2014年7月10日

日光浴便り

6月末、海に行ってきました。この時期やはり日焼けしておかないとね。
今回は友人が滞在中のリミニに合流することになり、何年かぶりのエミリア・ロマーニャ。

パラソルがえんえんと“きっちり”並んでいる砂浜の光景。この几帳面さがいかにもイタリア人好みだと、漸く理解できてきたこの頃。




早朝長い砂浜をウオーキング、朝食たっぷりとってから海へ。
読書、合間にお喋り、それから再び活字に、(スマホも便利になったけど、読むのは“今のところ”紙に限る、、、)厚めの本を読む良い機会です。

帰路に立ち寄ったチェゼナティコは、かのチェーザレ・ボルジアがレオナルド・ダ・ヴィンチに都市計画のプロジェクトを相談した?(かなり大雑把な要約)町だとか。




サッカーのザッケローニ監督の初場所という情報も?(ワールドカップで盛り上がってる時期でもあり)

友人と彼女の可愛い姪たちの同行で、いつもと違う休日が過ごせました。お付き合いありがとう!

2014年6月17日

Merceria 小間物屋

クリエイティブな店先で、思わず足を止めたくなる。
まだまだ存在するんです、こういう店をイタリア語で Merceria ”メルチェリア”といいます。(リボン、ボタン、針など主に服飾品の)小間物屋。
主に複数形で小間物(類)になります。





随分前のこと、洋裁屋の伯母に一度洋服を作ってもらった事があります。
シンプルなワンピースとジャケットをデザインしたところまで事はかなりスムーズに運んだのでしたが、さてボタンを探しに生地を持参で来てみたら、なんと店内には、ありとあらゆる種類きっちり並べて置かれていたわけです。しかも、どれもこれもすべて似通ってみえる、つまりその大きさも形もわずかな違いと思えるようなものも取りそろえている。だからどれでもいけそう、、、。ボタン、されどボタン、、、途方に暮れた末選んだものは、結局ごくごく特徴のないものでしたが。
さすが”モードの国”なのだと再認識、デザインのニーズに対して几帳面に対応しています。

またイタリア生活は、デザインした洋服に一番合うボタンをひとつを選ぶように、たくさんの似たもの中から、”自分が好ましいひとつを選択”することを覚えます。





2014年6月9日

りんご街道 in カルダーロ (ボルツァーノ県)

週末、ボルツァーノ県のカルダーロ湖畔へウォーキングに出かけました。湖はワイン街道沿いに位置し、夏はリゾートとしてよく知られます。葡萄はもとより林檎畑もえんえん続きます。

2年前の「おぉ!信州人」取材協力をちょっと思い出しました。いやはや暑かったです、あの日も。

農業試験場のマルクス氏が丘の上から下を見下ろし、「皆さんが10年後くらいに再訪されたとき、このあたり一帯が全てシナノゴールド栽培になってる事を期待してるんですよ、、、」なんて言ってたっけ、ちょうどその辺り、、、



アディジェ渓谷の赤みがかった麦わら色の林檎の耕作は19世紀に遡るものだそうです。道中には、栽培中の様々な林檎種類の案内掲示版もあります。いつの日かリストに「シナノゴールド」が追加されるのかしら。




まだまだこちらの林檎も小ぶりです。




暫く歩くと、清涼飲料水の自動販売機が。確かに途中で水分補給したくなりますね。しかし、この箱が何なのか理解するのには少々時間がかかりました。




いかに自販機を目立たなくさせるかの好例だと思います。
6月に入り漸く“暑さ”が到来した様子、こちらはこの暑さが今週いっぱい続くそうです。

2014年5月30日

Play it like Bach: Yoshimi Wittermann

実は私生活ではエレクトリック音楽にハマっているこの頃ですが、、、

一方古楽器の”まろやかな音色”も耳に心地よい。 そこで親しみやすい紹介ビデオ見つけました。



古楽器で思い出しましたが、昔々オーボエのリード作製本に関わったとき、著者が部屋の奥からバロック時代のオーボエといって、一度聴かせてくれたことがあったっけ。そして、吹いた後、
『どうだい?いいだろう~この音』とうっとり。
なるほど、その名も「オーボエ・ダモーレ」というくらいでしたから、、、。


