2008年12月7日

少し早めのクリスマスプレゼント

友人フランチェスカが出版者として独立、彼女のところから『太鼓』が発刊いよいよ書店に並ぶことになったそうです。日本語原作のイタリア語翻訳本です。

ある日届いた宅急便の包みを開けてみると、本と一緒にメモ書きで、翻訳者後書きに私宛ひとこと書いてあるからネ、と。

私はといえば、つまり本ができるまでの長い長い時間と手間隙の間のわずか一部をお手伝いしただけなんですが、それから随分月日が経ったといえるかも。出版を手がけている彼女もさぞかし忍耐が必要だっただろうな。でもそれだけに彼女にとって発刊にいたったことは大きな喜びだったと想像します。

実は、日本語から伊語っていうのは英語から伊語にするときのようにダイレクトに訳せないことが往々にしてあるから結構大変な作業、それに言葉は1タス1が2という明確な答えが出難いやっかいな相手。同じ日本語でも解釈のずれが生ずるくらいだから、そうやすやすといかないのですよ、ね。

それに時々日伊辞典と伊伊辞典にちょっとした違いが生ずることがあったりして。これは習慣の違いとかメンタリティの違いとかが関係してるはずだろうとうすうす思ってるんですが。実生活の言葉は日伊や伊日辞典とおりに理解してては納得できないこともあることもお忘れなく。

早速お礼のメイルを出したら、彼女らしい真摯な返事が返ってきました。ともかくお互い慌しい1年だったようです。でも大変と思えることも後に大きな喜びに繋がることも多いから、前に進むことはやめられない、ってことかなぁ。

少し早めのクリスマスプレゼントを頂きました。

2008年11月30日

湯たんぽ

何だか日本でも最近また見直されているって噂を聞いてますが、こちら、家中温まっていても足元だけは冷えるから、冬にはやっぱり登場する。

ドルチェヴィタ(タートルネック)セーターを着たハート型『湯たんぽ』。

もともと"電気屋"なのに、時々覗くといつも不思議なものとかなり美しいものが置いてある店で、あまりにも可愛らしかったのでつい購入。
でも突然寒くなる前のことで、間に合ったことに胸をなでおろしています。

2008年11月24日

初雪


そりゃ今年は一週間早くクリスマスマーケットが始まったとはいえ、まだ11月24日。
冬はよろい戸を閉まってしまうので、近所に住む夫君の同僚から『便乗コール』があるまで知らずに呑気に朝食をとっていた次第、そういえばかなり静かだったっけ。

私のほうは、それ程あわてず、何時もよりやや早めに家を出る。
トレンティーノは降雪日のオーガナイズは徹底しているほうだと思う。いつもあっという間に除雪車が出動するからだ。ところが今朝は、雪が降り続いているので、除雪車が何度も往復して交通遮断している。マイカー通勤族も急遽バス通勤に変更したため、バス車内外ともども、一時間近い遅れを伴う大混乱。

まだ早いかも、としまっておいた雪の日用防寒ブーツが早速活躍することに。これでないと家の前の駐車場を横断できないほど積もった、ちょっと早めの『初(大)雪』だったので。

2008年11月18日

エスプレッソメーカー

実はアンチ電化製品。
でもついに買ってしまった、エスプレッソメーカー。

忙しい朝モカをガス台にかけて、他のことをしながらついコーヒーをふきこぼす事が多く、その後のガス台の掃除のことや、ちょっと目立つようになった愛用モカの焦げつきが気になってきたこともあった。最近ことにいろんな種類のエスプレッソメーカーが電化店に登場してきて、バールにあるような大型のものでなく、かといって味気ないデザインでないもの、と気にし始めてから数ヶ月。

これは、カプセルをセットして作る形式に変わりつつある傾向のなかで、火に直接かけるかわりに電気で沸かすというシンプルなもの。(こういうのはもう生産してないのかも)エスプレッソが出来あがったところで電気が切れ、30分間保温、タイマー付き。

