2008年8月13日

道具



山岳地方で見かけた家の壁にかけてある、ひょっとしたら意図的に飾ってある(?)かつての仕事の道具。
鍬とかのこぎりくらいはわかるけれど、一部しか残ってないものもあり、さて何に使うのだろうかと気にかかったので。

2008年4月21日

007

久しぶりの晴天の週末、リモーネまでドライブ。
ガルダ湖の西岸、細いカーブと崖を掘り起こして出来たと思える絶景の古いトンネルを抜けると、車道から下る坂に沿って小さなリゾート地Limoneがあります。

ちょうど今ガルダ湖で次回の『007』のロケーションをしているのです。(書いているうちに終了したかもしれませんが。)前々日(?)トブリーノ近郊でロケ中、スタントマンが運転を誤り車ごとガルダ湖に転落、スタントマンは無事脱出に成功、すばやくレッカー車が到着、撮影用の車も引き上げられた、というニュースを小耳に挟んではいたのですが、、、

次の撮影予定地であるリモーネにありましたね、それらしき撮影用の『車』。我ながらこの野次馬根性に少し苦笑いしながら、写真に収めました。ちなみにコムーネの掲示板いっぱいにロケに関する記事が張り出されていましたヨ。

憶えていたら次の『007』をお見逃しなく!

2008年4月6日

映画-『8月の狂詩曲』

黒澤明監督、1991年日本映画。
Cinema Vertigo のジャンピエロの絶大なる厚意と協力により2月から3月の間Barycentroで行った『SERATE A TUTTO CINEMA』の日本映画上映会の上映作品のひとつ。どの作品も様々な観点でいい映画ばかりだった。在日本人にとっては“家”を思い出す、日本を知らないイタリア人には“日本”を垣間見られるいい機会だったと思う。ホントにありがとう、ジャンピエロ。
記憶の新しいうちに、感想を。

<ストーリー>
戦後45年、長崎の田舎の祖母の家で夏休みを過ごす4人の孫たち。被爆地の長崎市内を訪問しながら歴史の中の出来事、第2次世界大戦について考えていく。またハワイに移民した祖母の兄弟のうちのひとりの息子(リチャード・ギア)が祖母を訪ね長崎を訪問、原爆記念45年にあたるその夏にアメリカ国籍の甥と初対面を果たす。

ジャンピエロも言っていたが、日本語オリジナル版の良さは特にリチャード・ギアが日本語を話している部分にあるのでは。日系二世の役柄の真摯な感じがとてもイイ。ハワイには日系人が多く住んでいることは周知だが、様々な理由で海外に移民し、現地で成功を収めている背景には家族とは疎遠にならざるを得ない犠牲もあるのだ。彼等の子供達は日本人の血をひいていても、完全な英語を話す米国人として成人する。

始めて会う伯母とそれほど流暢ではない日本語で会話するシーンが穏やかで印象的。親や自分のルーツを尊重する気持ちが無意識が働くのだろうか?これは終戦後のアメリカと日本の理想的な関係を象徴しているかのよう。

ひと夏の不思議な縁の対面と、原爆を思い起こす雷を伴う豪雨、それも湿気の多い日本の夏には起こる天空が狂ったようにまた怒ったように降る激しい雨のなか、人も恐怖で我を忘れたようになるシーンで締めくくっているところが、映画のタイトルの『狂』と重なるのかな。

常に疑問に思うことだが、被爆地の日本はこの歴史的過去についてどう受けとめるのが公正なのだろうか。

2008年3月21日

走り書き、3月

事務所の女性が別の仕事が見つかって急に辞める事になったのだけど、来てくれないかしらとボランティアでお手伝いしている事務所から電話がかかってきた。半信半疑で『ハ、いいですけど、こんな私でよかったら。』(どこかで聞いたような台詞)という簡単な合意で、短期契約であるが毎日働くことになった。

イタリアに来てからというもの早寝早起きの習慣がすっかり身についたので、朝8時半出勤という、画期的な時間帯で引き受けた。でもまあ、やれば出来るもんですね。これも習慣になればどってことはないかも。speriamo!

出勤2日目、バスの乗換え5分の予定が先のバスが案の定遅れて、久しぶりに人中走りました。朝のあの時間目立ってしまったな、と反省。なにしろイタリアで走る人、見た事ありませんから。

5、6分遅れそうになった時に連絡し、事務所で、こういうこともあることをご承知おき下さい、と事情を説明したら、『多少の時間の遅れを気にするよりも、もっと気にしなくてはいけないことが山ほどあるのよ。大事なのは来ることだから、そういう些細なことは心配しないように。』との返事。

本当にそうだと思うが、日本人のメンタリティでは出勤時間厳守、が原則だし。
私自身がなぜかイタリアに来てから急に時間に神経質になって、ほぼ15分は遅れてくるイタリア人より時間を守る几帳面な人側になったのはちょっと不思議な現象だと思いつつ。

おかげで翌日からはバス1本逃しても慌てないことにした。そこで遅れてもせいぜいわずか数分のことなので。

環境は予想していたものよりもずっと良く、とにかくここの一番偉い『会長』女性であるが、腰の低さには恐れ入る。小柄なこの女性は声に張りのある人で、スゴイ数の人から絶大な信頼を得ている。そしてその人達の強い賛同と快い協力を得て大きなプロジェクトを運営している。でもちっとも高慢なところがない、こういう女性に会えたのはちょっとした幸運かもしれない。

春だから、私にも新しいことが始まったかも、と思うような3月の出来事である。

2008年3月1日

卒業後の試練

甥の大学卒業のお祝いに駆けつける。
こちらの学生が大学(高校もだが)を卒業するためにかなり一生懸命勉強するっていう姿には感心している。それに学生時代勉強した事を就労に生かす、という社会全体の姿勢も。

甥も同様、多くの試験を通過、分厚い論文を提出。それから卒業のその日までは論議の準備も怠られない。
フェスタに呼ばれた私達など、彼が新品のジャケットにネクタイを結び緊張している様子、同日に卒業する同級生やその仲間たちがドアの外で励ましあったりする様子なんかをカメラに収めたりして、呑気なものである。

教授とのディスカッション会場には、親戚と友人一同がガサガサ入場。最初相当な早口で始まった論議も、皆が会場に着席して静かになったころにはやや落ちつきを取り戻したらしい。この騒々しさがきっと本人の緊張を高めたに違いない、、。ひととおり質疑応答が終ったところ退場、もう一度呼ばれて自分の合格点を知らされ、改めて卒業を認められる。

無事卒業。おめでとう!!

しかし、

祝う前に『試練』があって、卒業の印である月桂樹をいだいて町を練って人通りの多い街頭へ。その後をぞろぞろついていく、私達親族友人たちの列。
どうやら恒例の“コンパ通り”があるらしく、そこへ到着すると彼はガールフレンドからジャケットを脱がされ、ネクタイを解かれ、シャツを脱がされ、この寒い中下着一枚になる。そして友人一同が作ったトンネルを何回も裸のまま通り抜けさせられる間、身体中滅茶苦茶にひっぱたかれる、背中が真っ赤になるまで。

いい加減なところで、漸くTシャツを着て、ついでにビニール袋もかぶせられ、ガムテープで巻きつけられて、その中に野菜や生きた魚も突っ込まれる。他の同級生は身体中にマジックで何か書きこみ、その後は生卵を投げ、小麦粉を顔中塗りつけられる。洗いものを強いられたり、同級生の言いつけに従うままである。

やはり寒いからというのもあるし、酔わなきゃ出来ないというのもあるだろうが、ワインボトルを手渡されて『Bevi』コールを何度も受ける。そして、友人たちがあらかじめ用意しておいた、在学中のエピソードをもじった彼のストーリーを大声で読み上げていく。その間も小麦粉シャワーを浴びたり、野次がとんだり。