2014年5月13日

朗読者 THE READER

暫く手つかずになっていたトレンティン書房のデータ入力を久しぶりに再開しようと、書籍の整理をしていたら、ミステリーに混ざって見逃してしまっていた一冊。 





『朗読者』ベルンハルト・シュリンク 松永美穂訳
<解説より>
学校の帰りに気分が悪くなった15歳のミヒャエルは、母親のような年の女性ハンナに解放してもらい、それがきっかけで恋に落ちる。そして彼女個の求めに応じて本を朗読して聞かせるようになる。ところがある日、一言の説明もなしに彼女は突然、失踪してしまう。彼女が隠していたいまわしい秘密とは何だったのか、、、。

”胸を締めつけられる残酷な愛の物語”、ミステリー作家でデビューしたドイツ人弁護士の驚くほど正確で、読者の感情移入を促す文体、という紹介文に興味を持ち読み始めたところ、まさに止まらなくなり、読了せずにはいられませんでした。

既に、2008年に映画化、「愛を読むひと」(邦題)の原作です。

(トレイラ―を見る限りですが)ケイト・ウィンスレットが頑なであまりに美しく、15歳の少年が恋をしてもちっともおかしくないドイツ人女性を見事に小説のイメージ通りなこと、(私が描いていた像よりさらにより美しいかったのでより説得力がある)またホロコーストに関わる作品でもあり、”是非とも観てみたいDVDリスト”にあげておこうと思っています。







2014年5月7日

信州みそin Italia

以前から寿司用米、醤油、寿司酢、カレー、だし、ワサビ、天ぷら粉なども手に入った在住者にとってはとっても有難い駅の側のタイ食材店。ナント近頃は、お味噌も、インスタント味噌スープも、わかめ、箸、椀、などなど和食用の商品入荷もいっそう充実。先日『ひかり味噌』を見つけたので、ちょっと感激しました。

近頃の日本食ブーム、Sushi レストラン大進出のおかげでしょう、実は『味噌汁』もイタリア人にはお好みの日本食の一品になりつつある様子。時々リクエストされる『和食の夕べ』でもまずまずの評判。




ところで、イタリア語では海藻類を『アルガ』Alga (海草・藻、水草・海苔)というのですが、店頭で売っているアルガは、アルガコンブ(昆布)、アルガノリ(寿司用の海苔)、アルガワカメ(乾燥ワカメ)、ついでに、サラダ用のアルガワカメミックスていうのもあって、ちょっとややこしい、、、。

そこで近頃の質問で多いのが、レシピにある味噌スープの『アルガ』はいったいどう使うのかというもの。その都度、きっとイタリア人には区別しにくいのだろうと余計な憶測、「昆布」かあるいは「わかめ」かどちらを買ったの、と聞いてから、私風味噌スープのレシピを伝授するのである。

2014年4月28日

エビのセビチェとパタコン

先日友人宅でのランチ、始めて『エクアドール料理』を頂きました。
エクアドールはバナナの産地で有名ですが、生でも火を通してもと、様々な方法でたっぷりバナナを食べているんだそうです。

まず『パタコン』は、バナナを小ぶりにカットして揚げる。


空揚げバナナを叩いて平たくして、更に二度揚げ。これでサクサク『パタコン』に。もちろんお行儀が悪くてもここで味見。見た目もですが、どこかサツマイモ揚げに似ている、、、



セビチェ』はエクアドールの代表的なマリネ料理。



スライス玉ねぎ、さっと塩ゆでしたエビ、トマトスライスをふんだんにオレンジとレモンを絞ったスープにマリネする。(スープがたっぷり)

さっぱりエビのスープとほんのり甘いパタコンがとっても良い相性。
海水浴場の屋台などで大人気だとか。テーブルが一瞬トロピカルになりました!!

