2009年11月2日

Pienza

トスカーナ州の中でもシエナ県が一番お気に入りです。
ピエンツァはシエナ県の小高い丘の上に位置し、30分もあれば旧市街を十分散策できてしまうくらいの小さな町ですが、良く日の当たる散策道のベンチに腰掛けて、眼下の景色を眺めていると、ここを後にするのはちょっと残念なくらいです。

15世紀トスカーナの建築家ベルナルド・ロッセリーノによって都市計画が全面的に設計されたそうです。
1996年にユネスコの世界遺産に指定されているなんて、私のふるーいガイドブックには載ってなかったので、今回は夫の希望で、思いもよらず美しい町を訪れることができました。



ちょうど映画(テレビかな)撮影の現場に遭遇、きっと後に教皇ピオ2世となったピッコロ―ミニの話に違いない。



広場には撮影用の羊やロバ、民族衣装の俳優もウロウロしていたのですが、時代が変わっても全然違和感がなく町に溶け込んでいる。かえって現代人のほうが似合わない!?



すっかり市街写真を撮り忘れました。

ところでペコリーノチーズは有名ですが、その種類の多さはトスカーナならでは。ペコリーノ専門店というのがたくさん目につきます。

秋のトスカーナ

トレント今日は朝から雨降りですが、
先週末にかけてのトスカーナ小旅行は晴天に恵まれました。



シエナを拠点にモンタルチーノ~ピエンツァ~モンテプルチァーノとドライブ周遊。



丘陵のイタリア杉や葡萄畑の小屋、トスカーナ独特の景色でしょう?



葡萄の葉は秋色。

イタリアワインの有名銘柄ブルネッロの産地モンタルチーノには、新旧大小合わせると約200以上の醸造所があるそうです。
小さな町の中心地には試飲ができるエノテッカがずらり並んでいて、それぞれ店のオーナーはさすがに知識豊富です。購入するときは是非とも相談してみて下さい。

ラベルも大事な参考資料のひとつですが、『個人の好み』を持つのはもっと重要のようです。(大いに納得、大賛成。)

ブルネッロの赤ワインは5年以上の熟成で美味しくなるんだそう。値段の幅がとても広いので目的とお好みに合わせて購入しましょうネ。値段が高いイコール満場一致の美味しさ、とは限らないので。

2009年10月26日

炊き込み麦ご飯



「Orzetto alla Trentina」と呼ばれる大麦のミネストローネはトレンティーノの地方料理のひとつですが、今回はミネストローネじゃなく、アンコウの切り身で炊いてみた大麦(Orzo)ご飯。

たまには一味違って悪くないね、と日曜シェフ夫と味見係私、共々一応の合格点ピアット。

ちなみに「caffe` d'orzo」は、ファシスト政権時代、輸入規制でコーヒー豆が手に入らなかった頃に考案されたという大麦コーヒー。もちろん今でも好まれる方もいらっしゃいます。

2009年10月25日

初、焼栗

なんだか毎年恒例、栗祭りに行ってきました。
お祭りにいつも登場するこの大きなフライパン(?)、見ていて楽しくまた撮影。


私には今年初、焼栗。
お祭りの焼栗にはヴィン・ブルレがやっぱり合うなぁ、と自宅で食べるのとはまた一味違うホクホクの焼栗をほうばる。



ヴァルスガナ渓谷には栗の木林散策コースがこんなにたくさんあるんだそう。
今年は栗大収穫ですって。



そうそう、10月最終日曜日から冬時間に変わります。
もうそんな時期になったんですね。

2009年10月23日

折り紙工房 


Yomoyamabanashi会、Fiera Fa' la cosa giusta への協力参加。


いつも囲碁練習会でテーブルを借りているバリチェントロからの提案で実現した『折り紙工房』。

手前の金銀の鶴は囲碁でも黒帯Emikoさんの作品。ひとつの鶴を作り上げるのに約400個の小片が必要だそうですが、その忍耐と器用さにいつも感動します。

今回は寄って頂いた皆さんには、主に日本の色紙4分の1のサイズ6枚と12枚で作る『ユニット折り紙』に挑戦してもらったのですが、これ手も頭も使い、大人にも子供にもなかなか好評。

少しずつ形になっていき、だんだん嬉しくなってくる様子の子供たちとの折り紙、私たちももちろん随分楽しませてもらいました。

いつも大変お世話になっているEmikoさん、お手伝いしてくれたYukoさん、Anna、そしてカメラマンとして大活躍のお父さん(と呼ばせて頂いてます)お疲れ様でした。そしてどうもありがとう!!