卒業後の初の試練がこの街頭での長い恥ずかしいパフォーマンス。

人通りの多い街頭での同級生のキツイ冗談には思わず苦笑いしてしまうもので、親も親戚も知らない、友人だけが知る甥への“お祝い”。まあそれだけ在学中は『愛された』ということらしい、、、。

フェスタ会場はシャワー完備のレストランで。
彼がすっかりりりしい姿で再登場するまで随分待たされたのは、髪についた卵はなかなか落ちないだろうとか、足についたガムテープをはがすのは大変とか、香りに気を使ったとか、鏡を見ている時間が日ごろから長いとか(イタリア人は皆往々にしてナルシストだし)様々なことが想像できた。

私達は次々出てくる料理と飲み物に感嘆して、彼の仲間たちはいとおしい『同期のサクラ』の卒業に相変わらず浮かれていた。

食後のお菓子の後、このフェスタの締めくくりにチョコレートのサラミが仰々しくワゴンに乗って運ばれる。卒業した本人が、端のシッポを切って次の卒業予定者に投げ渡される。受け取った友人が次の戦士、先輩からのエールというわけである。ここの学生たちの慣習だそうだ。

卒業までの楽しく苦しい日々を思い返しながら、その日も緊張いっぱいの朝を迎え、称号を頂いて漸くほっとし幸福感を味わったのはきっと甥だけではない。両親も親戚も同じくらい感慨していたようだ。

帰る頃にはなんだか甥が『dottore』にふさわしい、また一層美男子にも見えてくるから不思議。(もちろん手前味噌!ですが)

2008年2月18日

徒然

Yomoyamabanashi料理教室の第2グループもお蔭様で催行を決定、先日初回を迎えた。日本食といっても、私達の提案する料理教室は日本食の代表みたいになった『Sushi』と『Tempura』を家で作ろう、というもので、料理を通して私達の習慣や食文化を紹介するひとつの試みである。

近年タイ・アジア食材店ができてからは調味料の多くが手に入るようになったので、工夫次第で『日本の味』に近いものが自宅で作れてとても助かっている。しかもここのオーナー夫妻も親切で会の料理教室の材料調達でもお世話になることがしばしば、協力的でありがたい。

先日店の奥さんから、たくさんの顧客からタイ料理教室をやったらどうかと言われているんだけどどうしたものか、ともちかけられたので、確かにこれは私達日本人にも面白そう、今度共同企画しましょうヨ、と答えながら、でも私はタイへ行ったことがないのだと思い出した。

タイには日本食品の工場もあり、『スシ』も『天ぷら』の他、彼等にとっては日本食も身近なものらしい、この店に置いてある菓子類なども日本製かなと思うようなものもある。

一方私自身は、かつて訪れたアジア各国ではいつだってその土地の料理が口に合うことがなかったので、(旅行や仕事で行っているからごく一部のものの評価にすぎないけれど)日本でそれを食べようという意識に欠けていた。唯一タイという国はいつか行きたいという希望はかなわず、こちらに来てしまってますます遠い国になった。日本にあるアジア料理レストランに数回足を運んだくらいで、よくよく眺めてみるとこの食材店に並んでいる野菜や調味料の類もどうやって使っていいかも見当もつかないくらい、無知である。

またトロピカルな国=濃い辛い味つけという図式が頭の中で出来あがっているし、混沌ととしたイメージのある国、トムヤンクンくらいしか思いだせないからきっと沢山の材料や香草を混ぜるんだろう、、、とかますます???である。

つまり自分が知っていることは少ない。知らないことは人にも薦められないし、それをどう形に出来るかは少し知ってから、興味を持てるかどうかもその後のことだ。
だから残念ながらちょっとこの案は一時保留“オアズケ”である。何か良い案がある方は是非一報を!

2008年2月8日

会員証

 なんだかここのところ“44匹の猫たち”ではYomoyamabanashiの話しばかりですが、、

暫く前からNatsukoさんにいろんな種類の用紙の組み合わせで試作品を作ってもらいながら思考錯誤。彼女の忍耐と創作の協力に感謝、感謝です。遂に納得いくものが出来あがりました、『会員証』です。

傍からみるとどうでも良い些細なことのように思えるけれど、好ましいものを作りたい、という気持ちからです。せめて自己だけでも満足しないとね。
いいでしょ?と言えるもののほうが、何事も説得力があるというものだから。

2008年1月31日

映画 『la giusta distanza』


<監督> Carlo Mazzacurati
<出演> Giovanni Capovilla, Ahmed Hafiene, Valentina Lodovini, Giuseppe Battiston, ecc.

ジョヴァンニはポー川を望む小さな田舎町に住むジャーナリスト志望の18歳。地方紙の特派員記者をしていることは誰も知らないし、記事にも氏名が載らない。
傍ら私生活で大型廃棄物のなかから見つけた二輪の修理をするために近所の工場に通っている。そこに勤める善良なチュニジア人技師アッサンと短期で赴任してきた、若く美しい小学校の教師マラの間に芽生える恋心を遠くから見ている。


題名が示唆しているが、ある相応しい距離をおいてひとつの事柄を眺めていくと、近距離ではわかり難かった事実が見えてくることがある、これは映画の中でベテランのジャーナリストが若い彼にアドバイスした言葉の意味。

時にある村祭りに皆が参加したり、唯一あるレストランにどの住人も通っているような、長いポー川沿いを中距離バスが1時間に数本通るような、大きな魚が連れたことが大きな話題になるくらいの平穏な日常生活は、逆に異常でさえもある。

昔ながらの土地に新しくやってきて暮していくのは、少し好条件の外国人と似たようなものだ。でもだから尚更慎重でなければならない。外人はさらに悪条件で暮していかなければならないから、余程である。

表面的には“外国人は悪いやつばかりじゃない”のは皆わかっているようです。でも何か問題があったときには、顔が違い、話し方が違い、習慣も違う『誰か=外人』を疑うのが、一番都合がいい。だからいつも大抵少し弱い立場に立ってしまうわけで、しかも賢く立ち振る舞う人でなく、生真面目にやっている人間がその不利な立場に立たされることも多いというのも事実。

大きな事件にかかわらず、日常的に起きていることです。

従って(知らない土地で暮す時は)自己防衛を心がけ、忍耐力をもって慎重に行動する、、、なんかいつも同じ結論にたどりつくなあ、とは独り言ですが。

2008年1月28日

日本料理教室ー第4回

Yomoyamabanashi 日本料理教室、第4回目『天ぷら』



天ぷらはたくさん揚げるともう見ただけで美味しそう、です。

トレントでも日本の某有名メーカー『天ぷら粉』が手に入るようになって、材料を切って揚げるだけになりそうだったので、(イタリアでも海の幸の揚げ物はありますからね、、!)『和食の特徴をつけるための一工夫』をインストラクターを担当してくれているKYOKOさんにお願いしました。

“衣を変える”ことと“かき揚げ”は日本風のアレンジ、私達のちょっとした食文化の紹介になったでしょうか?



後から気がついたのですが、参加者が菜ばしを不思議そうに試している様子。
皆さん食べる時の箸は上手に使えるけれど、この長いのは苦戦したに違いありません。イタリアでは、同じ用途で大型のピンセットみたいな調理器具が存在します。

この料理教室は今回が最終回。共通の『いつもと違う料理』に興味をもった人達の集まりであったことはもちろん、偶然同年齢くらいの女性が多い小人数グループだったせいか、あっという間に皆さん仲良くなり、和気藹々とした調理実習の時間を作り上げてくれました。

日本の習慣や食文化、料理に興味を持ってくれて参加してくれた皆さんはをはじめ、実習担当のKYOKOさん、それから参加者登録の受付、問い合わせ等一切を引き受けてくれたチャギくん、お手伝いにも駆けつけてくれた囲碁部部長レイクくん、AIさん、MASAKOさん、遠くから鮮魚の仕入れ担当してくれたNATSUKOさん、場所を提供してくれたVillaの方達、そして台所のロベルトなど、たくさんの方達の協力を得て小さな料理教室を開くことができました。皆さんの応援とご協力にとっても感謝しています。どうもありがとう!!