出来あがったコーヒーの良い香りで目が覚める、という優雅なことを想像していたが、実際にはこの準備さ程手間がかからないため、飲む前にセットしても大した時間の節約にはならない。

唯一のメリットは吹きこぼれない、ってことかな。
肝心の味のほうは、、暫く使い続けてみないとね。美味しいエスプレッソが飲めるかどうかは、そのモカにちょっとコーヒーの味が染みついてみないと、ということで“まだちょっと疑問”の使い始めである。

2008年11月3日

Firenze-フィレンツェ 

2年ぶりのフィレンツェ。そして今回は数年ぶりに“観光客”として市内散策。
ドゥオモはいつの時代も変わらないだろうと思わせる毅然とした佇まいで、近代的で洗練されたウインドーディスプレイのお洒落な店がどんなに増えても、伝統的な工芸品を売る昔ながらの店構えにはどうやっても適わない、そこの一角だけ時代が留まっているような印象です。



今回は幸運にもヴァザーリの回廊の入場が予約できたので、再びウフィッツィ見学する機会も得られ、数回目のその余裕でテラスにでて一休みなんてことも。
建物間の隣接した細い路地を歩き回り、改めて眺めるとフィレンツェの旧市街の建築物は高層だなと思う。当時これだけの高層建築物を設計していたことに比べると、現代人はそう新しいものは作っていないかもしれないなと思ってしまう。

さてヴァザーリの回廊。
ヴァザーリが短期間で設計したという、ウフィッツィとピッティ宮殿を結ぶためのいわばシンプルな廊下。でも、ポンテ・ヴェッキオで行われている貴金属の取引などを円窓から眺めたり、中間地点の窓からアルノ川とそこにかかる見事に調和のとれた設計の幾つかの橋、鏡のように映る河岸の景色はきっと唯一の絶景。そしてあるところでサンタ・フェリチタ教会の上を通り抜けていて、行われているミサの様子なども観察できるしくみ、メディチ家の贅沢な希望をかなえた回廊ってことでしょう。



そこに展示されているのはあらゆる画家たちの自画像と画学生たちの静物画などのコレクション。もちろん設計者本人の(有名な)自画像があります。この方画家というより、芸術家評論で有名になったけれど。

同じ画家の何枚もの作品も描かれたときの状態などにより随分顔つきが変わっていたり、イタリア人画家像は特に愉快で、イタリア人らしく自己表現がとても豊か。有名無名に拘らず観てみる価値有り、です。

ここフィレンツェも(?)、実は毎回変わることもある。教会の入場が有料になったのはごく最近のことでしょうか?でも時間によっては、フィレンツェ在住の約200名がボランティアとして協力しているという観光ガイドが教会の中を説明をしてくれるサービスがあり、得した気分の見学にもなる。超有名な数人の芸術家たちの作品があるだけでなく、夥しい数の優秀な芸術家たちが、歴史的証言を残していることを知る良い機会です。

今回の宿泊場所は旧市内から徒歩で30分のところ。小さなヴィラでヨーロッパ独特の天井が高く梁の見える部屋、調度品もいたって品の良い伝統的なもの。またレセプションの担当者がとても親切で気が利いていたので、まずまず満足できました。5ツ星宿泊という経験はないので知りませんが、失礼ながら、イタリアで感じの良いフロントにあたったのは実に始めて。また路線バスなら旧市街地まではすぐ。

この路線バスで郊外のレストランにも結構スムーズに移動でき、徒歩では行かないような場所にも周遊(偶然だけれど)、これもなかなか楽しめた事のひとつ。

ちなみにフィレンツェの市内バスは70分有効で一枚1,2ユーロ、4枚綴り4,5ユーロ、カルタ・アジレ10ユーロ(10枚綴り)、20ユーロ(21枚綴り)で買える。また本人のみ使用できる一日券5ユーロ、3日間券12ユーロなども有るので予定に従って購入できるってことですね。