2009年10月19日

近ごろ、、、

急に寒くなりました。外気温度7度なんて示しています。

いよいよ我が家も暖房をつけ始めることに。早朝から使用することになるバスルームは、寝起きでも駆け込めるようにタイマー作動にセット。他の部屋も少々暖めたい気持ちになるこの頃です。

急いで衣変えして、手袋も羽毛入りジャケットも出しました。ちょっと気が早いかなと思ったのだけれど、町を歩く人々皆冬仕度。しかしこれから本格的に寒くなったらどうしようか。

さて私事ですが、

数週間前から右半身石膏の塊を抱えたような感じ、激痛が走りキーボードも打てないという状態だったので、(打ってますが)ついに心配になり診療所に行ったところ、、、

あっさり『運動不足』と診断されました(苦)。
「ず~とこう首曲げてコンピューターいじってたら、運動もしなきゃだめだゾッ」それは、まぁ予想してたのですが、、、。
「このくらいのことで大袈裟に騒ぐんじゃない、もっと重病のひとはいくらでもいるんだから、まったく」
と逆にカツを入れられました。(医者に行けと騒いだのは周りで私じゃない。そしてこの日はとんでもなく混んでいた。)

「鎮痛剤は飲みたくありません、塗り薬を処方してください」とか生意気なことをいう私もイケないんでしょうが、以前も飲み薬を拒否したことをどうやら覚えているらしく、
「君たちの国とイタリアは薬に対する考えかたが違う、、、飲みたくないのはわかるがねッ。ジェルならいいかね、ン?」と不機嫌そうに答え、処方箋をプリントしてさっさと診療室から追い出されました。

そこで、君たちの国ってそれ中国のことなんじゃない?とまた勘ぐった私。鎮痛剤を飲まないのは個人の意思なんだけど。東洋人イコール東洋医学という図式は改めてほしいとまた『イタリアのお医者サマ』に対する猜疑心が、、、。

なんであの先生あ~も不機嫌そうなわけ?と夫に愚痴ると、
「ボクは小さい頃から知ってるからね、あーゆー人なんだよ。扱い悪いけど経験も豊富だし的確。ぶっきらぼうで可笑しいし、ボクはそのほうが好きだね。」との見解。そうですかね。

今年は健康を見直す年の様です。
騒ぐほどのこともないかも思いつつ、長~い待ち時間とぶっきらぼうな扱いを覚悟で、時々医者に顔出してます。

2009年10月8日

Ricciarelli - リッチャレッリ



シエナ地方の定番、アーモンド菓子。
最近ではトスカーナ地方のクリスマスクッキーとして知られている。

イタリアでは結構有名な話ですが、ミュージシャンGianna Nannini の実家がお菓子屋の老舗なんだそうで、今回夫のシエナ出張のお土産、Nanniniのリッチャレッリです。

私にも好ましい甘さ!!

2009年9月30日

Vincere

トレンティーノのジャーナリスト、マルコ・ゼニ原作の”la moglie di Mussolini” (ムッソリーニの妻)の映画化。

<ストーリー>
ムッソリーニには歴史に残らない妻と息子がいた(とされる)話しです。

イーダとムッソリーニは1900年代初め、ムッソリーニが一時期トレントで国家社会主義のジャーナリストとして働いていた頃に知り合い、後に宗教上の結婚をした。二人の間に生まれた息子は認知されムッソリーニの姓を名乗ることも承諾されていた(らしい)。

1915年、ムッソリーニはラケーレ・グイディと民事上の結婚をする。

一方イ―ダは最初の妻の立場を主張し続けるが、事実を証明する婚姻証明書、出生証明書は消滅不明。その危険言動により地元警察の監視下に置かれ、精神障害とみなされ病院に強制収容される。

息子はキリスト教法人の寄宿舎で教育を受け、後に海軍入隊、秘密警察の厳しい監視下で生活を強いられ、彼もまた後に精神障害とみなされる。

Marco Bellocchio 監督
Giovanna Mezzogiorno, Filippo Timi 主演
2009年カンヌ映画際参加作品


イーダが収容されていたペルジネの精神病院、現在は閉院ですが以前は妙なこと言う人々は即『精神病』と判断され強制入院されていたらしい、です。現在なら一般人でも。

この原作はムッソリーニの息子と名乗る男性の妻の話しをまとめたものだそうで、歴史ものは普通なら結構それなりに納得するんですが、これはちょっと逸話としても疑問が多すぎ、イーダの空事フィクションと考えても、あまり後味のよろしくない映画でした。

トレントでもロケが行われ、ソープラモンテ、ペルジネ、ドオモ広場、ドス・トレントなど馴染みの名前が飛び交い、見覚えがある景色がたくさん。
知り合いがエキストラで出演していてちらりと登場、映画のストーリー以外の楽しみはあります。

2009年9月12日

Did you know?