これをきっかけに、どうかトレンティーノの人々が『日本』を一層身近に感じてもらえますように。

2008年1月16日

映画ーLa Sconosciuta

クリスマスから年末年始は風邪をひいたり、車のトラブルがあったり(事故ではなく)ちょっと冴えない長い長い休暇でしたが(?)、逆に考えれば、おかげで自宅でゆっくり休養することができたとも言えるかも。

この間に今まで見逃したイタリア映画をまとめて何本か観たのだけれど、偶然にも『移民』『外国人』と『国民』の関係について別の視点から、でも共通して『より良い解決とは?』という疑問を残したものばかり。『共存』とは確かに現在の、この国の大きな緊急を要する課題のひとつなのだ。

そのうちの1本“La sconosciuta” は、ウクライナから『イタリア』の裕福で閉鎖的な住宅地域へやってきて暮し始めたイレーネという女性の物語。

<監督>Giuseppe Tornatore

<出演>Xenia Rappoport, Michele Placidi, Caludia Gerni, Margherita buy ecc,


直訳で『見知らぬ女』でも『異国人』とも言える、または『外人』。
でもこの題名は実際に、どこからやって来て、どんな過去を持つかもしれない異国人に対する受け入れる側の不安、猜疑心と新参者である主人公をよく表していると思う。実際未知であるから。

イレーネは幸(ある意味で)を求めてイタリアにやってきたのにも拘わらず、目的を果たすどころか自らさらに大きな賠償を請け負うことになる。ひとりの不幸な女性の例にすぎないかもしれない。でも過去を捨てて異国で生きている人というのは、例えば貧困や社会事情で、しかたなく母国を諦めることが多いらしいのは事実らしい。

確かにイタリアに住んでいる外人の中にはどこか悲しそうか、寂しそうか憂鬱そうという印象を受ける場合もあり、相手を不安に思わせることもある。(というのは私個人の勝手な意見。)主人公の女優も演技が上手かったということだろうが。

主人公イレーネが背負っている過去とイタリアでの現実との交錯、どん底の貧困と豊かさ、幸福と不幸との比がとても対象的に描かれている。それに思いがけない結末で、驚愕する。おかげで立て続けに2度観てしまった。

移民を迎えるイタリア側も、ある程度慎重でなければならない理由であまり寛大に振舞うわけにいかないのだ。でもこれが全ての外国人に対する偏見につながらないことを是非とも祈ります。

2008年1月1日

謹賀新年



親愛なる友人知人、親族の皆々様へ

昨年はだいぶご無沙汰してしまいましたが、お元気でお過ごしのことと察します。
皆様にとって、ますます健康で喜びの多い2008年になりますように。

また、

今年も相変わらず(ご贔屓に!)宜しくお願い致します。

2007年12月28日

ナツメヤシの実ー(2)

ダテリ(ナツメヤシの実)を開いて、中から種を取り出し、マスカルポーネを塗りこんで、トレンティーノ産の胡桃をのせるだけ。

砂糖付けのものと、乾燥させただけのダテリが売っていますが、後者、自然の甘味のあるものを使いました。
こちらも我が家担当だったフルーツの1品。

Alchenchengi-洋種ほおずき

今年のクリスマス昼食の我が家担当はお菓子と果物。
そのうちの1品で洋種ほおずき(イタリア語ではアルケンケンジと長い不思議な名前なので、覚え書きのため。)をビターチョコレートでコーティング。

ス-パーではトロピカルフルーツと同じコーナーに小さな箱に入って売っているので、すっかりそちら方面からの輸入果物だとばかり思っていたのが、よくよく見ると、コレ日本にもあるほおずきじゃないの、ということは日本と似た気候の土地でできる果物なわけです。

案の定、イタリアでも標高1000mを超えるパドヴァの山岳地帯で耕作しているそうで、成熟期は9月。
日本でコレを食べたのは随分昔々の話しなので、味はよく覚えていませんが、この洋種ほおずきのほうは柑橘のさっぱりした味。甘くなりすぎない食後の一口サイズの果物になりました。

2007年12月19日

日本料理教室ー第3回

Yomoyamabanashi会日本料理教室、
〈家で寿司を作ろう〉の第3回目『にぎり寿司』です。

にぎりのネタはまぐろ、バス(スズキの類;ブランジーノ)、サケ(サーモン)、エビ、そしてイクラ、これは軍艦巻きを紹介し、鉄火の細巻きを添えたものを一人前として提案。

イタリア流でにぎりはやや大きめになったかも、でも盛り沢山にすると美味しそうです。

趣向を凝らした大きめの皿に少しだけ盛りつける、日本風の上品なやり方もいいけれど、ここはイタリア、家で友達を呼んでワイワイ言いながら食事をすることも多いので、そんなカジュアルな食事会の前菜だったら、ご飯の大きさなんかに拘らない、盛りつけもダイナミックにどんと出したほうが食卓が華やかになるに違いありません。
(こんなことはイタリア人の皆さんの方がよっぽど手馴れたものでしょうが。)

例えばお客さまを招く時の『Sushi』の1皿は、招く側は作るのを楽しみ、招かれた側は変り種の1品に感嘆、ちょっと珍しい日本の料理に話がはずみ賑わうこと請け合いです。

それから私たちはいつも『正しい食べ方』と『正しい作り方』を言及する傾向がありますが、基本的には巻き寿司のネタはご飯に味が合って、巻きやすいもの(当たり前か?)ならなんでもOK、にぎりについても、それがやや正統から外れても浸透した手まり寿司があるように、寿司飯との組み合わせ次第、他のお皿や飲み物とのバランスについてちょっと想像力を働かすことができれば、『視覚と味覚を楽しむ』という好ましい食事の条件を満たすのではないでしょうか。

今回はNatsukoさんに仕入れの協力をお願いして、お手数かけて鮮魚を運んで頂きました。イクラもちょっとこの辺りでは手に入りにくい、とっても感謝しています。

2007年12月11日

変わること、変わらないこと

週末1年ぶりにミラノへ。

修復中で覆われていたドゥオモのファサードがようやくほぼ姿を見せた、少なくとも暫くぶりに見ました。随分綺麗に洗われて、夜には白い大理石の聖堂が“聳え立つ”様子は壮大で劇的。

脇のリナシェンテがニューリアルしたので、興味で覗いたところ、7階には回転寿司バーや飾っておくだけでも素敵なパッケージのリナシェンテブランド食品コーナーなどができ、随分お洒落に変わっていてビックリ。
さらに、テラスからドゥオモのテラスが近くに見え、しかも尖塔の彫刻もちょっと手が届きそうなくらいに観賞できる。

カレコレかなり昔にテラスに小さな細い階段を一生懸命上って広場を眺めた記憶がありますが、隣のビルのエスカレーターを使ってあっという間に近くまで行き着け、その当時と近い感動が味わえたことに、またまた驚く。

毎年のように何かの用事でミラノには出掛けても、今年ほど“新しくなった”という印象を受けたのは始めて。
どこの都市へ行っても、いつも変わらない景色がイタリアの良さだとばかり思っていたけれど、ともかく日々変わっていることに、改めて気がつく。きっと10年くらいはずっと同じ景色を眺めているとばかり思っていたから、すっかり新装したときに、その時の過ぎた長さをも感じて、思いがけない早さにも愕然としたのかも。

2007年11月27日

日本料理教室-第2回


Yomoyamabanashi日本料理教室、
<家で寿司を作ろう>の第2回目『巻き寿司』です。


具には玉子焼き、きゅうり、サケ、ツナ、カニ缶、サラダ菜などを用意、好みで巻いて頂いたのですが、これがなかなか日本人も顔負けの手付き。
皆さん結構巻くのが上手い!!