2014年2月9日

冬の合間の日曜

悪天候か風邪ぎみという週末を何度も過ごしてしまったので、久しぶりに”恒例”ガルダ湖方面へ昼食かねてドライブへ。




お昼ころから雲行きが怪しくなること、おまけに強風で、急遽予定を変更して、ショッピングセンター(屋内)に立ち寄り、コーヒーブレイクすることに。

午後遅い時間から日が差し始めたので、散策しない手はないとやはりLazise へ足が向いてしまった。ここ数日の雨雪で水嵩も高く、カモも溺れそうなほど珍しく荒れていたガルダ湖でしたけど。

気温10度。

2014年2月4日

La Chiave di Sara サラの鍵

前回に引き続き。

1月27日、アウシュビッツ強制収容所ソ連軍による解放された記念日に因み、トレント市協賛の映画上映3作品のうちのひとつ。タティアナ・デ・ロス原作、2010年フランス映画。

1942年パリのヴェルドローム・ディヴェール大量検挙事件における、一人の女の子サラのエピソードを過去に遡ってアメリカ人ジャーナリストが探っていく。
当時の悲惨さを描いくのでなく、その後に残る傷跡を開いていくことにより、その深さが想像よりはるかに深く、膿をもつことを知らしめる。




サラの人生は、いずれにせよ誰かによって見つけられるべきものだったのだと思うのだ。長い時が経たとしても、事実が忘れられないために、ディスカッションされるために。

2014年1月27日

L'Onda

先日友達から誘われた『映画と食』イベントでの上映作『L’Onda』(波)。デニス・ガンゼル監督、2008年ドイツ映画。

ある高校教師が、ドイツ国民が何故ホロコーストを『無視』できたのかを説明するために、いかにして“独裁・専制権がデモクラシーを廃止できるか”を生徒たちに実体験させるストーリー。原作は1969年の小説で、1967年に実際にアメリカの高校で起きた事件をベースに書かれたものだそうです。





1月27日(アウシュビッツ強制収容所解放記念日)、強制収容所で何が起きたかを忘れないためでなく、何故起きたか、『ショア』について熟考する日です。

それにしても、専制に類似するものは身近なあらゆるところで派生しうるものに違いなく、極めたところの穴に吸い込まれていくごとく、それに群がり同意する人が多ければ多いほど傾斜しやすい。

団結力とは良くも悪くも影響するものだけに、誤った選択をしないだけの自己の確立が最も重要だとわかりきっていても、大多数を占めている『Yes』に反して、『No』の力の弱いこと、、、
課す責任がどこに置かれるか、善から始まり、悪へ翻る接点がどこにあったかも事の大きさにより、様々な仮定や疑問が沸くのである。

上映終了後はどこからともなく、その終わり方について、責任を問われた教師の思いはどうであったのかとざわめきました。地味ですが、とても考えさせられる映画です。 

2014年1月7日

Brusa la vecia 古きを燃やせよ

寒中お見舞い申し上げます
 
 

 
エピファニア(救世主の御公現の祝日、主顕節 )にヴェローナで行われるイベント「Brusa la vecia」。古いもの(昨年の厭な事なんか、古い代表、老婆が犠牲になるわけですが。)を燃やしてしまえ~ってことらしい。
 
そして、″新しき気持ち″で始めます、2014年も相変わらずご贔屓に!

2013年12月1日

"Bachata en Fukuoka"

Juan Luis Guerra "Bachata en Fukuoka"

どうしても「ありがとうございます」と言ってるような、と気になってしかたがなかったのでした。
よく聞いてみると「さよなら」「おはようございます」とも言っているような、、、
と思い始めたら、ほぼ確信に近くなり、、、探してみることにしました。
確かに「福岡」と何度も言ってる。

福岡公演中に作った曲なんだそうですよ。



2013年11月25日

オリエンタル・ザッハトルテ

傑作『ザッハトルテ・陰陽』
こういうの作ったんだよ~、と見せてくれた写真。話題にせずにはいられません。
 
 

シェフは書道ほぼ黒帯の方なんですが、お菓子作りもスゴイ!でしょう。

2013年7月11日

Venezia




何処も妙な天候が続いた6月ですが、やっと晴れた休日、ヴェネチアに渡りました。
それにしても、何度訪れても毎度「感動する街」です。
 
 