またいざという時、バスの切符は運転手から買えるらしい。しかし通常1、2ユーロのところを2ユーロ。しかも、運転中は購入不可、運転手はつり銭を用意していないそうで、できるだけ乗車前に切符購入を薦めるとの注意書きです。詳しくはwww.ataf.netで確認を。

2008年10月27日

10月末、、ちりめんキャベツ畑

さて毎度のことながら10月最終日曜日から冬時間に変わりました。
昨日までの朝8時が朝7時なのよね、と初日は毎年言い聞かす。目に見えるありとあらゆる時計を全部1時間遅らせるから、(出来た事に携帯電話の時計は自動的に変わっている!)これも2日もすれば当たり前のようになるのが実に不思議。



当然夕方も日が早く暮れるから昼過ぎに散歩に出かけるのも慌しい。
紅葉が綺麗なブナ林を通ってVilla Lagallina からまだ先の峠のふもとに車を止めて、そこからロヴェレートの町が一望できる山小屋へは15分ほど。途中 Cavolo Verzaの畑とか眺めながら、、。



ところでこのVerza(ヴェルザ)というのは見た目はキャベツ、葉が縮れているのが白菜にも似ているイタリアでは良く見かける野菜。ちりめんキャベツと訳されてます。ミラノのキャベツとも呼ばれているらしいですヨ。
なんとお味噌汁の具にぴったり。

2008年10月8日

La terramadre (2008年伊映画)

監督:Nella Lamarca

南シチリアのパルマ、数年前に母親をガンで亡くしたガエタノは父親と叔母との3人暮し。父は飲食業の成功を求めて近日中にドイツへ出発する予定でいる。息子にも同行を強いるが本人は生まれ育った土地を離れたくない。

一方、海を渡り難民として流れついたアラブ人のアリ、道路に倒れこんでいるところを幸運にも土地のイタリア人家庭に救われ、つてで仕事を得る。外国人労働者の手を借りることの多い農作業である。

退廃的ムードを漂わせるシチリア南部の小さな町では、現在も北部へ仕事を求めて移民するイタリア人が多い傍ら、不法外入国の外国人労働者達をわずかな収入で雇用して経営を支える土地の業者も存在する。国外で外国人として生活すべく選択をせざるを得ないイタリア人と、イタリアに移民した外国人との両方の視点から、不可能な状態における希望と失望を描く、選択の答えが出難い、やりきれない気持ちになる悲しい映画だった。

映画は実際ガットパルドの作者の土地、パルマ・ディ・モンテキアロで行われたそうである。貧困とは対象的に、海や教会、修道院跡などの景色は非常に美しく、人々の心に培う土地や宗教への拘りがドキュメンタリーのように描かれている。

また、現在自分の住む北イタリアと南イタリアの生活の違いというのも予想以上で少しショックである。

il gioco degli specchi 2008, CINEMA 上映作品のひとつ

2008年9月23日

トレンティーノ囲碁倶楽部


トレントに引っ越してきたご夫妻の協力とレイクくんが中心になって、昨年の夏からYomoyamabanashiの活動のひとつとして始め、今年レイクくんが日本へ出発した後も、囲碁を楽しむ何人かが参加を続けてきたグループがあります。彼等、いよいよトレンティーノ囲碁倶楽部として本格的に肩を組むらしい。

その参加者グループのうちの一人フェデリコは随分まえから『囲碁杯』を企画、いよいよ27、28日トレントの隣町ロヴェレートで行われます。イタリア各地から参加者を募り、どうやらイタリアで一番強い段者も参加するって噂です、スゴイ。

個人的には碁が打てない、覚えようと努力しても、不向きなんですね、大抵負けてしまう。白黒の碁石と広い碁盤に向かっているだけで、くらくらしてしまってゲームが読めないという情けない状態ですが、会にはほぼ受付係のように(?)顔を出しています。

先日クラウディオからの依頼で、四方山話お知らせメールを発信しました。トレンティーノ囲碁倶楽部のロゴが出来たそうです。
多くの人に宣伝したくなりここにも載せておきます。なかなか格好いい、トレンティーノのシンボル『鷲』と『碁』の組み合わせで、強そうだし。

この囲碁練習会、日本人よりイタリア人のほうが圧倒的に多いのですが、打ち始めるときに『お願いします』終りに『ありがとうございました』と挨拶するあたりがとても好ましく、嬉しく思っている次第。

囲碁杯の団体戦、個人戦共々幸運を祈ります!!