ほっておこうかと思いましたが、どうしても気になってしかたがないので載せておきます。



2008年版だそうです。
ん~と考えさせられます。

ブログ、Long Tail World に日本語版が。

2009年9月9日

朝晩肌寒くなりました

9月に入り朝晩随分肌寒くなりました。
先週末強い風が吹いたおかげでガルダ湖の霞もすっかりどこかへ。高台にあるトレモージネからは見えるガルダ湖も長い長い川のよう。



もう少し上ると、
見晴らしのいい場所にはやはり教会が建っている。



日中はまだまだ気温が上がり、日焼けも楽しめます。
ただし、ERが最後に付く月は太陽光線がお肌によくないとか。
リモーネのかもめたちは無関心みたいでしたが、、、



ちょうど夜9時からのコンサートの準備中でしたが、休暇も終わり、月曜日は早起きせねばならない私たちには日曜の夜ふかしは無理なので、賑わう人出を横目に退散。
数年前もオペラコンサートを観逃して残念だったことを思い出しました。
夏の終わりの恒例行事なんですね。

2009年8月25日

Pranzo di ferragosto

Pranzo di Ferragosto (2008年イタリア映画)ジャンニ・デ・グレゴリオ監督 

ジャンニはローマの中心地に母親と二人暮らし。一日のほとんどを母の世話と近所のオステリアで過ごす。
ある日コンドミニアムの管理人がやってきて、数年間の未払い修理費のかわりに休暇中母親を預かってもらえないかという提案をする。
ところが管理人は当日、母親のほかにやはり一人置いておくわけにはいかない叔母を連れてきて、断りきれないジャンニは2日間だけという約束で老女たちの世話をすることになる。
気分が優れない彼は友人の医者を呼び気を静めるが、友人もまた仕事の当直を理由に自分の母親を預かってほしいという頼み。フェッラゴーストの休暇を母親と初対面の3人の老女と過ごすことになるわけだが、、、



愉快な映画です。

ジャンニは結構戸惑っているのに、能面のような顔でどんなときもお年寄りに親切、老女たちのへそを曲げないように上手に気をつかっている。これはとってもイタリア男(ローマ男)らしい。
お年寄りたちはそれぞれにわがままで気まぐれ、もう他人には気を使いたくないからそれぞれに自由に振舞う。この気ままな人たちが、でもせっかくだからと打ち解けあって仲良くなっていくところが、さすがに憎めないイタリア人らしいなぁと。
ローマ人(と言っていいと思うな)の人付き合いや普段の暮らしぶりが垣間見られて面白く観ました。

Ferragosto
聖母被昇天の祝日(8月15日)
→フェッラゴストの祝祭(8月15日以降の約一週間)の起源は古代ローマのアウグストゥス帝が自分の誕生日に因んで制定したFeriae Augusti (8月1日の祭り)に由来。キリスト教の「聖母被昇天の祝日」Assunzione にあたり休日

映画と地元の特産品やワインを楽しむDOC 企画にて。

2009年8月18日

カ・ドーロ

<カ・ドーロ>

15世紀ヴェネチアン・ゴシック建築様式、ファサードを飾っていた金箔から『Ca’ d’Oro』 (黄金の家)と呼ばれる。フランケッティ美術館には大理石彫刻、ブロンズ彫刻、絵画コレクションが常設。



11月22日まで“L’Anima dell’Acqua”展を行っています。



8艘の木製の船、7箇所にモニターが設置されています。
海底にいるのか波打ち際なのか、または陸地なのか自分の居る場所の思い違いを起こしそう。



2階のバルコニーには魚が泳ぐ!!この向かいには魚河岸があるんですね。一瞬、つくりものの魚から臭うのかと思ったら、、、



船着場



歴史の中にある今―同時性という『共存』の試みが個人的にとても好きです。
私の甘味のひとつ、彫刻もモザイクも楽しみました。

2009年8月14日

ヴェネチア 夏編

暑い日、久しぶりに歩きました。
でもヴェネチアは何度訪れても胸がキューンとなる場所。



お馴染み、「ため息の橋」
ドゥカーレ宮殿が修復中のためその外観を抜けるような青空で目隠し。
牢獄に入れられる前の見納めにはラッキーとも思えそうな素晴らしい景観??



中央奥が「時計塔」
修復が終わってから(2006年)やっと見ることができました。



木造のアカデミア橋



リアルト橋



カ・ドーロのファサード
今回の目的はここ。外観も'美しい'につきます。

2009年8月10日

Egna/Neumarkt -エーニャの夏祭り

夫の休暇中でもここのところ朝起きて快晴というわけでもないので、日光浴も山歩きもどちらにするのもあまり思わしくない日曜日。
午後からトルコ祭りの行われているモエナに行っての帰り道、通りかがりに寄ってみたエーニャの夏祭りです。




Via Portici 


ボルツァーノ県に入るとすぐにドイツ語との二ヶ国語の看板が目につきますが、エーニャの町並みも行き交う人々も楽しみ方もなんとなくドイツにきたみたい。
1キロはないと思われるアーケード通りの3箇所の小さな広場にライブステージが設けられていて、大人のほとんどがビール片手におしゃべりしたり、音楽に身を寄せたり。アーケードの下にテーブルがセッティングここで飲んだり食べたり。

