながっている。

女性名詞 innestatura
1)接ぎ木 2)つなぎ目

男性名詞 innesto 
1)【農】接ぎ木、接ぎ枝 
2)【医】移植、接種 ; innesto della cornea /   角膜の移植 ; innesto di un vaccinazione ワクチンの接種 
3)【機】クラッチ、接ぎ手 / innesto della frizione  【車】クラッチ /  innesto di una marcia ギアを入れること 
4)【電】プラグ; innesto a spina コンセント

2012年7月25日

暑中お見舞い申し上げます

皆さま、(少々長めの)帰省中は大変お世話になり、また忙しい中、相変わらずお付き合い頂きありがとうございました。報告遅れましたが、無事帰宅いたしました。

早々にパソコンが壊れ、時差ぼけしている暇もなく、休暇直前のサービス会社に粘りなんとか元通りに。ついでに、相手の都合でバァージョンアップしてくれたので、少し得した気分です。


快晴のある日、アドリア海へ行ってきました。
ところが、それからトレントは朝晩すっかり涼しい日が続いています。

まだまだ夏を満喫したい、いたしましょう、ね!

2012年7月2日

帰国茶話4

6月後半は一段落したので上京することに。

台風一過のために少々の電車の遅れもあったものの、新宿到着後はそのままオペラシティホールへ。Aiさん&Alexのヴィジアルコンサートin Japan にも間に合い、ひととき音楽を堪能。コンサート後、楽屋前のファンの列にまぎれて再会いたしました!

帰国のたびに、都内の地下鉄網が変わる(印象な)ので移動はいつもちょっと緊張します。かなり複雑なのかと思ったら、実は乗り換えもスムーズ、上手くオーガナイズされていて便利!と感動。(”おのぼり”だな、、、)それにしても、ますます機械化が進んでますネ。



久々の銀座、何よりGINZA KOMATSU のDOVER STREET MARKET Ginza COMME des GARCONSは楽しい発見。コムデギャルソン懐かしい~(と思いながら)、店内散策、とても”辛口で面白い”。オープンしたばかりなのだそうです。時間に余裕があれば、隅なく見ていたでしょう。

その後、気になっていたミュージアムを訪問してから”超忙しい”友人に会い、大急ぎでお互いの近況報告。おかげで日頃の自分の『スロー』ぶりを大いに反省、気合が入った一日でした。


2012年6月19日

帰国茶話3

近頃「女子会」と云うのだそう。(上手いネーミングだなあと感心!)それで先日、洋風居酒屋に連れて行ってもらいました。



こういう和と伊(洋)くらいが丁度いいのでは。
7月で開店一周年だそうです、マスターもマダムも初々しく好ましい。


ソラマメのグリルは、ダイナミック、シンプル、美味しいの3点で気に入った一品。
ヴェローナ産の赤ワイン(カベルネ)にも合いました。

2012年5月31日

帰国茶話(2)

早朝ウオーキングのコースを変更したら、『スケーター』に出会うということも。




実は、実家滞在ですっかりはしゃいでしまうせいか、体調をくずし風邪をひいてしまった情けない5月末です。


2012年5月25日

帰国茶話(1)






帰国早々で慌しさにかまけていたら、「どうせ持ってないでしょ~」とHitomiさんが用意しておいてくれた専用グラス。おかげで鑑賞できた『金環日食』、やはり感動しましたね~。お友達に謝謝!




紙を持って月の影を鑑賞するおじ様も。(わかるかな、、、?)いろんな楽しみ方があります。

その日は時々立ち止まって空を眺めたり、の早朝ウオーキング。帰国中の習慣にしようと(歩き)始めたばかりで、なんだか幸先良さそう。






2012年5月3日

クラス+シック

乗るのはどうでしょうか、でも鑑賞するのはこちらのほうが。




中でもいつもうっとりする”アルファロメオ”


友達のところの愛犬に似ていると思ってしまう


ボルツァーノ、フリータイムフェアにて。

2012年4月12日

ようやくお天気

3月末は5月頃の陽気だとうかれてていたら、4月に入りまた寒気が戻りました。冬季に待ちに待っていた積雪、シーズンも終りになり、今頃やっと、、、、とは今朝のTrentino のweb版で。未だオープンしているスキー場はあるそうです、あしからず)



悪天候が続いていましたが、漸くお天気になりそう。山頂の積雪と対照的に、麓はそろそろ新芽の青さが眩しくなりそう、と期待しているこの頃なんですが。

2012年4月4日

誕生日会

いまさら書くのも妙ですが。

桜 in Villazzano

" 誕生日" 一月ほどまえに、珍しく穏やかな気分で迎えたのでした。

翌週が義母の、そのまた翌週に夫君のと続くので、合同誕生会の話が決まって、ある日曜の昼食をすることに。食後に賑やかな叔母夫妻が加わり、合計何歳の誕生を祝ったことやら、数の大きさにどっきりである。

変ったものは苦手な義父母にも、なんとか巻き寿司だけは『意外と美味しい』と言ってもらえるようになったのは、最近の嬉しい傾向。これからはトレンティーノスタイルお祝いの食卓にも、『日本の味』が割り込めるかなと少し期待している。

今年の義姉から私への、"ほんの気持ち"誕生日プレゼント『テラバンド』には思わずにんまり。昨年からジム通いしている私をよ~く知ってる。彼女とはそれ程頻繁に会うわけでもないのに、いつもその時の傾向と好みを"的確"に把握してくれてる、頼もしい親戚である。

そして、夫君と私合同の"食べて歌ってワイワイ、歴史的友人達との誕生日会”は、漸く皆の都合がまとまって、先月月末と遅くなりましたが、滞りなく恒例行事を無事楽しく終えました!