2008年9月9日

Bici - 自転車

最近こういうのに凝っているらしい、友人のために。イタリア製をかなり絶賛していましたが、んん納得するかも。たまたまディスプレイした店に通りかかったので写真撮っておきました。





こちらは、部品。私からすると単に“枠”に見えるけれど。
それにしてもディスプレイしてある『運動靴』かなりお洒落ではないでしょうか。

2008年8月13日

道具



山岳地方で見かけた家の壁にかけてある、ひょっとしたら意図的に飾ってある(?)かつての仕事の道具。
鍬とかのこぎりくらいはわかるけれど、一部しか残ってないものもあり、さて何に使うのだろうかと気にかかったので。

2008年4月21日

007

久しぶりの晴天の週末、リモーネまでドライブ。
ガルダ湖の西岸、細いカーブと崖を掘り起こして出来たと思える絶景の古いトンネルを抜けると、車道から下る坂に沿って小さなリゾート地Limoneがあります。

ちょうど今ガルダ湖で次回の『007』のロケーションをしているのです。(書いているうちに終了したかもしれませんが。)前々日(?)トブリーノ近郊でロケ中、スタントマンが運転を誤り車ごとガルダ湖に転落、スタントマンは無事脱出に成功、すばやくレッカー車が到着、撮影用の車も引き上げられた、というニュースを小耳に挟んではいたのですが、、、

次の撮影予定地であるリモーネにありましたね、それらしき撮影用の『車』。我ながらこの野次馬根性に少し苦笑いしながら、写真に収めました。ちなみにコムーネの掲示板いっぱいにロケに関する記事が張り出されていましたヨ。

憶えていたら次の『007』をお見逃しなく!

2008年4月6日

映画-『8月の狂詩曲』

黒澤明監督、1991年日本映画。
Cinema Vertigo のジャンピエロの絶大なる厚意と協力により2月から3月の間Barycentroで行った『SERATE A TUTTO CINEMA』の日本映画上映会の上映作品のひとつ。どの作品も様々な観点でいい映画ばかりだった。在日本人にとっては“家”を思い出す、日本を知らないイタリア人には“日本”を垣間見られるいい機会だったと思う。ホントにありがとう、ジャンピエロ。
記憶の新しいうちに、感想を。

<ストーリー>
戦後45年、長崎の田舎の祖母の家で夏休みを過ごす4人の孫たち。被爆地の長崎市内を訪問しながら歴史の中の出来事、第2次世界大戦について考えていく。またハワイに移民した祖母の兄弟のうちのひとりの息子(リチャード・ギア)が祖母を訪ね長崎を訪問、原爆記念45年にあたるその夏にアメリカ国籍の甥と初対面を果たす。

ジャンピエロも言っていたが、日本語オリジナル版の良さは特にリチャード・ギアが日本語を話している部分にあるのでは。日系二世の役柄の真摯な感じがとてもイイ。ハワイには日系人が多く住んでいることは周知だが、様々な理由で海外に移民し、現地で成功を収めている背景には家族とは疎遠にならざるを得ない犠牲もあるのだ。彼等の子供達は日本人の血をひいていても、完全な英語を話す米国人として成人する。

始めて会う伯母とそれほど流暢ではない日本語で会話するシーンが穏やかで印象的。親や自分のルーツを尊重する気持ちが無意識が働くのだろうか?これは終戦後のアメリカと日本の理想的な関係を象徴しているかのよう。