こちら本場南チロル風ストラウベン、トレンティーノより生地が細くてサクサク、そして量もたっぷり。

アーケード通りをまた奥へ入ると小さな中庭にまたドリンクカウンターがあって若者たちで賑わうディスコがあったりする。


家族連ればかりでなく、いろんな世代の住人ほとんどが外出してきたという雰囲気。
周りの皆さんほとんどドイツ語、なにしろ外人をじろじろ見ないし、おかげで一緒にホロ酔わせていただきました。

扇風機


夏も終わりに近いのに、、、

今年は売ってそうな場所に行くと必ず足を運んで『扇風機』モデルを見比べまくりました。結論として、もし置くなら傘のやや大き目の四枚羽のもの、素材は'ステンレス製'とほぼ的は決まっていたのだけど、ある電気屋さんで銅製のものを発見。

さすがにずしりと重く、大きな音はする、弱でもかなり風が来ます。

朝晩涼しくなったこのごろ、今年はもうあまり活躍しそうもないなぁ、でも来年からのためにと納得してやっと購入しました。

2009年8月5日

草々

ソフィアが自宅を訪ねてくれるというので、ヴァルスガナ線の最寄の駅まで迎えにいきました。無人駅ですが、電車が到着する前にはちゃんと『一番に到着します』と放送で案内があります。一番線しかないけど。
帰りの電車を待っている間には予定の10分ほど前に『5分送れで到着します』との案内が流れました。びっくり!(当たり前かな)



そうそう、彼女は一年間の予定で日本の高校へ留学、今月末日本へ出発します。厳しい選抜で奨学金を獲得した頑張り屋さん。
出発前の心臓が飛び出るくらいの期待と不安が手に取るようにわかるのと、彼女の前向きな姿勢に、できるだけ応援したい気持ちでいっぱいです。

Ape AC Calessino


1956年モデルのミニカーが発売されるっていうんで(しかも3,99ユーロ)買ってしまいました。まあオモチャです、でも付録のカタログにはちょっとした細部の説明もあってへ~となります。

軽トラック型、三輪車『Ape』、幌なしの型は今でもよく走っています。どれも畑道具なんかを乗せた仕事帰りといった様子、発売当初はきっと人を乗せる目的だったのが、需用が変わりいつの間にかモノを運ぶ専用になったんでしょう。

1948年にApe が誕生。有名なVespa の後方を二輪を伴った座席シートを固定し、メタルカバーに半円形の幌をつけたモデルは一頭立ての二輪馬車(Calesse)によく似ています。

Calessinoの名前の由来もきっとCalesse からだと想像できますね。イタリア語の接尾辞 -ino(a)は愛称接尾辞とされていて、小さなくて可愛らしいニュアンスをもちます。

そう言われてみれば横から見ると車体半分はべスパです。

2009年8月2日

8月2日 ボローニャ



1980年8月2日10時25分にボローニャ中央駅、2等待合室で置き去りにされたスーツケースが起爆、85人が死亡、200人以上が負傷した。

イタリアでは8月2日をすべてのテロ犠牲者のための記念日とする。ボローニャ市では遺族会とともに毎年追悼の意味で国際作曲コンクールを開催しているそうです。

写真はボローニャのマッジョーレ広場にあるネプチューンの泉(昨年秋撮影)

2009年7月30日

Spennaturisti

Spennare
他動詞[io spenno]

1、(鳥の)羽をむしる:~i polli ニワトリの羽をむしる
2、法外な金を支払わせる:In quell'albergo ci hanno spennato. あのホテルでは高い金をふんだくられた。
//-arsi 代名動詞  羽が抜け落ちる spennata 名詞(女)

 
"spennaturisti" とは観光客に対して高額なお金をふんだくるって解釈でしょう。
7月1日の新聞の一面に出てしまったローマでの出来事、ニュースはアジア各国に流れたらしく、観光客は肝に銘じてふんだくられないように気をつけてる、悪い印象を与えないように我々も注意しよう、と促した記事の見出しの一語。

以下ローマのレストランで起きた記事の要約。

:::::

ローマのナヴォナ広場にほど近い某有名レストラン(via Zanardelli)で食事を済ませた日本人観光客二人は支払いの際、その請求金額に仰天する。

昼食フルコースとワイン、水を注文して請求金額がなんと579.50ユーロ。何かの間違いではないかと確認を求めたが、レストラン側は一般的な金額であることを主張。

支払いにクレジットカードを渡し、戻ってきたレシートを見てさらに疑問を深める。レシートには”僅かな”チップとして許可なく115.50ユーロが加算されていたのだった。

そこで二人は最寄りの警察に通報。

警察が調査に向かったところ、観光客が注文したメニューと請求金額の不一致が判明する。おまけに、ついでに行った衛生調査で管理不足、環境不衛生、壊れた冷蔵庫などが発覚。

即日閉店に追い込まれる。

:::::

それでも、ますます気をつけましょうね、観光客、および在住日本人の皆さま。

2009年7月28日

イタチ、イタチ、イタチ、、、??