今年は過日亡くなったルチオ・ダッラメドレーをアンドレアのギターで合唱、特別なファンでなくても、『彼は良い曲をたくさん作った』という意見は一致しているらしい。

『誕生日会(兼コンサート)』、続けられるまでは続けよう、と皆が暗黙に思っているようだ。 元気があるときも無いときも、顔を見せて一緒に食事する、ちょっとしがらみから抜け出す良い機会だと、恒例行事も悪くないと思い始めているこの頃である。


2012年3月9日

国際女性デー

3月8日には届くヴィットからのおめでとうメッセージ。
暫く会ってないけど、今年も忘れられずに来ました。日本の"年賀状の交換”に近いかな、と思ってしまう。大人同士はこの位で十分、十分、お互いますます元気でやりましょう。




ところが、夫君がケーキを買ってきました。花より団子ですね。
レモン風味のハート型シフォンケーキ、何とも愛らしい。 というわけで、出し惜しみしていた(いろんな意味で)シャルドネを開けて、昨日は一応我が家でも乾杯したというわけです。

2012年3月5日

"頑張れ日本" チャリティーイベント in Bologna

過日、在エミリア・ロマーニャ日本人の方からメール連絡がきました。

3月11日(日) ボローニャで "震災から一年、頑張れ日本チャリティーイベント" があります。

時間: 15時から20時
場所: Salone della Biblioteca-Convento San Francesco, P.zza Malpighi 9 Bologna

http://lacittadisatomi.blogspot.com/2012/02/blog-post.html




ボローニャ在住日本人と日本を愛するイタリア人たちが、上手く相互協力し合うチャリティの様です。

宣伝も私たちひとりが出来る小さな協力かも、と何人かにそのメールを転送したところ、イベントに協力したかったので直接連絡しました、と事後報告してくれた友人がいました。これだけやった、と大声で騒がないところが、彼女の良さ!と暫く会わない彼女を改めて思い出しましたばかりです。

まもなくの事、お近くにお住まいの方、或いはお出掛けの方、是非とも足を運んでみてはどうでしょうか。


2012年2月27日

タリアテッレ・アル・ラディッキオ

日曜シェフお得意『ラディッキオ』メニューのひとつ。




オリーブオイルで軽く炒めたラディキオを、ゴルゴンゾーラとくるみのホワイトソースで和え、茹で上がったタリアテッレに絡めるだけという、実に簡単なのに、美味しく出来てしまう一皿。

もう十ン年も前の話、一年中どんなものでも揃っていた日本暮らしは快適だったけれど、旬のものを食べる意識に欠けていたかもしれない。ここも次第にあの頃に似通ってきて、トロピカルフルーツも、例えば冬野菜も季節外れに市場に出回るようになった。ほぼ一年中同じような食材が手に入るから、ラディッキオの一皿を『冬季限定メニュー』と言い切っていいものかどうか。

手に入りやすくなった、でも美味しいものは見つけにくくなったと思うこの頃。見つける意欲に欠けるのかな。


2012年2月19日

謝肉祭(カーニバル)のニョッキ

先週の木曜日がgiovedì grasso (謝肉祭最後の木曜日)』。
お祭り事が大好きなので、慣習に従って"もちろん楽しむ"ことにしています。




通っているジムでも、ウォーミングアップの時間が幾分長引いた頃、インストラクター曰く「ま、いいか!今日はカーニバルだから踊ってしまおう!!」だって。それで皆、公により"大袈裟"にウォーミングアップのステップを踏んだ(に違いない)。おかげで一汗かいて、ますます元気に!たまにはいいんじゃないかしら。

さて、カーニバルといえば『ジャガイモのニョッキ』でしょう。レシピは簡単、でも満足に出来上がった試しがないのと、美味しいものにあまり当たらないと言う理由で、まだまだ研究中の一皿。 

<作り方>

1)ジャガイモを皮ごと茹でる。
2)熱いうちに皮をむき、裏ごしする。(ポテトマッシャーを使うと簡単
3)2)に小麦粉、とき卵を少しずつ混ぜて、手でこねる。
4)均等に分け、さらに2センチくらいの棒状に伸ばし、小さくカット。
5)沸騰した湯で茹で、浮き上がってきたところですくい上げ、予め用意したソースを絡めて食卓へ。


随分前に買ったレシピ本は、今でも大いに役立っていますが、料理は1プラス1が2にならないところがくせもの。私自身の腕について言うと、暇にまかせて何回も試す必要があるかなという段階。本の著者曰く、大きさや形を整えなくても美味しさに変わりない、とのことです、基本的には賛成だけど。







ラグーソースで頂くのが山岳地方トレンティーノ風だそう。つまり『よりお腹に溜る』(たっぷり食べて寒さを耐える?)ってことらしい。従って、我が家の日曜シェフ(注:『トレンティーノDOC』)に仕上がりを任せたのですが、ニョッキもしかり、彼の腕に叶わないということを、あっさり認めざるを得なかった、、、