ひと夏の不思議な縁の対面と、原爆を思い起こす雷を伴う豪雨、それも湿気の多い日本の夏には起こる天空が狂ったようにまた怒ったように降る激しい雨のなか、人も恐怖で我を忘れたようになるシーンで締めくくっているところが、映画のタイトルの『狂』と重なるのかな。

常に疑問に思うことだが、被爆地の日本はこの歴史的過去についてどう受けとめるのが公正なのだろうか。

2008年3月21日

走り書き、3月

事務所の女性が別の仕事が見つかって急に辞める事になったのだけど、来てくれないかしらとボランティアでお手伝いしている事務所から電話がかかってきた。半信半疑で『ハ、いいですけど、こんな私でよかったら。』(どこかで聞いたような台詞)という簡単な合意で、短期契約であるが毎日働くことになった。

イタリアに来てからというもの早寝早起きの習慣がすっかり身についたので、朝8時半出勤という、画期的な時間帯で引き受けた。でもまあ、やれば出来るもんですね。これも習慣になればどってことはないかも。speriamo!

出勤2日目、バスの乗換え5分の予定が先のバスが案の定遅れて、久しぶりに人中走りました。朝のあの時間目立ってしまったな、と反省。なにしろイタリアで走る人、見た事ありませんから。

5、6分遅れそうになった時に連絡し、事務所で、こういうこともあることをご承知おき下さい、と事情を説明したら、『多少の時間の遅れを気にするよりも、もっと気にしなくてはいけないことが山ほどあるのよ。大事なのは来ることだから、そういう些細なことは心配しないように。』との返事。

本当にそうだと思うが、日本人のメンタリティでは出勤時間厳守、が原則だし。
私自身がなぜかイタリアに来てから急に時間に神経質になって、ほぼ15分は遅れてくるイタリア人より時間を守る几帳面な人側になったのはちょっと不思議な現象だと思いつつ。

おかげで翌日からはバス1本逃しても慌てないことにした。そこで遅れてもせいぜいわずか数分のことなので。

環境は予想していたものよりもずっと良く、とにかくここの一番偉い『会長』女性であるが、腰の低さには恐れ入る。小柄なこの女性は声に張りのある人で、スゴイ数の人から絶大な信頼を得ている。そしてその人達の強い賛同と快い協力を得て大きなプロジェクトを運営している。でもちっとも高慢なところがない、こういう女性に会えたのはちょっとした幸運かもしれない。

春だから、私にも新しいことが始まったかも、と思うような3月の出来事である。

2008年3月1日

卒業後の試練

甥の大学卒業のお祝いに駆けつける。
こちらの学生が大学(高校もだが)を卒業するためにかなり一生懸命勉強するっていう姿には感心している。それに学生時代勉強した事を就労に生かす、という社会全体の姿勢も。

甥も同様、多くの試験を通過、分厚い論文を提出。それから卒業のその日までは論議の準備も怠られない。
フェスタに呼ばれた私達など、彼が新品のジャケットにネクタイを結び緊張している様子、同日に卒業する同級生やその仲間たちがドアの外で励ましあったりする様子なんかをカメラに収めたりして、呑気なものである。

教授とのディスカッション会場には、親戚と友人一同がガサガサ入場。最初相当な早口で始まった論議も、皆が会場に着席して静かになったころにはやや落ちつきを取り戻したらしい。この騒々しさがきっと本人の緊張を高めたに違いない、、。ひととおり質疑応答が終ったところ退場、もう一度呼ばれて自分の合格点を知らされ、改めて卒業を認められる。

無事卒業。おめでとう!!