2本目の『裏巻き』も積極的に挑戦、しかもこちらもほぼ成功だった様子。

第1回目の時も和気藹々のムードでしたが、実習時間の多かった今回は一段と賑やか、自分で巻いたお寿司の一皿の出来あがりに満足してもらったようです。
片付けに関しては、協力すれば参加しているって気分になる、とかなんとか、あっという間に交替でやろうという話にまとめてくれ、おかげでほとんど予定時間を大幅に延長せずに終了。
こういうイタリア人のソリダリエタ(solidalieta`)精神、いつも感心します。

今回はAIさんとMASAKOさんが応援にかけつけてくれ、料理がお得意なふたりの協力に私はとても心強い思いをしました。どうもありがとう。

2007年11月12日

本ーわたしの外国語学習法

フランス語勉強会グループがまた時期も続けようと計画中で、参加する意志があるかどうか近日中に返事をしなければならない。思うように学習が進まない頃、3ヶ国語に堪能というかの人が推薦していた本。読んでみました。

ロンブ・カトーの『わたしの外国語学習法』(ちくま学芸文庫)

コースで親しいクラスメートのひとりが私のいつも愚痴る出来ない言い訳を制して、
『いくら日本人がグループが違う言語を勉強するといってもイタリア語を知っているなら、然程障害があるわけじゃない。要は自習をどれだけやるかにかかってくる。勉強もしないで出来ないっていうのは言い訳にすぎない。』ご尤も。

こんな当たり前に思えることが何故か『緊急に必要』とされない場合に限って難しいとさえ思えてくる。

ロンブ女史流、最後の方にある10の教訓(要約)

1)毎日学習する。最低10分でも
2)自分を鞭打ったりしないかわりに、学習は捨てない。本から離れ、ラジオを聞いたり練習をひとまずおいて、別のかたちを考える。
3)コンテストから引き離して覚え込まない。
4)多くの場合に最大限利用可能な成句を覚える。
5)あらゆる物事を頭の中で訳してみる。
6)正しい文章をしっかり覚えこむ。
7)成句や熟語的表現は1~3人称、単数で書き出し覚える。
8)四方八方から同時に襲撃する。読み、書き、聞く、見る
9)喋るのをおそれない、誤りをおかすことを恐れず、それを直してくれるように頼む。そして、実際に誤りを指摘されたら、がっかりしたり、いじけたりしない。
10)自分自身が外国語を達成できると確信する。
*太字は個人的に特に同調する。

先のクラスメートはドイツ語、フランス語、スペイン語を操り、中国語を勉強中。中国語にはちょっとてこずっているらしいが。こういう何カ国語も話す人々の存在にはそれほど驚くことはなくなったのは、イタリア語を日常会話として生活しているからこそ、地続きの外国語は日本語からに比べると短距離だと実際感じているから。

しかし、短距離だからといっても、クラスメートのなかでも努力している人こそ、習得しているということも見逃してならないと思う。

2007年11月8日

映画 『どん底』

映画と演劇などを会員制で公開しているNuovoSpazioArteOFFというところで、日本語オリジナル版を上映するというので、行ってきました。

映画は1957年の黒澤明監督、『どん底』。
画像空間の配置や台詞の言いまわしは舞台を観賞しているような印象、しかもお説教(?)が多い重たい映画、と思ったら案の定後から映画評で、ゴーリキーの戯曲が原作、黒澤監督が日本に舞台を移して作った映画だと知る。しかもかなり原作に忠実に作っている作品、モノカメラ撮影ということ。

時代は江戸、さまざまな人間が共存している長屋の住人とその『日暮し』を描き、どう生きるかを問う。

モノクロ、音響も悪く、口の動きと音がずれているという条件で、映像も全体に暗いうえ、話もやりきれない。長屋の様子はちょうど今イタリアで問題になっているジプシーの棲家を思わせるような、簡素な紙と木の作りで、畳でなく藁のような床、混沌としていてちょっと目を覆いたくなるみすぼらしさ。継ぎのあたった布団一枚にもぐってまるまって床に寝ていたり、アルコール中毒の人間や、病気で死にかけている妻がいる男、売春婦、盗人、旗本くずれ、などの長屋の住人たち、それはそれは貧しい様子。隣に住む長屋の主人と底意地の悪そうな妻と世間知らずな妹の三人はそれでも着ているもので、金銭の出入りがあることがわかるけれど、決して幸せでない。この夫婦の怖い顔とすざましい姉妹喧嘩!

話し言葉は現代の若者とちょっと違う、でも確かにこういうアクセントでこんな話し方をする人達はいた、と思う。
それにしても、憂さ晴らしにお酒を飲み、酔っ払い、歌い踊い、何事も笑ってやり過ごす(ごまかす)傾向は何時の時代もでしょう。最初か最後にウへへへ、とかウヒヒとかいうのはいかにも日本人らしいけれど。 

とても面白かったのはこの頃の俳優たちの表情豊かで個性的な顔つき。美男美女もいるし、それに醜いという顔もあるということ。50年前には『日本女性』の美しさがあったらしい。山本五十鈴も香川京子もかなり綺麗です。

観始めてすぐ席を立ちたくなったほど、話も画像も暗い作品だったのに、登場人物の動きなど隅々観察したらもっといろいろな発見があったかもしれないと、書きながら思っている。

2007年11月4日

夕暮れのアディジェ川







アディジェ川にかかるポンテ・ピエトラ(Ponte Pietra)。
灯りがボチボチ燈る頃から一段と魅惑的になるヴェローナの一角。

2007年10月31日

25年ぶりの再会

 昨年の今ごろの話しなのだが、県の納税課から夫宛一通の手紙が届く。

その内容は自動二輪車に対する税金の滞納通知で、支払いの勧告だった。彼も疑ったのは、その二輪車は実に25年前に他人に売却したもので、納税滞納期間は近年3年くらいのものだったせいだ。昔々大切に乗っていた二輪車がいまだに廃車されずに実存、その税金の支払い勧告を今ごろ受け取ったのだ。他人の手に渡してからというもの、その消息は売った相手ももちろん途絶えていたのだ。

ところで問題は納税勧告で、彼は早速たまたま窓口の会社に勤めているいとこに相談してみる。売却したことを証明する公証書類は手元に残っていたから、彼のものでないことは明らかなのだ。

さらにつてをたどって、3年前までの二輪所有者の氏名と在住地域だけは調べることが出来る。

といってもここには同性同名なんてゴマンといる、特に地域で同じ苗字なんてザラである。しかも本人の名前で電話帳に登録しているとは限らない昨今。それでもと、同性の苗字のお宅に電話をかけ持ち主を探し始めたところ、ある日『それはきっとうちの甥だ』というシニョ-レにつながったのである。

親切な叔父サマは彼の甥の居所を教えてくれたことでちょっと期待を持ち、その後二輪の持ち主本人と連絡がとれることとなった。

持ち主もまた驚いたに違いないが、誠意のある人で幸いだったと思う。廃車処理手続きをする旨即合意。

約1年後のある日廃車処理場で二輪持ち主と待ち合わせすることになった。彼は二輪を、こちらは手続き書類を持参、25年ぶりに再会することになる。

その日持ち主は今でも愛好家らしい様相で現れた。20年ほど前に買取り何年間かは乗っていたが、部品が破損してからというものガレージにナイロンカバーをかけただけの状態で保管、動かない二輪車のために3年前までずっと税金だけ支払っていたというわけだ。