今年は自宅で『カーニバルのニョッキ』を頂きました。 


<走り書きイタリア語>

古い辞書には載っていませんが、便利な調理器具のひとつ。

schiacciapatate : ポテトマッシャー

schiacciare (他動詞)

1、圧迫する,押しつぶす,押し砕く,押す;踏みつぶす: ~una noce クルミを割る  |  ~le patate 茹でたジャガイモをつぶす | ~ un piede a qlcu. (人の) 足を踏む | ~ un pulsante  押しボタンを押す |  ~ moccoli 冒瀆の言葉を吐く |  Fu schiacciato da un tram. 彼は電車にひかれた。
2、《スポーツ》スマッシュ(スパイク)する。
3、形なしになる,外観を悪くする : Quel vestito a righe ti schiaccia. その縞のドレスが君の美観をだいなしにしている。
4、(反乱などを)壊滅させる;(精神的に)圧倒する;(トスカーナ)落第させる: ~ con argomenti 証拠をあげて論破する | ~ qlcu. a un esame (人を)試験で落第させる。
* schiacciare un sonnellino うたた寝する
// -arsi (代 ) つぶれる、砕ける

2012年2月14日

ハッピー・バレンタイン・デー

Lindtの回し者ではないですよ。でもここのは美味しい。
立ち寄ったチョコレート屋で、ついつい買い物かごに入れてしまったバレンタイン・デーのハート型。



女性客に溢れていたなかに、突如背の高い大学生くらいの美男子、ハート型チョコレートを抱えて興奮した様子で、"コレ何グラムくらい?" とレジにやってくる。
"(選んだチョコ)そこのボールに入れて(持ってきて)ね~"(笑)とレジの女の子。

 すると彼はもう一度戻って、今度は両手で抱えて、"ワオ!ここってイロンナものがいっぱいですね~!!" とか言いながらソワソワ、それでも列に並んぶことにした模様です。

一日くらい甘~くなっても良いかなと思った次第で。


2012年2月12日

Verona in Love

悪天候を尻目に、相変わらず車を飛ばしました。雪の日に出かけるのも悪くない、とかいいながら。





ロミオとジュリエットの町で知られるヴェローナちょうどサン・ヴァレンタイン・デー・イベント『Verona in Love』の最中で、チョコレートやワインを売るバンケットやロミオとジュリエット縁ポイント入場割引など『愛』がテーマの催し物が盛り沢山、しかもこれが何ともキュートで甘~い。

ちょっとほろ酔い気分になったのは『ロゼ』のせいだけでない、、、


2012年2月9日

初3D体験、 『Hugo』


食わず嫌いなので、サイエンス・ファンタジー映画の類はほとんど敬遠するけれど、今回はマーティン・スコルセーゼ(Martin Scorsese)監督ということもあって、(イタリア系アメリカ人だから、どこかにオリジナルの香りがしないかどうかを要チェック、という傾向があるため)、1920年代のモンパルナス鉄道駅が舞台、ということに大いに食指を動かされて(?)観に行きました『Hugo』 邦題(ヒューゴの不思議な発明)。3D映画初体験!!

(TDLには行ったことないけど)大人も楽しめるTDLという感じでしょうか。飛び出す犬とか紙とか、アミューズメントパークってこういう事かな、と勝手に想像。隣の中学生くらいの女の子はかなりはしゃいでましたね。

もっと楽しめるのは、最新技術が存在しない頃の、映画制作現場を垣間見られること。映画が登場した時代の人々の驚きは、3D映画の精巧さや臨場感への感嘆に近いのでは?過去と現代の『新鮮な驚き』類似体験ができる。前評判によると、スコルセーゼ監督が相当力を入れてたそうではありませんか、面白がってる様子が伝わってくる感じ。

それにしても、あの『貸し出し眼鏡』何とかならない?指紋ベタベタで不潔だな~とふと思い出したのが、昔々TV放送されていた『オズの魔法使い』。3D放送してたような、、、(うろ覚えですが)。その時の紙製眼鏡に近い物を、チケットと同時販売してもらえないかしらね。

もうひとつ気がついたのは、あまりに厳密すぎて、人も犬もセットも全て『作り物』に見えたこと。ファンタジー映画はこういうもの?まだ見慣れない観客のひとりは、時々目が回ったりして、類似体験も善し悪しだという感想も持ったのでした。

2012年2月3日

エミルタージュ幻想

イタリア半島ここのところ悪天候が続いています。
ミラノ在のシーニからも『ここも雪だよ~!』とメールが。いつもは逆で、あちらが少ないはずなのにね。トレント市、積雪があるほど降ったのは今期初めてですが、(春夏秋冬の順番なら、今期でいいんでしょうね?)幸い混乱を来すほどでないので呑気なもの。しかし渓谷方面の、降雪による交通麻痺や混乱のニュースが次々に入ります。皆さま、お気をつけくださいませ。

さて、先日偶然TVでエミルタージュ美術館を案内していました。普通なら、旅行は暖かい時期にと勧めるけれど、ロシアだけは、冬が魅惑的だろうなと想像するわけです。
番組の中で紹介していた、歴史映画『エミルタージュ幻想(邦題)』(アレクサンダー・ソクーロフ監督)。



エミルタージュ33室で撮影、オーケストラライブとか。何よりカノーヴァ『3美神』が登場するらしい。このシーンだけでもワクワク、、、。観なくては(行かなくては)!!