しかし、

祝う前に『試練』があって、卒業の印である月桂樹をいだいて町を練って人通りの多い街頭へ。その後をぞろぞろついていく、私達親族友人たちの列。
どうやら恒例の“コンパ通り”があるらしく、そこへ到着すると彼はガールフレンドからジャケットを脱がされ、ネクタイを解かれ、シャツを脱がされ、この寒い中下着一枚になる。そして友人一同が作ったトンネルを何回も裸のまま通り抜けさせられる間、身体中滅茶苦茶にひっぱたかれる、背中が真っ赤になるまで。

いい加減なところで、漸くTシャツを着て、ついでにビニール袋もかぶせられ、ガムテープで巻きつけられて、その中に野菜や生きた魚も突っ込まれる。他の同級生は身体中にマジックで何か書きこみ、その後は生卵を投げ、小麦粉を顔中塗りつけられる。洗いものを強いられたり、同級生の言いつけに従うままである。

やはり寒いからというのもあるし、酔わなきゃ出来ないというのもあるだろうが、ワインボトルを手渡されて『Bevi』コールを何度も受ける。そして、友人たちがあらかじめ用意しておいた、在学中のエピソードをもじった彼のストーリーを大声で読み上げていく。その間も小麦粉シャワーを浴びたり、野次がとんだり。

卒業後の初の試練がこの街頭での長い恥ずかしいパフォーマンス。

人通りの多い街頭での同級生のキツイ冗談には思わず苦笑いしてしまうもので、親も親戚も知らない、友人だけが知る甥への“お祝い”。まあそれだけ在学中は『愛された』ということらしい、、、。

フェスタ会場はシャワー完備のレストランで。
彼がすっかりりりしい姿で再登場するまで随分待たされたのは、髪についた卵はなかなか落ちないだろうとか、足についたガムテープをはがすのは大変とか、香りに気を使ったとか、鏡を見ている時間が日ごろから長いとか(イタリア人は皆往々にしてナルシストだし)様々なことが想像できた。

私達は次々出てくる料理と飲み物に感嘆して、彼の仲間たちはいとおしい『同期のサクラ』の卒業に相変わらず浮かれていた。

食後のお菓子の後、このフェスタの締めくくりにチョコレートのサラミが仰々しくワゴンに乗って運ばれる。卒業した本人が、端のシッポを切って次の卒業予定者に投げ渡される。受け取った友人が次の戦士、先輩からのエールというわけである。ここの学生たちの慣習だそうだ。

卒業までの楽しく苦しい日々を思い返しながら、その日も緊張いっぱいの朝を迎え、称号を頂いて漸くほっとし幸福感を味わったのはきっと甥だけではない。両親も親戚も同じくらい感慨していたようだ。

帰る頃にはなんだか甥が『dottore』にふさわしい、また一層美男子にも見えてくるから不思議。(もちろん手前味噌!ですが)

2008年2月18日

徒然

Yomoyamabanashi料理教室の第2グループもお蔭様で催行を決定、先日初回を迎えた。日本食といっても、私達の提案する料理教室は日本食の代表みたいになった『Sushi』と『Tempura』を家で作ろう、というもので、料理を通して私達の習慣や食文化を紹介するひとつの試みである。

近年タイ・アジア食材店ができてからは調味料の多くが手に入るようになったので、工夫次第で『日本の味』に近いものが自宅で作れてとても助かっている。しかもここのオーナー夫妻も親切で会の料理教室の材料調達でもお世話になることがしばしば、協力的でありがたい。

先日店の奥さんから、たくさんの顧客からタイ料理教室をやったらどうかと言われているんだけどどうしたものか、ともちかけられたので、確かにこれは私達日本人にも面白そう、今度共同企画しましょうヨ、と答えながら、でも私はタイへ行ったことがないのだと思い出した。

タイには日本食品の工場もあり、『スシ』も『天ぷら』の他、彼等にとっては日本食も身近なものらしい、この店に置いてある菓子類なども日本製かなと思うようなものもある。

一方私自身は、かつて訪れたアジア各国ではいつだってその土地の料理が口に合うことがなかったので、(旅行や仕事で行っているからごく一部のものの評価にすぎないけれど)日本でそれを食べようという意識に欠けていた。唯一タイという国はいつか行きたいという希望はかなわず、こちらに来てしまってますます遠い国になった。日本にあるアジア料理レストランに数回足を運んだくらいで、よくよく眺めてみるとこの食材店に並んでいる野菜や調味料の類もどうやって使っていいかも見当もつかないくらい、無知である。