強い光が窓ガラスに反射しても、くっきりヴェネチアの風景、なのです。
単なる偶然なのかしら、ね。




街がたたずんでいる年月の長さを考えると卒倒しそうですが。
私が初めて訪れてからのことを考えても、時は計れないほど短い?かも。


2013年7月3日

オリバー・ツイスト

漸く腰を上げて、預かっている書籍とDVDのリスト作成を再開している。

DVDはほとんどが世界大戦の前後に制作された洋画の名作といわれるもの、だからかつて既に観たものもあれば、話題に上っていたから知っているもの(こちらが多い)ばかり。しかも白黒なのだ。リスト作成している間に、やはりいつものようにじわじわと興味が募り、せっかくだから観てみようという気になる。
その手始めとして、ディッケンズ原作、デヴィット・リーン監督の『オリバー・ツイスト』。 
ストーリーは孤児院で生まれ育ったオリバーがやがて葬儀屋の丁稚にだされ、その後母親を屈辱されて大喧嘩の末、脱走しロンドンへ。不良少年と知り合いになりフェイギンのところへ連れて行かれる。フェイギンは幼い子供たちを利用して悪事を働いている悪党の親分だった。ある日金持ちの老人の金を盗んだ罪を着せられたが、幸い目撃者がいて罪を免れ、オリバーに同情した老人の家に連れて行く。ここからオリバーの運命の糸が解かれていく、というもの。
当時の幼児虐待と下層階級の貧困が見事に描写されていてショックを受けた。『人権』なんてごく最近認められた話しであること、貧困は現代のそれの比ではないことなどに。わずかな期間に人の意識は大きく変わることに、改めて驚いてしまうのだ。
偶然だったが、翌日にTVでロマン・ポランスキー制作のカラー版を放映していた。残念ながら終わりの一部だけしか見られなかったが。主人公オリバー役の男の子はデヴィット・リーン監督作の方がより気の毒そう、でも血筋は良さそうに見える。他の俳優たちもイギリス人らしく見え(注:私には)1947年作品はとても信憑性があったと思う。

 
 

2013年5月31日

フランクフルト乗継その2

今頃になりましたが、一応帰国便についても覚書。

帰伊は、ルフトハンザ航空の共同運航便全日空でフランクフルトまで、乗継ぎのフランクフルトからヴェローナまでエアードロミティ利用という組み合わせになりました。
まず全日空のカウンターでは、最終到着地までの荷物を預けボーデングパスと荷物の引換証をもらいます。空港でのチェックインは少々混雑を覚悟しておく方が、、、。24時間前から受け付けているwebチェックインはやはり便利かも。

全日空と提携のないエアードロミティのボーデングパスはでないのと、予約も再確認できないという職員の回答に少々不安はあったものの、フランクフルト空港では日本人スタッフが待機、乗継便搭乗ゲート案内も掲示してあり、表示に従って進むだけで恐らく迷うことはないでしょう。
フランクフルトで入国審査、少々厳格という印象です。でもこれが当たり前かな。乗継便ぎ便の機内持ち込み検査の後すぐエアドロミティの搭乗ゲート待合室へ。カウンターで予約確認書を提示しボーデングパスと交換、わずかな待ち時間で搭乗アナウンスがあります。実にスムース。

特筆すべきはエアドロミティのサービスの良さです。乗務員はテキパキにこやか、親切も大袈裟すぎることなく、制服姿が実に格好良くプロフェッショナルな印象、機内とサービス品のデザインの統一感にも感激いたしました!思わず”満点”をつけてアンケートを提出してしまった、、、

搭乗してまもなくスナックサービスがあるのは、どこの航空会社も同様ですが、今回はパルミジャーノ・レッジャーノとクラッカーだったので更に好印象。この組み合わせ、シンプルですがとてもイタリア的美味しさなのです。ひと月ぶりの私には嬉しい歓迎ぶりだったわけです。
そこで以前帰国したときのこと、国内線航空会社の、”サービス軽減”について賛否両論されていたことをふと思い出しましたね。でも個人的にはやはり、航空会社を選ぶときには、サービスを含めた『乗心地』がポイントかな、と思った次第です。