さてその二輪は錆がひどく、チェ-ンも切れたまま、見るからに手入れがされずにほっておかれたことがわかりちょっと痛々しい姿。名義変更がされていなかったために書類手続きができずにいたのだろう。25年後漸く廃車場行きになったという運命である。

シンプル極まりない型にみえるが、当時にしてみれば画期的な仕様モデルだったそうで、夫君がアルバイトをして貯めたお金で始めて手に入れた中古の『二輪車』だったという。想像していた以上に保管状態が悪かったのは残念、でも買った当時に自分専用のデザインにしようと切りこみをいれた個所がまだそのまま残っていたのは懐かしかったなぁ、、、とポツリ。

2007年10月29日

ヴェネト流焼き鳥祭り

先々週末です。知り合いのご両親がこのヴェネト州の小さな町出身とかで、もし近くまで来たら寄ってくれ、なんて言われたので覗いてみました。

いわゆる狩猟の時期行なわれている秋祭りで、獲物の鳥類を串焼きにして地域の人々で分け合い祝うという伝統行事を、禁猟云々の問題により、串焼きの肉をキジと豚に変えて慣習を引き継いでいるということです。

そこで始めて知ったのが『ポレンタ・ウンタ』。
ポレンタは一日前に用意し適当な大きさに切って焼いている串の下に鉄板を置き温め直すのですが、その時に脂が焼き鳥(豚)からしたたり落ち、焦げるのと同時に脂でちょっとべたべたになる、つまり肉の味がつくってことだそうな。生活の知恵といいますか。

週末土日に行なわれた祭りで、予約して昼食や夕食に自宅に持ちかえり、親戚や友人たちと集まる口実に一役かっているようです。随分注文が多かったそうで、飛び入りの私たちはかなり待つことになりましたが、知り合いの知り合いというこの町に住む一家族が、世間話をしたり、そのまた友人を紹介してくれたり、待っている間も飽きずに過ごせるように配慮を怠らない、ヴェネト州の人々人懐こいと聞いていましたが、まさにその通り。

2007年10月22日

日本料理教室

Yomoyamabanashi会主催の『日本料理教室 Sushi fai da te 』、ようやく第一回目にこぎつけました。

昨年まで隣県本部の日本文化交流会主催で行なっていた料理教室を引き継ぐようなかたちになりましたが、今回の特徴は在トレンティーノの日本人グループが提案する“家庭で作るお寿司”を中心に行なうこと。


 
講師は在トレント歴が長く、料理好きの本人と家族のためにずっと日本食を作ることを試みてきた、そして昨年までの教室経験のあるKさんにお願いしました。

和食を作るために必要な基本的な調味料などは近年オープンしたタイ・アジア食材店で手に入ります。中心地にも近く寄りやすい場所にあり、毎週木曜日には新鮮な野菜が入荷、とてもありがたい店。


近頃は日本人も純和食というより、タイ、中国をはじめとする東南アジア各国の料理を、自分たちの口に合うようにアレンジして家庭でも作る傾向でしょう。この店で売っている食材を利用して、なんとなく日本で食べているものに近いものが食べられるというわけです。

さて今回は『ちらし寿司』。

お米のとぎ方から始まり、日本で食べているものってホント小さな細かい注意が必要です。そして、実に丁寧に神経を使って準備していき、出来あがりはシンプルであっても色合いも綺麗な、見た目も楽しい食事をいただく工夫をしている、、、。

等々というようなことが、少しでも伝わったことを願っております。

第1グループは女性の参加者がほとんどで、皆さんとても協力的、和気あいあいとした雰囲気で、しかも積極的。しっかりメモもとっていただいた様子からすると、きっと家でも試してくれるでしょう!

イタリア人学生チャギくんには料理部のメール担当をお願いし、当日は、以前に料理コース参加経験のある、四方山話囲碁部長のレイクくんにも助っ人に来てもらいました。日本語の読み書きにも驚くほど優れているこの二人の、影ながらの応援と協力にとっても感謝してます。

2007年7月27日

囲碁の練習会

日本でいうと5段イタリアでは3段という、そうそうたる囲碁のタイトルを持つ方が最近トレントに越してきたので、いったいその遊戯とはどんなものだろうと興味をもって調べてみると、どうやらイタリアでもかなりの数の愛好家が存在するらしいのだ。

その“黒帯のカンピオネッサ”(と勝手に呼ばせてもらっている)に『是非ともイタリア人に手ほどきを』ともちかけるとすぐにOKの快い返事。もちろんご主人もご協力いただけそうなのであった。

そんなことがキッカケで、現在まだ非公式ではあるが、春に発足したばかりのYomoyamabanashi会として、碁に少し興味を持っていたり、対戦の経験があるイタリア人数人と在トレンティーノの日本人数人に声をかけて、暫く前から試験的に集まって遊び方を習い始めている。秋頃に是非ともトーナメントを企画したいと思っていたが、対戦するにはまだまだ訓練が必要らしい。

練習のためににテーブルを貸してくれているのは、中心地にほど近いBarycentroというバールで、そこはさまざまな趣味の同好会の会合などのためにテーブルを開放してくれている。

時々とおりすがりの、バールにお茶を飲みにきた人々が、何をやっているのだろうかと覗きにくる。私たちの伝統的な遊戯『囲碁』を知ることによって、興味のアンテナの先をちょっと日本に向けるトレンティーノの人たちが、少しずつ増えてくれたら嬉しいと願っているのだけれど。

2007年7月16日

コルシカ島(3)

リヴォルノからバスティアへカーフェリーで4時間の旅。カーフェリーにはレストラン、バール、ミニマーケットもあり、甲板で日光浴し、昼食後くつろいでいる間に到着する。

フェリーのレストランの職員が皆張りきって仕事していて、サービス精神旺盛。この辺が今まで訪れた観光地と違って、コルシカ到着前に既に好印象。(もちろん帰路も同様に)


島にはコルクガシの木が至るところに見られ、ほとんどがこんな風に皮をはがれされている。そういえば同じ地中海のサルデーニャはワインのコルクの産地で有名。

それから食べ物のことをちょっとひとこと、ふたこと。

コルシカ島はチーズやサラミが地元特産品なのだそうだ。でも個人的に美味しい!!と思わず口にでたのは、前回もちょっと触れたバゲット。イタリアに戻ってから、バゲットまたはフランスパンとして売っているものを味見し直したものの、コルシカで朝食に食べていた焼き立てのバゲット以上のものはまだ見つかっていない、、、

フランス(コルシカ)風の朝食は、オレンジジュース、バターとジャムを塗りこんだバゲットとカフェオレというかのもの、この組み合わせは普段と変わらないのに、なぜかそれぞれがイタリアの味と違う。ここは断然朝食が美味しい。

そこでお土産にグレープフルーツとオレンジ、クラマンティ-ヌのミックスジャムを買う。ジャムという言葉『confiture』(コンフィットュ-に聞こえる)からも想像できそうなたっぷりした味のもので、糖分と酸味がちょうど良く、これも私のマルメラータ(ジャム)に対する意識を変えてしまった。

もうひとつ、コルシカ産ビール『ピエトラ』は栗からできていて、琥珀色のコクがあるとても個性的な味。機会があったら是非お試しを。

2007年7月13日

Corsica-コルシカ島(2)




コルシカは地中海に浮かぶフランスの島。ジェノヴァ湾から155キロ、トスカーナ州から80キロの海をはさんだ場所に位置する。

その表面積は8722平方キロメートル、最北端から最南端までの距離が183キロ、西北の83キロ、周囲を1100キロ以上の長い海岸線に囲まれているが、島のほとんどが山岳地帯である。13世紀にジェノヴァの支配が確率、現在あるコルシカ島の街はジェノヴァ統治時代に建造されたものだそうだ。