またトロピカルな国=濃い辛い味つけという図式が頭の中で出来あがっているし、混沌ととしたイメージのある国、トムヤンクンくらいしか思いだせないからきっと沢山の材料や香草を混ぜるんだろう、、、とかますます???である。

つまり自分が知っていることは少ない。知らないことは人にも薦められないし、それをどう形に出来るかは少し知ってから、興味を持てるかどうかもその後のことだ。
だから残念ながらちょっとこの案は一時保留“オアズケ”である。何か良い案がある方は是非一報を!

2008年2月8日

会員証

 なんだかここのところ“44匹の猫たち”ではYomoyamabanashiの話しばかりですが、、

暫く前からNatsukoさんにいろんな種類の用紙の組み合わせで試作品を作ってもらいながら思考錯誤。彼女の忍耐と創作の協力に感謝、感謝です。遂に納得いくものが出来あがりました、『会員証』です。

傍からみるとどうでも良い些細なことのように思えるけれど、好ましいものを作りたい、という気持ちからです。せめて自己だけでも満足しないとね。
いいでしょ?と言えるもののほうが、何事も説得力があるというものだから。

2008年1月31日

映画 『la giusta distanza』


<監督> Carlo Mazzacurati
<出演> Giovanni Capovilla, Ahmed Hafiene, Valentina Lodovini, Giuseppe Battiston, ecc.

ジョヴァンニはポー川を望む小さな田舎町に住むジャーナリスト志望の18歳。地方紙の特派員記者をしていることは誰も知らないし、記事にも氏名が載らない。
傍ら私生活で大型廃棄物のなかから見つけた二輪の修理をするために近所の工場に通っている。そこに勤める善良なチュニジア人技師アッサンと短期で赴任してきた、若く美しい小学校の教師マラの間に芽生える恋心を遠くから見ている。


題名が示唆しているが、ある相応しい距離をおいてひとつの事柄を眺めていくと、近距離ではわかり難かった事実が見えてくることがある、これは映画の中でベテランのジャーナリストが若い彼にアドバイスした言葉の意味。

時にある村祭りに皆が参加したり、唯一あるレストランにどの住人も通っているような、長いポー川沿いを中距離バスが1時間に数本通るような、大きな魚が連れたことが大きな話題になるくらいの平穏な日常生活は、逆に異常でさえもある。

昔ながらの土地に新しくやってきて暮していくのは、少し好条件の外国人と似たようなものだ。でもだから尚更慎重でなければならない。外人はさらに悪条件で暮していかなければならないから、余程である。

表面的には“外国人は悪いやつばかりじゃない”のは皆わかっているようです。でも何か問題があったときには、顔が違い、話し方が違い、習慣も違う『誰か=外人』を疑うのが、一番都合がいい。だからいつも大抵少し弱い立場に立ってしまうわけで、しかも賢く立ち振る舞う人でなく、生真面目にやっている人間がその不利な立場に立たされることも多いというのも事実。

大きな事件にかかわらず、日常的に起きていることです。

従って(知らない土地で暮す時は)自己防衛を心がけ、忍耐力をもって慎重に行動する、、、なんかいつも同じ結論にたどりつくなあ、とは独り言ですが。

2008年1月28日

日本料理教室ー第4回

Yomoyamabanashi 日本料理教室、第4回目『天ぷら』



天ぷらはたくさん揚げるともう見ただけで美味しそう、です。

トレントでも日本の某有名メーカー『天ぷら粉』が手に入るようになって、材料を切って揚げるだけになりそうだったので、(イタリアでも海の幸の揚げ物はありますからね、、!)『和食の特徴をつけるための一工夫』をインストラクターを担当してくれているKYOKOさんにお願いしました。

“衣を変える”ことと“かき揚げ”は日本風のアレンジ、私達のちょっとした食文化の紹介になったでしょうか?