<走り書きイタリア語>

suggestivo ( 形容詞) 

1、示唆に富む、暗示的な:ほのめかす、誘導する :
domanda suggestiva 誘導尋問

2、創造的な、心に迫る、見とれる(聴きほれる)ような : 
musica suggestiva うっとりするような音楽
paesaggio ~ 見とれるような風景
// suggestivamente  (副詞) 示唆的に、暗示に富んで

2012年1月28日

1月27日

昨日、久しぶりに友人とチェントロを散策。

すると、C. Battisiti 広場の一角に夥しい数の古い写真が張られた黒い壁に気がつきました。要約された短い説明文ですぐに、1月27日』メモリアルウォールだとわかったのですが。それは、遠い遠い昔読んだ『アンネの日記』の表紙の、彼女の写真とよく似通った、鼻が細くて、目がくぼんだ彫りの深い顔をした人たちの記録でした。

<1945年1月27日>
アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所がソ連軍により解放された日です。

さて、昨年日本でも公開されたそうです、邦題『黄色い星の子供たち』。


朝刊版によると、ドイツの若者の2割は"アウシュビッツ"がどこにあるのかを知らないのだそうです。私も日本在住だったなら、それほど敏感ではなかったかもしれませんが、地続きに住むことで歴史上の特別な日を、少し身近に察することができます。
また関連して、いずれ読みたい本を一冊(新版も先頃出版されたそうなので、2冊かな)挙げておきます。



夜と霧』:ビクトール・E・フランクル(精神科医、心理学者)著、霜山徳爾訳

20世紀半ば、ヨーロッパが(世界中が)狂気に陥った時があった。伝えきれないだろう過去の事実、誰かが口を開いて、後生に残す、また学ぶことは大事ではないでしょうか。

2012年1月24日

Goy's Ghosts-L'ultimo inquisitore

スペインの宮廷画家ゴヤの生きた背景を描く。(2006年スペイン・アメリカ映画)
主演:ハビエル・バルデム、ナタリー・ポートマン、ステラン・スカルスガルド他

邦題は『宮廷画家ゴヤは見た』、伊題は『L'ultimo inquisitore』


人はもともと残酷残忍な部分を持ち合わせているのでは、と思ってしまう。だから正義と平和を祈る必要があるのだろうか。

<走り書きイタリア語>

"inquisitore"

形容詞
1,取り調べの、調査する、尋問する : giudice ~受託刑事
2,詮索するような、不審の : rivolgere un ' occhiata inquisitrice 不審の目を向ける

名詞(男) //
1,(歴史) 異端裁判 : il Grande Inquisitore (スペインの)異端裁判長
2,(法律) 取調官、調査官

2012年1月20日

ThinkPadのキーボード

今更なんですが。

肩から腕に支障をきたして早くも2年近くになる。最近、偶然腕力の衰えも発見、リハビリ中である。(ちょっと大袈裟かな、、、?)
ともかく、我慢できない不調に気がついた時は既に遅いもので、15分以上コンピューターの前に座っていられない状態になった。 

原因はPC以外考えられないから、マウスかコンピューターの高さかとイロイロ試して、それでもと以前使っていたパソコン『ThinkPad』を引っ張り出して気がついたこと。
彼のキーボードの打ちやすさ“

そういえば、キーボードとの付き合いはIBMのタイプライターからだから結構古いのである。初めてのパソコン購入の際はこの経験からくる信用性と、『デザイン』の良さに一目惚れ。

ははん、長い間キーボードを打っていても疲れないというのは、非常に重要である。詳しい知人からの助言によると、使用性で仕事の能率は全然違うのだそうだ。(何事もそうだよね。) 

今のPC、キーボードの『感度は良いけど重たい』という事に気がついてしまったのである。(!自分の見落としってことね。)それからは更に気になり重みをますます意識、"古機!を訪ねて”彼への郷愁が募ってしまった。

機能性の高いものはデザインも良くなるはず、と勝手に思い込んでいたのが、肩すかしを食らった感じ。



同じく時をして、夫の社用パソコン最近、最新型 『ThinkPad』にモデルチェンジしたそうである。
近頃仕事を家に持ち帰るので、横目で見ながら、ノートとしての格好良さを見直してしまった。持ち歩くなら薄いというのも良いけど、家に置くなら、蓋を閉じてもシックなものもいいんじゃないかなと。(それにコレ、バッテリーがすごい持つらしい)だから次はまた、『黒』に戻ろうかしらと思ったりしている。

世の中『タブレット』『iPad』と騒いでいるけど、書くのがほぼ趣味になっている私にはキーボードが大切なのだ、今のところ。


2012年1月16日

Midnight in Paris




こちら、年明けの乾杯を済ませるとともに、正月というもったりした気分は全然なく、夜は映画でも行こうか、と話がまとまるのが恒例です。

三が日に観に行ったのがウッディ・アレン監督の「Midnight in Paris」。

パリの街が満喫できるのと、現実離れしていているにも係わらず、過去の現実に近いに違いないと思わせるところが楽しい。900年代初頭の歴史上の有名人物の、言うことやることが、主人公と同じように錯覚して、パリの背景を二度も楽しめる映画でした。

主人公は監督自身でしょう、話し方や歩き方がそっくりではない?
そして彼女はミア・ファローにそっくりでしょ~と思いました。(まだ観てない人、ご免なさい。)