ガルダ湖南岸を分割する小さな半島に位置するシルミオーネの旧市街で。

訪れるたびにモダンアートパフォーマンスに出くわします。



突然広場に団体のイタチ(だと思うけど)現る、カラフルでたくさん居ると真面目な顔していてもキュートで可笑しい。



後ろ姿は人とイタチが完璧に共存していると思う。

2009年7月27日

イノセント・ボイス 12歳の戦場

Voces inocentes - 2004年メキシコ映画、ルイス・マンドーキ監督(112分)


’80年代、内戦中のエルサルバドルの内情を幼いチャバ少年の視点を通して描く。





深夜TVで放映していたのですが思わず最後まで観ました。

2009年7月26日

Bici



籠だけじゃなくフレームもサドルも柄も、泥除けなんかも、竹(バンブー)をカバーにしてるところが愛らしい。

バルドリーノにあるエノテッカのウインド-ディスプレイ。
買い物の中身は近年注目の'キアレット'ってことでしょうか。

2009年7月23日

たまごについて



ある日のテレビ番組で養鶏卵が市場にでるまでの特集をしていた。
そこで、早速冷蔵庫を開けて普段買う卵をみてみる。そうしたら、パックの裏にもちゃんとこういった説明がありましたよ。

卵のからには11桁の数字とデポジット番号
3 IT 123 TN 064
DEP0000

最初の数字は養鶏方法

たとえば<3>

0:バイオ(一羽につき10メートル四方のひら飼い、ベジタブル飼料)
1:ひら飼い(一羽につき2,5メートル四方のひら飼い、ベジタブル飼料)
2:ケージ飼い(7羽に対して1メートル四方の藁か砂地で覆われた土地、)日当たりのいい飼育場で常時点灯
3:ケージ飼い(25羽に対して一メートル15センチの止まり木)靴箱一足分を一生??
続いて、

<IT>
生産国
<123>
ISTAT―イタリア国立統計研究所 (Istituto Nazionale di Statistica) の略号―コードによるコード
<TN>
生産県
<064>
養鶏場番号

そして二行目はデポジット番号だそうです。

そして卵はデポジットされた日から29日間が賞味期間だそう。
確かにパックの表には日付けと賞味期間が記載。こんなに長いのね。

卵が一月近くも冷蔵庫のなかに残ることはまずないけれど、知っておいてもいいか。日常口にするもの、生産方法や生産地が明確なほうがやはり安心だし。

2009年7月21日

リ渓谷'食べ歩き'ハイキング

話は前後するけれど、先週末のサット(SAT)主催の『Luci e Sapori in val del Ri』参加報告。

メッゾロンバルドを夕方7時ころ出発、約400メートルの標高差のある渓谷の森を歩きグイエル経由ピアニまでの約2~2、5時間コース。SAT側は初心者でも大丈夫と言ってたけど、第一休憩所までたどり着くまでがかなりの急坂とおよそ岩場。
トレッキングを甘く見てはいけませんね。

そして各休憩所で待っていたのはご自慢の地元料理。
第一休憩所フリッテッレ・ディ・メレ(リンゴの揚げ菓子)とカナッペ
裏側でリンゴの薄切りを揚げているボランティアの方たち。



まだ日が暮れないうちに、丘の上からメッゾロンバルドを望む。


第二休憩所、ストランゴラプレーテのニョッキ詰め
そして暗い森の中を足元に気をつけながら先へ進み、漸くたどり着いた終点地には、トルタ・デ・パタテ(ジャガイモをすって揚げたタルト)とチーズ、ハム、キャベツ、インゲンの夕食とワイン(水)が待っていて、軽スポーツ(?)の後ライブ音楽とおしゃべりで参加者皆さんおおいに盛り上がっていました。



帰りはピアニから出発地点のメッゾロンバルドまで送迎バスが運行。

途中で何度も帰りたいと思っても、引き返すに引き返せない、最近あまりトレーニングしていない私たち、試練のトレッキングでしたよ。しかし試練の後は『達成感』というのがあり、そして日頃のもやもやも汗とともにふっとぶ、のも確か。

そこで簡単な教訓:
1、靴はトレッキングシューズを着用すべし。普通のスニーカーでも大丈夫と言われたが、特に雨降りの後で下り坂はすべりやすくなっているし、軽いエクスカーションでも断然トレッキングシューズがお薦め。
2、日が暮れないうちはトレッキング中かなり汗ばむが、第一休憩所はひんやり森の中。あっという間に汗がひくので、体が冷えすぎないようにセーターやフェルパなどを用意して休憩中は着込む。
3、ステッキがあればなお便利。上り坂、下り坂ともきっとお役立ち。
4、ジーパンより動きやすい運動服を着用する、できれば通気性がよく防水性のもの。
5、リュックは肩ひもの幅の広いものがよい。
6、夕方からのトレッキングに懐中電灯は必須。