後から気がついたのですが、参加者が菜ばしを不思議そうに試している様子。
皆さん食べる時の箸は上手に使えるけれど、この長いのは苦戦したに違いありません。イタリアでは、同じ用途で大型のピンセットみたいな調理器具が存在します。

この料理教室は今回が最終回。共通の『いつもと違う料理』に興味をもった人達の集まりであったことはもちろん、偶然同年齢くらいの女性が多い小人数グループだったせいか、あっという間に皆さん仲良くなり、和気藹々とした調理実習の時間を作り上げてくれました。

日本の習慣や食文化、料理に興味を持ってくれて参加してくれた皆さんはをはじめ、実習担当のKYOKOさん、それから参加者登録の受付、問い合わせ等一切を引き受けてくれたチャギくん、お手伝いにも駆けつけてくれた囲碁部部長レイクくん、AIさん、MASAKOさん、遠くから鮮魚の仕入れ担当してくれたNATSUKOさん、場所を提供してくれたVillaの方達、そして台所のロベルトなど、たくさんの方達の協力を得て小さな料理教室を開くことができました。皆さんの応援とご協力にとっても感謝しています。どうもありがとう!!

これをきっかけに、どうかトレンティーノの人々が『日本』を一層身近に感じてもらえますように。

2008年1月16日

映画ーLa Sconosciuta

クリスマスから年末年始は風邪をひいたり、車のトラブルがあったり(事故ではなく)ちょっと冴えない長い長い休暇でしたが(?)、逆に考えれば、おかげで自宅でゆっくり休養することができたとも言えるかも。

この間に今まで見逃したイタリア映画をまとめて何本か観たのだけれど、偶然にも『移民』『外国人』と『国民』の関係について別の視点から、でも共通して『より良い解決とは?』という疑問を残したものばかり。『共存』とは確かに現在の、この国の大きな緊急を要する課題のひとつなのだ。

そのうちの1本“La sconosciuta” は、ウクライナから『イタリア』の裕福で閉鎖的な住宅地域へやってきて暮し始めたイレーネという女性の物語。

<監督>Giuseppe Tornatore

<出演>Xenia Rappoport, Michele Placidi, Caludia Gerni, Margherita buy ecc,


直訳で『見知らぬ女』でも『異国人』とも言える、または『外人』。
でもこの題名は実際に、どこからやって来て、どんな過去を持つかもしれない異国人に対する受け入れる側の不安、猜疑心と新参者である主人公をよく表していると思う。実際未知であるから。

イレーネは幸(ある意味で)を求めてイタリアにやってきたのにも拘わらず、目的を果たすどころか自らさらに大きな賠償を請け負うことになる。ひとりの不幸な女性の例にすぎないかもしれない。でも過去を捨てて異国で生きている人というのは、例えば貧困や社会事情で、しかたなく母国を諦めることが多いらしいのは事実らしい。

確かにイタリアに住んでいる外人の中にはどこか悲しそうか、寂しそうか憂鬱そうという印象を受ける場合もあり、相手を不安に思わせることもある。(というのは私個人の勝手な意見。)主人公の女優も演技が上手かったということだろうが。

主人公イレーネが背負っている過去とイタリアでの現実との交錯、どん底の貧困と豊かさ、幸福と不幸との比がとても対象的に描かれている。それに思いがけない結末で、驚愕する。おかげで立て続けに2度観てしまった。

移民を迎えるイタリア側も、ある程度慎重でなければならない理由であまり寛大に振舞うわけにいかないのだ。でもこれが全ての外国人に対する偏見につながらないことを是非とも祈ります。

2008年1月1日

謹賀新年



親愛なる友人知人、親族の皆々様へ

昨年はだいぶご無沙汰してしまいましたが、お元気でお過ごしのことと察します。
皆様にとって、ますます健康で喜びの多い2008年になりますように。

また、

今年も相変わらず(ご贔屓に!)宜しくお願い致します。