2012年1月11日

Storie di Confine 1月13日 RETE4

RETE4で、昨年3月11日東日本大震災の被災地、宮城県南三陸町復興状況取材リポート番組が放送される、という内容のメールが知人から回ってきました。

イタリアのCentro di Cultura Giapponese di Milano は同町保育園再建を目的に募った義援金総額 およそ70000ユーロを寄付。またAISTUGIA Associazione Italiana per Gli Studi Giapponesi)は歴史も古く多くのイタリア人会員が登録している文化交流団体だそうですが、義援金の寄付にも多大な協力をしていて、会員のひとりMediasetのジャーナリスト、ミンモ・ロンベッツィが今回の取材を担当、南三陸町町長との面会を果たしたというルポルタージュだそうです。

RETE4 の『Storie di Confine』の特集、1月13日(金)23時45分から、再放送は15日(日)8時55分からです。

2012年1月4日

明けましておめでとうございます


Bassano del Grappa

旧年中は大変お世話になりました
2012年も 相変わらず宜しくお願いいたします

2011年12月21日

Buone Feste!!

大抵この時期は一年を振り返り、良いこととそうでもなかったことと差し引きして、ともかく何とかやり過ごせたことに感謝する。

3月東日本大震災直後の帰国、それこそまだ『あまりの災害の大きさに驚いて止まった一時』を実は共有したように思う。決して忘れてはいけない体験で、あれからずっと日本のことが気にかかって仕方がない。力を信じて、遠いところから応援するばかり。

個人的には、決して順風とは言えない事のほうが多かったかも。だからちょっと気合いが必要で、秋頃からは気分一転、心身ともの強化とバランスを調整中である。何年かに1度はリセットする癖もあるので、その一連かなとも思っております。




2011年もまもなく終わろうとしています。
殊に古い近しい人たちの心遣いを、本当に有り難いと感じた一年でした。
皆さま、新しい年も相変わらずお元気で、穏やかな良い一年になりますように。

2011年12月18日

ブレラに、、

先週、久しぶりにミラノ・ブレラ絵画館を訪れました。

ただ今、モスクワ・プーシキン美術館印象派コレクション展開催中です。(2012年2月5日まで)

今回コレクションの中で、最も気にいったのがルノワール『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの庭』。緑の庭園で談笑する紳士淑女の一角を見事に描いています。『印象派』とは当を得てる!!


一方モスクワ、プーシキン美術館ではブレラとの交換貸し出しの『カラヴァッジョ展』が開催されているそうです。どなたか幸運にもモスクワ滞在ならば、訪れる価値ありではないでしょうか。

この絵画館、宗教画はもとより、19世紀初頭の芸術家たちのコレクションが豊富です。
私はなんと18年ぶり(ワオ!)に訪れました。いくつか印象に残っている絵画との再会、そして思わず、プラス印象派17作品を鑑賞できたので、かなり満足のいくものでした。1時間以上待った甲斐はあったかな。




ところで、

恐らくミラノは日々変わっています。中央駅は地下商店街が整備され、構内インフォメーションも国際空港並みに充実。郊外まで延びる地下鉄工事も着々と進んでいるようす。
おかげで例えば、今まで中心地まで何回か乗り換えが必要だった友人宅からも、大幅な時間の短縮になったり。

近代化に伴い、当然物価も高騰してるから、ミラノ在住の友人いわく、『ミラノ満喫するには、収入がいくらあっても十分ということがない、、、』だそうな。

でも、たまには都会へ出掛けるのも良いものです。特にクリスマスバカンス前は、イルミネーションも美しくて心暖まるってことも。

2011年12月2日

イタリア初、教科書のない高校

パノラマ10月26日号特集『こうやってスティーブ・ジョブスになった』からの一部要約。
ベルガモの職業専門学校で講師と生徒用に1500台のiPad2を購入。全校通信網を巡らしオンライン授業を行い、宿題もオンラインを利用する、書籍を利用しない新時代の学習方法を挿入。経費の節約にもなるという。
昨日まで全教科書11,5キロ(総額223,90ユーロ)をつめた重たいリュックを背負っていた高校生も、今日からは、700グラムの薄型コンピューター(月額20ユーロ)携帯での通学。文部科学省(?)で指定されている教科書に規制されない私立校の特権である。
もちろん初試みのIT機器導入による授業の進め方は、今まで以上に工夫しなければならない重要な課題もある。オンライン学習は便利で容易に学習することが可能になるが、それに伴う生徒と講師間のコミュニケーションの仕方も変化することも想定される。
学校側では、最新のIT機器を使用することが、現代社会における情報伝達文化の発展を学ぶ利点を力説。
生徒側からもiPadの利用は学習意欲が高まる意味で非常に肯定的。幼少時代から馴染んできた『ゲーム』感覚で勉強するから、学ぶことへの興味を持ちやすいというのがその理由である。
周りを見渡せば、確かにどん臭い高校生は少なくなっている、、、立ち止まって辺りを見渡すと、あまり普段の生活ではほとんど係わらないが、未知のジェネレ-ションが存在するではないか???(と気づくことが最近多い)

『便利』だと感心している私たちなんて、もう結構"古い"。意識が芽生えると同時に、コンピューターなんてペンや紙の代りに存在するものになっている世代が育っているのだ、と想像するだけで気が遠くなってしまう。