スポーツをする時はそれなりに身支度することが基本。
トレッキングも安心感と歩きやすさで苦しさも楽しさに!(変わってほしい、、、)

2009年7月20日

太陽(と)エネルギー

あまりの暑さに辟易していた先週、金曜には夕立がきました。夜21時30分からの野外シネマには上に厚手のトレーナーを着てちょうどいいくらい。
映画はクリント・イーストウッド監督主演の『グラン・トリノ』、マッタレッロ住民センターの中庭で。夏の野外シネマ、音響がいまいちという欠点はあるけど、大きな画面で映画を観たい私は毎年実は楽しみにしている。

さて、土曜日の午前中はバケツをひっくり返したようなどしゃ降り。(もうこんな風に言わないか?)
日曜日は快晴。毎度のことながらトレントを脱出、ガルダ湖方面へ出かけました。



これはトレント県を走る高速道路のガードに建設されたソーラーシステム。日当たりの良い土地柄を利用した賢いエネルギー開発。



自転車レースの競技者にとっても幸運な日曜日。高速アフィ出口からバルドリーノへ抜ける途中のロータリーで偶然出合う。
全長どのくらい走るのか知りませんが、この方たちのエネルギーもかなりのもの、、、

2009年7月15日

うんちくオジサンの買い物


幼なじみの最近の買い物だそう。
いい色の車だったのでブログに載せていいかと聞いたら、許可がでました。

オジサンのうんちくは下記の通り。

ミニはイギリス生産ですが輸出もしています。世界で右ハンドルは自分が知る限りイギリスと日本だけ。
輸出する各国の基準に合わせて細部を変更します。イギリス右ハンドル→イタリア左ハンドル等もろもろ。
1、今のミニはBMW
2、その前のミニはローバー
3、おじさんの今回のミニは30年前、(イギリスBLMC社)とおなじ、今では稀少ということ。(形は同じでも細部が違う・・・・ここ重要)


そこで、夫が写真も見ずにイノチェンティのことか?と聞くので再びメールすると

'おしい、、、'と拡大文字で。また違うモデルでイタリア仕様ってことらしい。でもついでに他にもうんちくを述べてくれました。

イノチェンティは1966年にイギリスBMC社(ミニの最初のメーカー)とライセンス契約を交わし1976年ころまでイタリアで生産していましたが、イギリスのミニとはちがいます。(外見はにているけど)車をみるとイタリア人とイギリス人との違いがわかります。

イギリスミニとイノチェンティミニの違い。

イノチェンティは1300ccで合理的に三角窓にしてグリルも黒くシンプルなメーターから7連メーターになり、オーバーフェンダーでシートもバケットタイプになりました。・・・・ちなみにイノチェンティはスクーターも作っています。日本では当時物が50万~70万します。・・・べスパとはちがいます。

日本人が考えるイタリア人とイギリス人との車にみるちがい。

保守的かつ伝統的な古いイギリスミニ、よりスポーティーでおしゃれなイタリアンミニ(おおよその形は一緒)くわしくないと気が付かないでしょう・・・
現代の車にも表れているよ。癖があるデザインのアルファ・・・チーズやアンチョビのようにやみつきになります。日本でいったらクサヤ、臭くてXXのにおいがするけど癖になるみたいな・・・・


というご返事。

確かにイタリア車は、というより身の回りのあらゆるモノにおけるイタリアンデザインは永遠に『スポーティでお洒落』がコンセプトなんじゃないかな。一般ドイツ車はどれも合理性を追求している感じの印象を受けるのと同じでしょう、時に戦車みたいに見えるものもある。(お好きな方失礼!)

夫に意見を聞いたところで、彼は『国産品推奨派』だから'当然だね、何をいまさら'という顔をされるだけでしょう、最近はそれも少し納得できる気もしないでもない。

というわけで、近所で古い型のミニクーパーを見かけたらそれは自称うんちくオジサンです。

このあたりでも時々出合うクラッシックカーにこだわっている人たちの集合写真『』はアーカイブ Cantine-Aperte fiat600 に行ってみてください。ミニクーパーでなくて残念ですが。

2009年7月14日

暑くなるそうです

日曜日、怪しい雲行きの早朝ちょっと心配しましたが、午後にはなんとお日様も顔を出してくれたから、どうやらお天気は私たちの味方だったんですね。

標高1000メートルくらいの山小屋のテラスを借りグリル2台を持ち込んでの'Onigiri de BBQ’昼食会を行いました。トレンティーノ日本文化交流会『四方山話』の提案した在トレンティーノ日本人と日本文化に興味を持ってくれているイタリア人たちの全員集合バーベキューです。