[パロンバッジャ]
この透明度と白い砂浜はやはり半島から離れないと見つからないのでは。既に視覚からリラックス、、、。






 

2007年7月5日

Corsica-コルシカ島(1)

始めて訪れたのに、休暇が終りに近づくと感ずる郷愁に似たもの、その場所が気に入るとありますよね。



ポルトヴェッキオからバスティアの港に向かう約150キロの道中で、島を離れることが寂しくなってしまったほど愛着を持ってしまった、とてもイイところです。

小さな港町はフランスの香りがたっぷり、イタリアから随分近いのに異国の気分を十分味わえて、人々の暖かいもてなしや、新鮮な魚介類と感動的に美味しいバゲットで幸せな気分になり、エメラルドグリーンの海と長い長い白い砂浜の美しさを大満喫、しっかりリヴァイタルして帰ってきました。

さて整理するにはちょっと落ち着いてからに。



まず幾つかの写真をアップします。コルシカ島南端ボニファチオから。でもさすがに強風でした、この日。



細い路地、ピンク色の壁

2007年6月18日

ジョルジョの誕生日



イタリアでは誕生日をお祝いするのは、友人同志の年中行事のひとつ。少なくとも集まる口実に誕生会をやる友達が私のまわりには多い。集まって皆で美味しいものを食べて飲んでお喋りするっていうのが好きな人々が多いのだ。

それに自分ももちろんだが近しい人も、存在しているのは誕生があったから祝って然るべき、だから祝う、と考えるのは全然おかしくない。祝いたいし、お祝いされたいじゃない、誰しもやはり。

ともかく私も“祝い事が好き、集まること”が好きな部類なのでこのごくごく内輪のお呼ばれを楽しみにでかける。

ずっと年上なので、「ともだち」といって失礼にあたらないかちょっと心配だけれど、知り合ってからはもう随分長い。
日本人の私はいつもからかわれる対象でしかないのが残念である。これはまだ私がイタリアに来たばかりの頃、イタリア語のコースを終了して得意気になって『Lei』で話しかけてからずっとだ。



彼はイタリア人の美意識の高さとその層の厚さを想像させてしまう。その彼のアトリエの作品である。もし機会がもっとあれば、お友達のひとりとして頻繁にお付き合いさせていただきたいシニカルで個性的なジョルジョである。

2007年6月14日

Chiaretto Bardolino Doc キアレット・バルドリーノDOC

6月8日から10日まで『Palio del Chiaretto Bardolino Doc』とガルデサーノの丘陵地帯で耕作される葡萄からできるロゼDOCワインのプロモーションが行われていた。



湖畔の長い散策道に並ぶカンティーナのスタンド。
よくよく見るとゼラニウムもナプキンの色も、ワインに合わせて一帯が全部ピンク色。樽も新しいから幾分、、、





ガルダ湖畔のバルドリーノBardolinoは目の前に広々と湖の景色が広がるリゾート地として知られる。トレントから車で約一時間、私たちがドライヴがてらよく足を延ばす場所のひとつ。

この時期位から夏の間中ほぼ毎週末いろんな催しがあって訪れる人々を飽きさせない、そしてそこに流れるゆったりした雰囲気が『休日を過ごしている』という気分にさせてくれる。

日中が長くなったこの頃。こんな風に外にいられる時間が多い季節は、気持ちも軽くなり目に入ものも一層綺麗に映って見えるのだ。

こぞってガルダ湖を訪れる北欧からの観光客はその後何度も通ってしまうらしい。
それはなぜって、一度この土地に来て、ここの空気を吸ってみると理解できるってもの。


それに、いかにも冷えてます、という感じのガラス瓶を見かけるとロゼはどうかなと関心をそそりつい立寄りしたくなる気持ち、わかるでしょう、、、?!


バルドリーノのインフォメーション:
http://www.comune.bardolino.vr.it/
http://www.stradadelbardolino.com/

2007年6月11日

サクランボの季節


こちらのサクラの木から成る果物は、サクランボという名前からイメージする可憐なフルーツでなく、少し勇ましい感じのする濃いワインカラーで、果肉も厚い味もしっかりしている種類。

近所の畑ではせっせとサクランボ採りに忙しい様子。それにしても一本のサクラの木にはかなりの数多いサクランボが成るので、成熟するこの頃はお花見さながら『サクランボ見物』でもできそうなほど。

季節の果物を本来のその時期に食べること、シンプルな選択で四季の彩りを楽しめるという贅沢が味わえる。

2007年6月7日

私事、、、伊丹十三のこと

(c)新潮社
何を隠そう、私はこの方のファンのひとり。

昔昔書いていたエッセイや、文庫本に描かれた挿絵がとても好きだった。その愉快さは、大笑いするというより、笑いがこみあげるのをこらえられなくてクククッと傍から見たらどうしたのといわれそうなリアクションをついしてしまう、そういう類のものだった。

どの文庫本にでていたのかはすっかり忘れてしまったが、オムレツの作り方を映像の細部を説明するように言葉にしていることがとても印象的で、そのとおりに作ってみると正にそのとおり(多分)になるということに、かなり満足したことを覚えている。

(c)新潮社

後に映画を撮ることになる伊丹十三が映画のなかの一シーンに、このオムレツが出てくるらしいことを最近知ったばかりだ。うろおぼえだが『タンポポ』なのではないかと思う。

なんとかして一度観てみたい映画。どうやらイタリア語版『Tampopo』があるらしい、是非見つけなければ。
もし知っている方がいらっしゃったらどうかご連絡を。

それからこんな本も出版されたそうだ。
この2冊の本のカバーを見ていると、そういえば動いている姿も素敵な方だったと、少し思い出してくる。

2007年6月4日

パリの石畳

和田俊著 朝日新聞社

<カバー紹介文から>
朝日新聞特派員として
パリ市サンビクトル街14番地に
居を定めた著者は、
さまざまな風に吹かれ、
さまざまな人に出会う
人々の心を魅了し続けしつづけたてきた
この街角から、
パリ、フランス、ヨーロッパ、
海のかなたの日本について語る
好エッセー49編

イタリアに住んでいる現在でもフランスという国は近くてなかなか遠い国。というのも近頃は旅行も車で移動というケースが多いので飛行機でわずかな距離のパリ行きなど、いつか行けると思いつついつも後回しになっている。

車で国境を超えてフランス国内へは数回訪れたことがあるが、同じヨーロッパの国でも景色が異なるように、文化や習慣もイタリアとは似通っているがやや違う国民性をもつ国というのが、ちょっと足を踏み入れた時の私の感想だ。

この文庫本はかなり(相当年数が経っている)前に読んで本だなの隅に誇りを被っていたものだが、近頃フランス語をかじっているから再読したくなったのだ。

カバーの紹介文の通り、著者は当時の朝日新聞特派員で文庫本になったのは1983年。EC加盟国が9ヶ国と記載されているから、時代の経過はあるものの、パリの街はもとより、ヨーロッパ生活の雰囲気を十分味わえる。たっぷり写真の入った近頃の旅行ガイドブックなんかよりはずっと想像をかりたてる。

当時に比べて今のパリはきっともっと早いリズムが生活のなかにある違いないが、フランスに対する日本人がもつ印象というのは、たとえわずかな期間であっても相変わらず、同じような驚き、感動があるのではないか。そしてこの好印象が発端でヨーロッパ文化に対する憧憬のようなものもどこかに生まれるに違いない。

このエッセイを好ましいと思うのは、見たものや感じたものを『憧憬』というフィルターを通しては描いていないところ。異文化にふりまわされずにそこに立ち止まって見渡して、目に入るものや体験することを大袈裟な装飾をせずに綴っているという感じを受けるからだ。

フランス語のコースはもう終了するが、やはりせっかくだから、ひととおり聞いたり話せるようになって近いうちにパリ行きを実現しなければ、などと期待を膨らませてくれた再読の一冊だった。