一方最近『タブレットは45才前後または以上に人気』の記事を読みました。
これは、35才前後または以下の世代は、長い文章書くよりは、ゲームやってる時間が長そうだし、いつでもどこでも音楽聞いてYouTubeが見られ、友達とコンタクトが可能という、コンパクトな手のひらサイズのコンピューターに一票入れそうだと想像できる。

もうちょっと大人は、コンピューターとの出会いがオフィスのハードディスクと想像すると、『ノート代わり』で書きやすい、見やすいというのも必須条件。『コンパクト』の定義が若干違うのだろうね。ある程度大きめの画面の方が疲れないし。有れば便利な夥しい資料も、一枚の薄型コンピューターが記憶収納でき、しかも軽量という事になれば申し分ないだろうな。
ただし、自分の頭に詰め込まなくてもよくなると、記憶能力が後退するのではないかとちょっと不安に駆られることもあり、ですね。
ジョブズ氏が亡くなって、とってもショックを受けている世界中何億億の人々のうちのひとりである。
最近発売になった"伝記" に伴って、過去の特集を見直す機会もあり、改めて刺激を受けているこのごろ。


また彼がものを作るにあたり、『人はわかる』ことに非常に敏感だったことを証言された記事もhttp://cgi2.nhk.or.jp/cgiblog/tb.cgi/39342 読みました。
私が常に重要だと考えている事でもあったので記しておきます。ま、私自身はここまで用心深くないから一般人のままなのですが。

物事に向かう姿勢の問題ですよね、いかに真剣であるかという。まだまだいま暫く、この方のことを思っていそうです。

2011年12月1日

『フランス人と日本人』ー武田邦彦

『フランス人と日本人』のメンタリティーの違いについての発言。覚え書きのために、リンクを張っておきます。

http://takedanet.com/2011/11/post_b58a.html

関連して

http://takedanet.com/2011/11/post_d981.html


武田邦彦という工学者だそうです。遡って発言を読む必要がありそう。

近所の郵便局へ行くと、窓口の女性に『何故日本は原発を持っているのか、私は断固反対』と必ず一言言われます。
私たちひとりひとりがもっと知り、その上で意見を持つ必要がある問題ですよね。









2011年11月18日

続き、NIKE



Hypnotic Poison のCM。

初めて見たときは、目を疑いましたよ。もちろん感動でだけど。
香水以外のところが美しすぎる。

ちなみに『ジャドール』のCMもかなりゴージャスで見応えありです。

最近里帰りしたKさんから帰仏と近況報告のメールの返事(の返事)が来たばかりで、フランスを訪問する"理由(目的)”が更にひとつ増えたというわけ。

2011年11月8日

NIKE

サモトラケのニケ像(当然レプリカ)を暫く前から探していたら、この夏偶然ヴェネチアの土産物屋(?)で見つかる。当然その程度のものを探していたのだが。フィレンツェの石材店の作品だそうで、私にとってはこれで十分である。

実物はルーブルにあるのだから、イタリアで探そうと思うのが見当違いかもしれないと思ってはいたものの、石材屋など置いてありそうなところは一応立ち止まっていたのは事実。だから迷わず購入。勝利の女神ってのもいいと思う。自分自身にはやや足りない"心意気"だから。今後の励ましのためにも。

さて、ニケをローマ字にしたらNIKEになるので、スポーツウエアブランド『ナイキ』と関係があるのかしらと探ったところ、実際にナイキの由来はここから来てるらしい。いかにも勝負に強い感じがするのはこのせい?
ついでに、企業『ナイキ』を更に探ってたら、元アシックスのスニーカーを輸入したのが始まりで、技術開発し別の会社で製造し始めたんだそうな。日本製運動靴は優れてたってこと?
その運動靴も『鬼塚タイガー』という、いかにも強そうでクロオト好みのメーカー名で売り出していたらしい。ちょっと長いというのが気になるが、実はまだ健在というのがすごい。(逞しい、、、?)

確かに『ナイキ』の方が洗練され、覚えやすいブランド名。そして、足についているマークが勝利の女神の羽根なら、早く走れるだろうというイメージに繋がる。鍛えるなら『NIKE』のスポーツウエアーを身につけ勝利を目指す、という個人的な勝手な理由になるわね。

ともかく本物を鑑賞しなくては、と次の旅行計画に発展するわけである。小さくても『絵』になるのだから、実物はさぞ迫力だろう、とさらに期待が募る。

ついでに『やや足りない心意気』と『ナイキのスポーツウエア』はどう発展したかというと、パリ旅行より身近な"スポーツジム通い”。テンションを盛り上げるのに、大いに役立っている。

2011年7月25日

MART 長い長い列


近頃朝晩涼しい日が続いています。今朝も9度、さて夏は何処へ。
あいにくの雨降りの日曜の朝、仕方なく予定を大幅に変更、こういう日は美術館めぐりに限ると、『オルセー美術館 印象派~後期印象派展』の最終日、MART に出かけました。

しかし皆考える事は同じ。夏期の観光客に加え、地元の人たちで既に長い長い行列。始めて遭遇しましたね、MART のこの賑わい。

『印象派展』と称される展示会で必ず何点かに出会うゴッホの絵画。色彩が個性的で、以前はどうしても好きになれなかった傾向の絵画ですが、好みは変わるってことでしょう、ますます惹かれるようになりました。