2013年4月3日

フランクフルト空港乗継

近年帰国便は、あちらこちらの航空会社をかわるがわる利用して道中楽しむことにしています。

さて前回のウィーン乗継東京行きというのも、乗継ぎ時間も短く、空港が整備されている、また機内食も美味しかったので、まずまず満足。
それで再び「乗継便利用」の今回は、フランクフルト経由を試すことに。

旅行会社から、空港がかなり広いので乗継はちょっと小走りでお願いします、だなんて注意されていたものだから、実はドギマギしておりました。




要は”降りたら次に乗る便の出発ゲートを確認して表示に従って進む”ということ。 

既にWEBチェックイン(24時間前から可、ボーデングパスは印刷しておきます)を済ませておいたので、当日の出発チェックインカウンターでは、荷物を預け(荷物はスルー)、未記載の短距離便のゲート番号を確認するだけの簡単な手続き。

乗継ぎのフランクフルト到着時に電光掲示板でゲート番号を再確認し、表示に従い待合室へ進むというもの。その間の出国審査場などには、人波の流れから外れなければ問題なくたどり着くという仕組み。

確かに広い空港で、端から端まで移動するというほど長い距離の移動。でも免税店も覗けないというわけでもないので、よく検討された丁度いい乗り継ぎ時間かな。小走りする方も見かけず、皆さんのんびりお買い物なさってました。

航空会社を変えることにより、免税店もカフェもお国柄だったり、待合室の顔ぶれもかなり異なり(当たり前だけれど)新鮮な光景、キョロキョロしてしまう。

しかしながら、長いこと慣れ親しんだ「最新、便利できめ細かなサービス」は日本の航空会社の特権ではないのですね。ルフトハンザ空港の機上職員の方々、親切でニコヤカ。目前のスクリーンもタッチ画面に変わっていて、思わず「現代」に戻る必要があると、こちらにも感心。

快適な旅でしたよ!これはお薦めしてもよいかな。


























2013年3月27日

神長官守矢史料館

恒例の神社参拝を兼ねて、おおよそお隣の史料館に行ってきました。建築史家藤森照信先生の建築家デビュー作だそうです。





「神長官守矢家」は、古代から明治時代の初めまで、諏訪大社上社の神長官という役職を勤めてきた家である。大祝諏方氏は現人神(生き神)であり、実際に神事を取り仕切っていたのは、神長官をはじめとする、五官祝である。五官祝には、他に祢宜大夫守屋氏・権祝矢島氏・擬祝伊藤氏・副祝長坂氏がいた。
ー資料館パンフレットより引用
 
 
もう少し有名なのがコレ、



『空とぶ泥舟』と(これはいったい何だろう~と思いますが、上手な曲線が見事です)

鳥小屋にも見える(失礼!)『高過庵』




”嵐”の誰かとその中でお茶を立てたときに、大きく揺れて「これば高過ぎる」と叫びついた名前が「高過庵」とか。

ちょうど藤森先生の講演『建築探偵の里帰り』の数日後だったためか、気さく(そう)な人柄からもこのエピソードにも納得いたしました。

2013年3月22日

諏訪風樹文庫

「諏訪風樹文庫」は、岩波書店から出版される昭和22年以降の図書が所蔵されている日本で唯一の専門図書館です。また大正2年から昭和21年の書籍を収集、現在は全発行書籍の43,7パーセントが所蔵(HP参照)されているそうです。

3月9日に行われた、興味深い講演会「変わる文化のなかの岩波書店」(岩波書店、編集局部長小島潔氏)の聴講に初めて風樹文庫を訪れました。

図書館の始まりは、戦後地元の子供たちに岩波書店より寄贈された201冊の本だそうで、小さなな町の謙虚とも思われる建物のなかに、戦後の出版物が見事に所蔵されているのです。

岩波茂雄記念堂、閉架書庫部門には、



かつて、丁寧に作られた本が展示。




思わずワクワクしてしまう図書館でした。

図書館には大内兵衛先生の講演記録小冊子「大内兵衛先生と岩波書店」がおかれていました。岩波茂雄がカントの言葉「Du kannst denn di sollst」を机の上においていた小さなエピソードや、岩波書店が人間をダラクさせる本を岩波がだしたら、岩波茂雄が悲しむだろうと思う、と締め括っている10数ページのものですが、書店の創立者を語る興味深いものです。