肉の串刺しコンビネーションは夫、野菜の準備はアンナと二コロが担当(この二人には今回たくさん助けてもらいました)日本人参加者全員にはおにぎり持参をお願いしました。たくさん握ってきてくれてありがとう。天気のおかげ(?)でほぼ自然を貸切状態、やっぱり野外は気持ちがいいです。
またキョウコさんには経理部門で、そのほか当日お手伝いをしてくれた皆皆さま本当に感謝してます。

会員の方のひとりから『いろんな年齢層がうまく溶け合っていて好いグループ』というお褒めの言葉を頂いた。これは私も願っていることのひとつだったので嬉しい一言。

ここに住むのも何かの縁だし、家族や友人たちと遠く離れて暮らす海外在住組も、近くに住む知人が次第に遠い親戚まがいになってくる、時々お互い元気を伝えあうというのもいいんじゃないかな。

家族や親せき、親しい友人たちと離れて生活することを一番残念がってるのはきっと私自身で、ワイワイ楽しんでた日本の生活を取り戻そうという気持ちも大いにあることはある、、、んですが。

一晩明けて、月曜日の新聞によると今週まさにアフリカ並みの暑さがイタリア全体を襲うってことらしい。
これは比喩ではなく本当にリビアから来る熱気なんだそう。7月だから驚くことではないけれど、シチリアやサルデニアで37度を越す、と予測され、この暑さが北部に到達すると、ピエモンテからヴェネト地方では湿気を伴う35度以上、40度にも上がることも予想される、ってことらしい。いやはや。

一人暮らしのお年寄を家庭訪問するシステムが整っている行政区域が少ないらしく、今週襲う高気圧に備えて慌てていろんな地域で住民票を再チェックしているらしい。

我が家はマンサルダといって屋根裏を利用した住居方式(ロフトです、つまり)で夏はかなり室内温度が高くなるんです。でもトレントは暑くて大変なのはせいぜい2、3週間。エアコンを入れたらもう外出できなくなるだろうし、公共バスにも乗れなくなりそう、デザインの気に入った扇風機もいっこうに見つからないし、毎年エアコンも扇風機も買い損ねている。さあて今年はどうしようかと。

とりあえず、全国ニュースで健康管理を促しているのにしたがって、ジェラートをたくさん食べ、水分をたっぷり摂取する、これは遂行するつもりです。

2009年7月3日

四方山話サイト


しばらくお知らせしてなかったトレンティーノ日本人交流会『四方山話』のこと。

昨年10月から10回コースで日本語勉強会基礎編1を行いました。
とても楽しく優秀なステファニア先生を迎えて、また参加者たちも即仲良くなり励ましあいながらほぼ全員皆勤、大満足だった様子です。次の段階に進みたいというほとんどの参加者の希望で、2月に基礎編2を再開し、5月初旬に相変わらずの大好評で無事終了しました。参観に行きましたが、ステファニア先生率いる本当に良いグループです。

コース終了後、ステファニア先生と以前からコラボレーションしていたCinema Vertigo のジャンピエロの絶大な好意により、会員限定の邦画DVD上映会(日本語オリジナル版)が実現。日本語コースに参加したイタリア人はもちろん、在トレンティーノ日本人には大評判。一番喜んだのは私自身、かもしれない、、:)残り一回を残すのみ。

上映する邦画がどれも良質なものばかり、私たちの習慣や民族性を垣間見るいい機会です。ジャンピエロともちろんステファニア先生の日本文化に対する関心と愛情の深さからくるものでしょう、嬉しいネ、感謝、感謝です。

囲碁練習会もどうやら定着。黒帯エミコさんいわく、面白くなって通っている人はどんどん強くなってるらしい。エミコさんが時々「う~ん、そう来ますか?」と日本語で呻り対戦相手もニヤリとすることもあり、彼らも相当真剣です。

最新ニュースは念願のホームページの構築。
日本語勉強会参加のひとりアンナの協力で着々と建設中です。彼女の世代はこれが普通なのかな、最新の技術情報に敏感で、とにかく仕事が早い、その都度感動してます。

まだイタリア語版のみですが、フォーラムは日本語入力可。トレンティーノと日本の写真が次々に入れ替わり、見ているだけで楽しめるので興味のある方は是非ともwww.yomoyamabanashi.it へ。

只今野外で集合するバーベキューを計画中。どうかお天気が私たちの味方になってくれますように。

2009年7月1日

走り書き、7月今日から変わること

今日から変わるんだそうです。

<その1>
携帯電話の海外通話の料金値下がりー現在の通話料金より平均0.28ユーロ(IVA別)の値下がりになるそう。発信については0.43ユーロ以下、受信については0.19ユーロ以下になる。海外とはちなみにEC加盟国における、ってこと。