常設展示品も入れ替わるので、時々訪れる価値があります。

2011年7月21日

2011年の不思議

日光浴は、読書または雑誌をペラペラめくる程度で『何もしない』に徹する時間。

そこで拾った話題のひとつ、

今年2011年は年月日の4つの数字が並ぶ珍しい年。
例えば、1/1/11、11/1/11、1/11/11、11/11/11 というもの。
そして、自分の生まれた年の二桁に、今年なる自分の年齢を足すと合計が『111』になる。

10月は日曜日が5日、月曜日5日、土曜日が5日ある、これは823年に一度しか訪れない。

そういう今年は『Moneybags』、お金の成る年と言われているそうだ、、

いつの時代も、偶然を必然に導く統計とったりしてる方っているんですね~と関心しました。

2011年7月18日

バルサミコ酢クリームーキッコーマン醤油味

写真左のチューブの話。
肉料理やサラダに一味加えると美味しさが引き立つ『バルサミコ酢』のこと、料理に興味ありの方達には結構知られている話のようです。その製造法によるためか、普通のワインビネガーに比べて、酸味がまろやかで好ましい。

和食の『お吸い物』に代用する友達もいることだから、醤油味に近いものがあるってこと(?)

でもなんと、モデナの1912年創業老舗FINI社から、新開拓商品「バルサミコ酢クリーム、キッコーマン醤油入り」というのが発売になってるそうです。観光地の土産店で発見!

これはイケルかも。だってお醤油にお酢を足すことあるものね。

FINI社のバルサミコ酢クリームは、東洋と西洋の文化のドッキングだそうで、お寿司、刺身、魚料理はもとより、焼き肉、野菜、スティックサラダ、などなど、幅広く利用できる濃厚ソース風。

結構塩味(醤油味)きいてます。お試しあれ。

2011年7月11日

まずは、お誕生日おめでとうございます、先輩~

"K" さんへ、

多分今日はその数に、ちょっと感慨深い思いをしているかも。

出発点に近いところから参加させてもらった企業の、殊にこの "先輩" にはお世話になっていたので、ちょっと遠いところから「お誕生日おめでとうございます!」

少し大人年齢に抵抗があったのは遠い昔、実際『大人』になるとその時間は瞬く間に過ぎるもので、次はその早さにちょっと戸惑うこと数(?)年。
まだ様々な事に戸惑い、一喜一憂、少し迷路に潜り込んでしまった様な気がしている近頃。

こういう時に必ず思う「初心忘れるべからず」
イタリア語 でも Non bisogna mai perdere lo spirito iniziale
つまり、最初に思い立った考えを忘れるべきではない、となる。

しかし、先日日本語のよーく分るイタリア人との会話のなかで知ったことのひとつ。

日本人の考え方において、"時々初心に戻りましょう” は前進するうえでも意味がある。でもどうやら、イタリア人には(場合によっては)「前進することを拒否している」と解釈できるらしい。

彼らには鼻の先でふふん、とあしらわれること、なのかしらね。
確かに思い当たる事、いくつかあり、、

要注意です。













2011年7月7日

7月7日

<七夕祭り>

日本固有の「棚機女」信仰が、中国のきこう伝七夕伝説と習合したもの。

陰暦7月7日に織女星を祭る行事。五節句の一。技芸の上達を祈る。織女星はこの夜、天の川を渡って牽牛星と会うという星祭り。77日  古語辞典(角川)より

*****

野外映画(予定)を観に出かけましたが、小雨のため屋内に変更。7月7日の夜って雨のことが多いと思うのは、気のせいかしらね。



2011年6月29日

ガルダ湖のレモン

ドライブがてら頻繁に訪れるリモーネ(Limone sul Garda)。湖に沿ってレモンの栽培園が段々畑にたくさん設けられています。

リモーネの名前は元来ラテン語で"国境" に由来すると言われています。実際土地柄、孤立されていた年月が長く、ガルダ湖西岸道路の完成により(1932年)漸く自由に往来できるようになり、北欧諸国の観光客の流入が始まったんですって。

柑橘類は中国、インド方面が発祥の地で、ヨーロッパに輸入されたのは約1000年頃だそう。イタリアにはイスラム文化の影響で、シチリア島に到着したのが始まり、だというのが一部の研究家の説。
リモンチェッロ(リモンチーノ)は南部イタリア産ばかりではありません。

ガルダ湖のドライレモン各種。Zitrone とはドイツ語でレモン。ガルダ湖のどの村も殊にドイツ人に大人気。さすがサービス体制整ってます。

2011年6月16日

走るサラリーマン

季節も随分よくなってきたので、週末のヴェローナは観光客が溢れています。

今年多いのは何と言っても、断然中国人観光客グループ。ついでにドイツ語、ロシア語とメインストリートは外国語が飛び交っていて、珍しく高校生らしきイタリア語グループにもすれ違った時に、通り過ぎる間イタリア人かどうかを観察してしまった。

ともかく『ツーリスト』って楽しそうでいいな~とその頃が少し懐かしい。でも観光地へ行くと、大概観光客と同様に丁寧に扱われるので、好ましくあしげく通っています。




逆光で正面から撮れなかったのが残念。

この”サラリーマン”ミラノのドゥオモ辺りに居たような。ちょっと難しい状態で静止してるのが可笑しいのと、風になびいているネクタイや背広がリアルで感心、感心。踵だけでバランスとるのも大変そう、と思うが、時々は近づいてくる子供達と一緒に写真とるためにポーズも変えてるのね。