「本」は読者側にとっては精神的、知的財産の元となる貴重な体験になりうる、従って出版側には何を提供するかが重大な責任になりうるわけですね。時代に流されず、きちんとしたものを作ろうとしている出版社は有難いと思います。

10月に岩波書店100年史が刊行されるそうです、とても楽しみになりました。

2013年3月15日

日本滞在中の運転

急遽一時帰国が決まったので、国際免許証の手続きだけは前広に始めることにしました。覚書しておきます。法律が頻繁に変わるので、いずれにせよ、その都度管轄窓口に確認というのが望ましいのですが。 

まずACI(Automobile Club d'Italia )に出向すると、必要書類は * 1 fototessera certificata in comune * 1 fototessera normale * patente * codice fiscale

プラス手続き料金、所要日数約10日だそうだ。しかし、うっかり公正写真のことは忘れていたので、市役所へ戻ることになった。

直接Motorizzazione Civile に申請すると取得日数が若干短縮され、申請手続き料金は実費のみ。本人出頭の場合は、所定の書式に記入して、写真一枚(公正写真不要)、身分証明書のコピー、免許証のコピーを添付する。また、外国人は滞在許可証のコピーも。(おそらくACIでも同様だろう。近頃イタリア国籍を取得している移民が多いせいか、あらアナタ、イタリア人じゃないの?と最後にくる。)

再び出直すことになったので、ついでに口がすべって何年間有効なんですか?と質問すると、こちらではジュネーブ条約に基づく国際免許証(一年有効)と認識しているけど、念のため日本大使館に確認してみて頂戴、と。

よくよく調べるとイタリアで発行できる国際免許は2種類あって、訪問先国によりウィーン条約に基づく免許証(3年有効)が必要な場合も有るのだそう。

さて在イタリア日本領事館では、イタリア免許証の翻訳証明を携帯することにより日本国内で運転できます、という回答。翻訳証明は在日イタリア大使館かJAFで発行されたものであること。イタリア大使館に出向できない場合は最寄のJAFで手続きせよ、と指示される。
ちなみに、成田空港にはJAFの窓口がないそうで、到着空港からレンタカーを借りるケースはいったいどうするのだろう、、、ね?

日本の警察庁のホームページを確認すれば、

外国の運転免許所持者が日本で運転する場合は、 いずれかの免許証を所持している必要があります。(道路交通法第64条、同法第107条の2)

1、日本の免許証

2、道路交通に関する条約(ジュネーブ条約)に基づく国際免許証

3、自動車等の運転に関する外国(国際免許証を発給していない国または地域であって日本と同等の水準にあると認められる免許制度を有している国または地域、現在、イタリア共和国、スイス連邦、ドイツ連邦共和国、フランス共和国、ベルギー王国及び台湾の5国及び1地域のみ。)の免許証(政令で定める者が作成した日本語による翻訳文が添付されているもに限る)

運転できる期間

1、日本の免許証;有効期間内

2、国際免許証及び外国の免許証;日本に上陸した日から1年間又は当該免許証の有効期間のいずれか短い期間(ただし、住民基本台帳に記録されているものが出国の確認又は再入国の許可等を受けて日本から出国し、3ヶ月未満のうちに帰国した場合においては、当該帰国(上陸)の日は国際免許証等による運転可能期間の起算日とはなりません。)

ということ。

日本はジュネーブ条約に署名しているから、この条約に基づく国際免許証は日本での運転が可能あると解釈。(イタリア免許証も携帯のうえ)

最近はイタリア免許証へ書き換えをしても日本の免許証が戻ってくるらしいとの噂である。(当然日本の免許は更新していかなければならない。)これはしかし、あくまでも”噂”であって、戻らないケースもあるらしい、、、とか。
 
聞く人によりそれぞれ、というのがちょっとやっかいなのだ、と相変わらずの見解、いずれにせよ申請の都度再確認が望ましい、でしょう。