<その2>
電気料1%、ガス7.7%の値下がり。
従って、一年で通算すると一家族あたり、およそ電気代5ユーロ、ガスおよそ80ユーロの節約になる計算だそうです。




<その3>
イタリアン・オリーヴオイルといえば、エキストラ・ヴェルジネ(ヴァージン)。
メーカーラベルにオリーヴの原産地を記載することが義務づけられる。出所を明確にすることがひょっとすると値上がりの理由にもなりえる、と思う。もともと純正のはずには違いないが、純正だから値段が高いんですよ、とかね。

2009年6月30日

ミラノ大聖堂



早いもので旅券の更新時期になり、領事館へ出頭することになりました。
地方在住者には当日発給という計らいをしてくれます。その際には領事館に事前に連絡をして、当日は11時ころまでに出頭、午後3時か4時ころ受領が可能。ミラノ行きは一日で済み、待っている間に昼食とチェントロ散策できるわけです。

長い間修復中だった大聖堂のファサード、ひさしぶりに満喫しました。

ちなみに旅券は近年始まったICチップ内臓のごわごわしたもの、使用保管についても指示されているのでちょっと扱いに不安になってくる。また顔写真について細かな規制があり、領事館推薦の写真屋で撮影するものの、髪が眉にかからないようにくれぐれも注意され、旅券の出来上がりは「顔写真」付きに。(ま、仕方ないか)

なんとこの日領事館近くで偶然ヴェネト在住のろんまさんにばったり。地方在住同志なのに、こういうこともあるんですね、、少々の時間を一緒に過ごして大聖堂の前で記念撮影。お互いに『元気』が確認できて嬉しかった日でした。

2009年6月13日

ダンテの説教



5月中旬からインフルエンザにかかり高熱がでて、その後激しい咳が続くという体調不良と葛藤していました。というとちょっと大袈裟ですが、いつもの『咳シロップ』も今回は効力なしで、長く咳に悩まされていたのです。聞けばけっこうな数の人たちが同じような症状で体調崩していたそうです。
初旬ごろ急に暑くなり、夏が来たつもりになり薄着になった途端にまたまた雨振り、肌寒い日が戻るという不安定な天候にうまく体調がついていけなかったんですね、、

そうこうしているうちに早くも6月。調子の悪い状態にもいい加減厭きたし、久しぶりによい天気になったのでチェントロに下りました。晴天の午前中はほんと気持ちいい。

駅前でバスを降りると左前方にダンテの彫像、青空のもとくっきり見えること!いかにも説教している様子にちょっと親近感を覚えてしまった次第。

ちなみに、ダンテ像は19世紀末トレントがまだオーストリアハンガリー帝国下時代に、イタリア文化の象徴として建てられたそう。フィレンツェの彫刻家チェーザレ・ゾッキの作品です。

2009年6月10日

『果てしなく美しい日本』ドナルドキーン著


#本の構成#

学術文庫序文
第一部 生きている日本: 足立康訳、1973年8月、朝日出版刊
第二部 世界のなかの日本文化: 県民カレッジ叢書37、1993年3月、富山県民生涯学習カレッジ刊(1992年7月20日、夏期講座富山会場における日本語による講演)
第三部 東洋と西洋: 足立康訳、1999年10月9日、ザビエルイ上陸450周年記念国際シンポジウム記念公園英文原稿

『生きている日本』として1958年ころニューヨークの出版社から刊行され1973年日本語版として朝日出版社から刊行、講談社学術文庫版は生きている日本にふたつの講演内容を掲載、書名を『果てしなく美しい日本』として再刊。

近頃のわたし個人の関心事『日本とは、日本人とは』について大いに満足させてくれる一冊。
著者の前書きにも述べているとおり、50年前の外国人の視点から見た日本の姿は現在では大きく変わっていることも多い、しかし変わっていないこともはるかに多いことに納得。

第三部の東洋と西洋の講演でも指摘、

ここ50年間、日本は世界文化の不可欠な一部となりました。今日では、日本の寄与しない世界など、ちょっと考えられません、、、(略)日本独自のやり方を根本からかえはしませんでした、、(略)たとえどのような美味が外国から輸入されようと、日本人は永久に日本食を好むでしょう。
家についても事情は同じです、、、(略)たいがいの俗説同様、、、(略)日本人は木の家に住むのが好きなのです。
(中略)
日本人はけっして自分の文化を放棄するつもりはない、、、
(中略)ともあれ、世界の文化が将来どのような道を歩むにしろ、日本が主要な貢献をなすことは間違いありません。


と締めくくってくれているところはまさに共感、また一外国人が日本文化を好意的に評価記述しているのでさらに嬉しくなる。
ただし、数年後にどのように変化しているか、ひょっとして明日にでもこの日本感が古いと感ずる日が来るかも知れないとふと心配になるが、ここの永久にという言葉がより永い時間であることを祈って。

足立康訳、ぜひ一読を。