2011年6月7日

Il VITTORIALE

D'Annunzio のことを知ったのは、ペルージャ時代。
近代文学の先生が「ダヌンツォ研究家」だったせいで、講義が他のどの小説家の話をするときよりより熱が入り、生徒のひとりの私もおかげで興味津々、一言も漏らさずに聞き耳を立てて講習を受けていた。

だからあれから、時折 ダヌンツィオが関わった場所、作品にいくつか遭遇するときに一段と有名でエピソードがたっぷりあるこの方についてますます興味が湧いていました。
アンテナ張り巡らしておくと、引っかかる時がある、のですね。

さて、過去 Il VITTORIALE に出かけたものの、引き返したこと2回、しかし5月始め3回目の正直で、漸く入場出来ました(笑)


「Casa D'Annunzio(ダヌンツィオの家) 」の見学は所用約15分~20分。予約要、しかも入場にあたりバッグ等の持ち込み一切禁止、当然のことながら写真撮影禁止、入場人員10人までとなかなか厳しい。でも、彼のポリシー、美意識のことを尊重するならば、逆に当然だったかも、と充実した時間に大満足、また入場料の高さにもうなずけます。

「Museo "D'Annunzio Segreto"」はファンタスティック。ダヌンツィオの靴、部屋着の洗練された趣味には脱帽。靴なんて、今のイタリアンモーダも比ではない、時代を考慮するとかなり斬新なのです。
至る所に私の好みと一致するものが散らばっていて、庭園内散歩中もワクワクし通し、隅々まで見落としのないよう、十分時間をかけてたっぷり楽しみました。

文学の先生の語り口が熱くなっていた訳を妙に納得。好奇心が夥しく旺盛、そして明白な好みがあるというのは”魅力的”。 当時、当然のことながら女性にも大人気だったそう。(彼が女性好きだったのか?)同じ時代に生まれていたら、取り巻きの遠い遠いところのひとり、になりたかったに違いないと思うほどです。

Fondazione "IL VITTORIALE DEGLI ITALIANI"
25083 Gardone Rriviera (BS) - Italy
tel. +39 0365 296511 - Fax +39 0365 296512
http://www.vittorilae.it



ガルダ湖方面を観光する機会がある方、是非とも足をお運び下さいませ。

2011年5月19日

オルガン・ドゥオ、チャリティーコンサート

私が帰国中、四方山話会の何人かの有志達が立ち上がって実現した 東日本大震災支援チャリティーイベントの第一夜。
コンサートはお陰様で大好評、企画側も大満足の様子、皆さまお疲れ様でした!

14日(土)サン・ロレンツォ修道院で行われた愛さんとご主人の連弾コンビによるパイプオルガンコンサートの模様、ジャンピエロがYouTube にアップしてくれました。

http://www.youtube.com/watch?v=kHdv-1Jj3AM

私もチラリとね、出ていました。

2011年5月2日

帰伊報告

親しい方々へ



帰国中は皆々様忙しい中、相変わらずお付き合い頂き有り難うございました。

震災直後の到着で都内の電車は運休状態。しかしながら幸運なことにリムジン、高速バスを上手く乗り継ぐことができ、実家に到着するまでは予想していたほどの混雑混乱はありませんでした。(後に、翌日から成田便は欠航になったと聞いたので、驚いています。)

都内の強い風は、日本人の心に吹き込むかのようで、今思うとやはり殺伐としていたに違いない、、、

亡くなられた方々のご冥福をお祈り申しあげますとともに、被災された皆さま、そのご家族の方々に心からお見舞い申し上げます。

震災直後はすぐに多くの方々からお見舞いメッセージが入り、出発予定を知っていた知人親戚からも中止したほうがいいんじゃない?と心配してくれることも。本人は飛行機が飛べば、つまり成田は平常通り、成田から実家までは不都合もあるだろう、と予想していた程度。ここでは不安を募らせるニュースばかり報道されたので、無理ありません。

今からやはり思うのは、この時期に迷わず帰国して本当に正解だった。
実家は被災地から距離もあり、地震や原発に対する過剰な不安や心配はなかったと思うのだ。でも、日本列島全体に大災害のショックを受けていて、この事実に対して絶句してる状態が一週間ほど続き、約2週間後くらいから漸く、誰からともなく『頑張ろう』と立ち上がり始め、次第にみるみる元気を取り戻していく、遠くでは決して接することの出来なかっただろう日本の姿を見ることが出来たのだ。

日本を信用しよう(まあ、いろいろ憶測、反論はいつもある)、と再認識して帰伊を決断。飛行機も出発日から(ナント)通常運航になった、いやはや。

それにしても、帰伊直前に再び関東に大型の地震が続き、出発当日の朝、震度5を体験した時はかなり怖かった、、、。
どんなリスクもある世の中に生きているのだ、と実感。何が起きようとも悔いのないコクのある人生送らなきゃいけませんね。

こちらに戻り、早々から慌ただしく過ごしています。時差ぼけを感ずる暇はなかったけれど、さすがに移動中、目が回るってことも。でも半月過ぎてやっと頭も身体も回転してきました。

ご報告遅れてすみません、元気です。