2007年6月1日

Festival Economia Trento



今年もトレント・エコノミー・フェスティヴァルが行われています。5月30日から6月3日まで。

今日はあいにくの雨模様ですが、週末は好天に恵まれますように。

各分野著名人たちによる討論を聴くためにわざわざ各地からたくさんの人々がトレントを訪れるはず、数日間の滞在中に晴天のもと、美しいトレント・チェントロを見ていただきたいではありませんか。

2007年5月28日

Cantine Aperte



5月最終日曜日は県内のいくつかの醸造所が一般訪問者にワインの試飲を提供した『Cantine Aperte』の一日。今年はトレンティーノ特産のひとつマルゼミーノワインの醸造を始めて歴史の長い、ロヴェレートのアディジェ側の西岸にあるCantina d'Isera(イゼラ葡萄醸造所)へ。



トレンティーノ産のマルゼミーノは辛口でさっぱり飲みやすいのが特徴である。
この醸造所の『907』はマルゼミーノ『Eccellente Marzemino』より味は個性的。ラグレイン、テロルデゴ、マルゼミーノ、レボ、カベルネ・フランク、カベルネ・スーヴィニオン、メルロの7種類の葡萄が混合されたワインだそうだ。



ワインの味もともかく、天井の高い総ガラス張りで自然光が入り明るいフロアとテラスからは一面の葡萄畑が望め、自然のなかでゆったりと過ごせる気分が味わえる。また、ちょうどこの日のイヴェントでジャズトリオのライヴが行われていて、ワインと音楽と新緑がほど良い調和をかもし出し、いずれも満足感を味わう。



樽で醸造させ手間隙かけたワインを味わい瞑想する趣きもあるが、日が長くなる今ごろの、夕方まだ明るいうちに軽いジャズ音楽を聴きながら、その時のシーンにあわせられる赤ワインを飲みながらチーズを軽くつまむっていうのもなかなかオツなもの。

このあたりにはイタリアの古くからの街らしい赤レンガの屋根の密集した村があるなどという、そんなことも新たに発見した日曜日でした。

2007年5月27日

Giro d'Italia

ジーロ・ディタリアの15日目、ドゥオモ広場11時出発の予定だったので、その後に走るブレンネロ通りまでちょっと様子を見に。

トレントからトレ・チーメ・ディ・ラヴェレード(Tre Cime di Lavaredo)まで通算184キロのコースで、パッソ・サンペレグリーノ(Passo San Pellegrino)、ギアウ(Giau)、コルティーナ・ダンぺッツォ(Cortina D'Ampezzo)、パッソ・トレ・クローチ(Passo Tre Croci)、ミズリーナ(Misurina)トレ・チーメ( le Tre Cime )という行程だそうだ。聞いただけで急坂やカーブが多そうな、苦戦しそうな山岳地帯を走るレース。

天気が良ければドロミティ山塊のトレ・チーメの景色は素晴らしいのです。しかし走る人々はどうなんでしょうか。

自転車で走ることといえばトレンティーノの人々に愛されているスポーツのひとつでもあり、地元トレント出身のジルベルト・シモーニもなんだかとても親近感のある人物のため、つい足を運びたくなったのでした。

ところが、自転車といえども相当なスピードがでるらしく、誘導の二輪を先頭に軍団が来るなと思いきや、あっという間に見えなくなり直後に一行の最後を見送ったという感じです。それにしても後方に自転車のグループ以上に長い列の交換用車輪を積んだ各チームのサポート車が続いていたのがとても印象的だった。個人競技であり、団体競技なのですね、これは。

2007年5月22日

トレント流BBQとおにぎり

日曜日、お天気は私たちの味方をしてくれた様子。
晴天に恵まれた一日『親睦野外バーベキュー』はどうやらそれぞれに楽しんで頂けた模様です。皆さん遠くまで足をのばして頂いてありがとう。

参加してくれた人達同志、友達の友達とか、その友達など知り合いの輪を広げてくれたらしいのは、この野外バーベキューの大きな目的のひとつで、これに成功したのは企画側も大満足。

それから朝早くから起きて遠くから蒔きと友人のパン屋特製グリッシーニ持参で参加してくれたご家族、ご家族からはお皿やコップ、紙ナプキン、なども提供していただきました。おにぎり作りに協力してくれた“おかーさん”とその家族の方たちの日本の遊びパフォーマンス、ケーキをさし入れてくれたグレッグのお母さん、もちろんYomoyamabanashiの台所担当のKさん(おにぎりとケーキ)、副会長の自称オルソC(!)は場所を確保するために早朝出向いてくれました。などなど、皆さんのご協力にとっても感謝しています。

それから忘れてはならないのは、当日大きく目立ちはしなかったものの、メニューはもちろんオーガナイズ全般についても見守ってくれアドバイス、下見、準備から買い物、計画から当日にいたるまでBBQの総監督グレッグには特にGrazie 1000。彼の援助なしにはとても実現できなかった企画です。

まず、こんな風に時々トレント近郊に住む日本人たちが集まって四方山話する、という機会を作れたらいいと思っている。そこに連れ合いや、友達のイタリア人を巻きこんだりするわけだ、自分のための楽しみに大切な人達を誘うというふうに。

そしてこれからのYomoyamabanashiの提案が、トレントに住むイタリア人と日本人の交流の接点になっていくことを願っている。

2007年5月16日

親睦野外バーベキュー

在トレント日本人とその家族を中心に、日本文化に興味を持つイタリア人(トレント人)たちを招待して親睦を目的とした野外BBQを計画中である。

年末の忘年昼食会以来、住んでる皆さんとなかなか顔を合わせてゆっくり四方山話も出来ない日が続いているということもあるし、ちょうど気候も、自然に恵まれたこの地方の春(初夏?)を満喫するには好都合、アウトドアを好むトレント人たちとそれに馴れ親しんでいる(せっかくだから馴れ親しんでほしい)トレントに住んでいる日本人たちとの親睦をはかるにはうってつけの口実ではないかと思っているわけだ。

BBQはイタリア語でいってみればグリリア-タgrigliata。今回は肉中心のトレント流グリリア-タに『ポレンタ』、そこに日本人にとって遠足にかかせない『おにぎり』を食べてもらおうという計画である。

そして『Yomoyamabanashi』会を発足したので、その紹介もできる良い機会とも思っている。もちろん在日本人の皆さんには既に口頭でお知らせ済み。

この親睦という意味を和伊辞典でひくと、まず『cameratismo』とでてくるらしいが、この言葉は戦時中ファシスト党員同志の呼び名に使われた『camerata』〈史〉という言葉から発しているという説明とのこと。そのカメラティズモの言葉はもちろん仲間意識という意味が第一で、ほかにも戦友愛なんてこともでてくる。

それからふと思ったのだが、やはりイタリアで生きていくというのは日本人にとってある意味で戦いのようなものに近い、だから“戦うための仲間意識”というのもまんざらないわけじゃないかな、と。

ま、本当はイタリア人と日本人が一緒になって大きな杓子でポレンタを四苦八苦しながら混ぜたり肉を焼いたり、ワイワイしながら親睦をはかり、そして一緒に食べる、それぞれが楽しめる一日というのが趣旨だ。

あとは天気にかかっております。どうか皆さん日ごろの行いを良くしてほしい。と、こんな時は日本人特有の神頼みをする。

2007年5月10日

続・フランス語

昨日は小人数だったので、始めてエドの隣の席になる。彼はクラスの中でも優秀なひとり。しかし飛び抜けて上達しているのは理由があった。

彼は人出不足という分野の医師で、週数日はトレント以外にも出張するという、早朝から夜遅くまで予定のある忙しい生活をしていて、そのためいつも彼の睡眠不足が話題に上るくらいだが、にもかかわらず山ほどでる宿題は忘れずにやってくる。それからなんと、彼も新しく出てくる単語を自分で作った単語帳に書きこんで意識して憶えるようにしているらしい、つまり努力している。

イタリア人の彼も努力しているから上達しているということは、私が努力もせずにできないと愚痴るのはずるいかな、と反省した次第。

毎回授業のあとフランソワ先生とバスを待つ5分くらい話をする。宿題をやるのは良いことよ、書き取りは大事だからちゃんとやりなさい、授業中全員スペルチェックする時間がないから提出しなさい、と。必然的に予習と復習はやらせるわけだ。

そして私の大きな問題は『聴くこと』。しかも発音を意識したものであり、それを毎日15分でもフランス語を繰り返し聞くこと、練習問題をたくさん解くことで随分上達するだろう、と自分でも想像できる。

ただ毎日15分でもフランス語を意識することが出来ないっていうのは『怠け』ているからで、日々の努力を怠っていながら、日本人には難しいというのは私の甘えでしたね。

2007年5月7日

Elisa エリーザ

彼女はまだ若いのに歌手歴10年だそうだ。

イタリア生活のライヴ版のような映画だという感想をもった『Manuale d’Amore 2-capitoli successivi』のEppure sentire がとっても印象に残ったので、ラジオから流れるたびに映画のことも思い出されて記憶に新しい。

そこへきて、MTVで彼女の特集をやっていたものだから、ビデオクリップと曲にまつわるエピソード、英語でされたインタヴューでの個人について話している彼女を観る機会があった。なんだかスゴイ歌手なんだ、というのが感想。かなりエネルギッシュで向上心に満ちあふれ、同時にアルバムとして出来あがるまでの葛藤など、自分の仕事に対する真剣さがうかがえた紹介番組だった。

これに刺激されて珍しくCDを購入しました。
エリーザの10年間のベストヒットアルバム、タイトルは『Soundtrack 96-06』。


1. Stay
2. Gli ostacoli del cuore (feat. Luciano Ligabue)
3. Broken
4. Swan
5. Labyrinth
6. Together
7. Gift
8. Almeno tu nell'universo
9. Heaven Out of Hell
10. Dancing
11. Una poesia anche per te
12. A Feast for Me
13. Sleeping in Your Hand (Mark Saunders Remix)
14. Luce (Tramonti a Nord Est)
15. Rainbow (Bedroom Rockers Remix)
16. Eppure sentire (Un senso di te)
17. Qualcosa che non c'è


私の場合は、同じ音楽でも詞の内容を聴いてしまうものと、聞き流してしまうものとがあり、イタリア語で歌った彼女の曲は前者、耳をすましてしまうことがよくあったのだ。それも誰のものかも知らずに。どうやらそれほどに彼女の曲は強いメッセージがあるらしい。アルバムに収録されている曲全てどこかで聴いたことがあるいうことは一種の驚きである。

なかでも何年か前にやはりレンタルで見た『Ricordati di me』に流れる『Almeno tu nell'universo』は、つぶやくように始まる曲で映画の余韻とともに心に残るもの。(ちなみに映画もいろんなことを考えさせてくれる良いものです。)

彼女が精力的に参加しているアルバム作りには映像が大事な役割を果たしていて、視覚と聴覚との両方の方法で個人を表現することを試みているらしく、かなり面白いアーティストだと思う。

是非一度聴いてみて下さい。

2007年5月2日

Profumo- パフューム ある人殺しの話

1985年出版で世界各国語でも翻訳されベストセラーになったパトリック・ジュースキントの同名小説の映画化。

18世紀のフランス、パリに程近い貧しい小さな村に生まれたジャン・バッティスティ・グルヌイユは生後まもなく孤児になり売却される。5歳になるまで言葉が話せないでいたが、彼には特別な才能があった。それは、世の中に存在するありとあらゆるものに臭いを識別する鼻をもっていたことだ。

ある日、イタリア人の香水店のオーナーにその才能を認められ、弟子入りすることになり、香水のエッセンスの蒸留法を学びはじめる。ところが彼は女性の持つ独特な香りを調合し保存する拘り続け、研究と実験を重ねていくうちに殺人を犯していくことになる。

映画は18世紀のフランスの山村の光景や衣装、エッセンスとなりうるあらゆる存在物の色彩や香水店のボトルなど、映像が非常に美しい。一方残虐なリアルなシーンもかなりあって、目を反らしたくなる場面が度々あった。

ノンフィクションの物語に違いないが、18世紀頃のフランスはまだ狂喜が充満、混乱していて、様々な過ちを犯していても不思議がないだろうと想像してしまう。天才的な臭覚の持ち主がいても少しも変ではないだろうし、大衆を惑わすという香りが、大衆を動かす思想のように存在したということもありえないこともないだろうと、錯覚を起こしかねない映画である。

フランス語

せっかく同じグループで続けることにしたのに、健康の不調や時折入ってくる仕事などの個人的な理由で近頃休みがちになっているフランス語コースについて。

ただでさえクラスメートのイタリア人に比べてリスニングのハンディがあるのにもかかわらず、日ごろの努力不足でますます遅れをとっている。

まったくイタリア人達の聴覚の構造がどうなってるんだか、あの人達は言っていることはだいたいわかるらしいのですね。そこへいくと私の頭は、聞く音と文字が一致しない限り意味が掴めないときている。

文法についてはイタリア語に非常に似通っているのでまあ問題なし、だから簡単な文章を読んで、新しい単語を辞書で引きさえすれば理解は出来る。しかしこれを文章を読まずに聴いただけの時はチンプンカンプンということが多い、のである。

フランソワ先生曰く、フランス語取得方法がイタリア人に対するものと日本人に対するものと異なる、つまり言語グループが違うからなんだそうで、同じ方法で学習することで必ずしも上達するとは限らないとのこと、私もそう思う。

もうひとつ個人的な理由がある。
教材に例題として出てくる場面のいくつかは、どうも日本人の私にしてみれば不思議と思える内容が多く、クラスメートは何食わぬ顔をして読んでいるけれど、そこに登場するフランス人たちは、イタリア人たちとは随分タイプが違うような気がしてならない。

例えば、まだ始めたばかりの頃だ。

友人が劇場で待ち合わせする場面で、8時半から始まる劇場に45分も遅れてきて「遅かった?」「今何時?」と言い、もう始まっているコメディを観に入るか、それとも食事に行こうかと悪びれず提案する。だから友達の女性は怒って家に帰ってしまうのである。

それにともなって、ついでに個人の傾向を聞いていくわけだ。すると私の番に来て、大抵時間どおりなんて答えると、日本人は皆そうね、でも時間どおりってちょっとうっとうしい、とかフランス人特有の皮肉(と勝手に思うが)を言われてしまう。確かにイタリア人は待ち合わせ時間に遅れる。フランス人もそうなのかしらね、でも45分は尋常じゃない。

さらに先に進み、先日は会社のボスが忙しさのあまりカリカリしていて、秘書にタイプの打ち直しを命じ、他の部下に対して横柄な態度。秘書の女性が「今日はボスご機嫌斜めね」と同僚に愚痴っている場面がでてくる。

確かに日本でも日常起っている出来事であっても、不愉快な感情にかかわることはあまり教材に使われないことが多いという観念があったので、ちょっとびっくりしているのだ。イタリア語の時はどうだっただろうか。

挿絵のフランス人もなんだか神経質で意地悪そうな顔つきをしてるし、日本の教科書には絶対出てこない場面ねと、いちいち苦笑しながら教材テキストに向かっている。だから自分でもいったいフランス語を好んで勉強しているのかどうか、ちょっと疑わしくなってくる。

勉強している途中であたる壁のようなものか、この停滞状態を抜ける良い方法を考えなければいけませんね。