2007年12月28日

ナツメヤシの実ー(2)

ダテリ(ナツメヤシの実)を開いて、中から種を取り出し、マスカルポーネを塗りこんで、トレンティーノ産の胡桃をのせるだけ。

砂糖付けのものと、乾燥させただけのダテリが売っていますが、後者、自然の甘味のあるものを使いました。
こちらも我が家担当だったフルーツの1品。

Alchenchengi-洋種ほおずき

今年のクリスマス昼食の我が家担当はお菓子と果物。
そのうちの1品で洋種ほおずき(イタリア語ではアルケンケンジと長い不思議な名前なので、覚え書きのため。)をビターチョコレートでコーティング。

ス-パーではトロピカルフルーツと同じコーナーに小さな箱に入って売っているので、すっかりそちら方面からの輸入果物だとばかり思っていたのが、よくよく見ると、コレ日本にもあるほおずきじゃないの、ということは日本と似た気候の土地でできる果物なわけです。

案の定、イタリアでも標高1000mを超えるパドヴァの山岳地帯で耕作しているそうで、成熟期は9月。
日本でコレを食べたのは随分昔々の話しなので、味はよく覚えていませんが、この洋種ほおずきのほうは柑橘のさっぱりした味。甘くなりすぎない食後の一口サイズの果物になりました。

2007年12月19日

日本料理教室ー第3回

Yomoyamabanashi会日本料理教室、
〈家で寿司を作ろう〉の第3回目『にぎり寿司』です。

にぎりのネタはまぐろ、バス(スズキの類;ブランジーノ)、サケ(サーモン)、エビ、そしてイクラ、これは軍艦巻きを紹介し、鉄火の細巻きを添えたものを一人前として提案。

イタリア流でにぎりはやや大きめになったかも、でも盛り沢山にすると美味しそうです。

趣向を凝らした大きめの皿に少しだけ盛りつける、日本風の上品なやり方もいいけれど、ここはイタリア、家で友達を呼んでワイワイ言いながら食事をすることも多いので、そんなカジュアルな食事会の前菜だったら、ご飯の大きさなんかに拘らない、盛りつけもダイナミックにどんと出したほうが食卓が華やかになるに違いありません。
(こんなことはイタリア人の皆さんの方がよっぽど手馴れたものでしょうが。)

例えばお客さまを招く時の『Sushi』の1皿は、招く側は作るのを楽しみ、招かれた側は変り種の1品に感嘆、ちょっと珍しい日本の料理に話がはずみ賑わうこと請け合いです。

それから私たちはいつも『正しい食べ方』と『正しい作り方』を言及する傾向がありますが、基本的には巻き寿司のネタはご飯に味が合って、巻きやすいもの(当たり前か?)ならなんでもOK、にぎりについても、それがやや正統から外れても浸透した手まり寿司があるように、寿司飯との組み合わせ次第、他のお皿や飲み物とのバランスについてちょっと想像力を働かすことができれば、『視覚と味覚を楽しむ』という好ましい食事の条件を満たすのではないでしょうか。

今回はNatsukoさんに仕入れの協力をお願いして、お手数かけて鮮魚を運んで頂きました。イクラもちょっとこの辺りでは手に入りにくい、とっても感謝しています。

2007年12月11日

変わること、変わらないこと

週末1年ぶりにミラノへ。

修復中で覆われていたドゥオモのファサードがようやくほぼ姿を見せた、少なくとも暫くぶりに見ました。随分綺麗に洗われて、夜には白い大理石の聖堂が“聳え立つ”様子は壮大で劇的。

脇のリナシェンテがニューリアルしたので、興味で覗いたところ、7階には回転寿司バーや飾っておくだけでも素敵なパッケージのリナシェンテブランド食品コーナーなどができ、随分お洒落に変わっていてビックリ。
さらに、テラスからドゥオモのテラスが近くに見え、しかも尖塔の彫刻もちょっと手が届きそうなくらいに観賞できる。

カレコレかなり昔にテラスに小さな細い階段を一生懸命上って広場を眺めた記憶がありますが、隣のビルのエスカレーターを使ってあっという間に近くまで行き着け、その当時と近い感動が味わえたことに、またまた驚く。

毎年のように何かの用事でミラノには出掛けても、今年ほど“新しくなった”という印象を受けたのは始めて。
どこの都市へ行っても、いつも変わらない景色がイタリアの良さだとばかり思っていたけれど、ともかく日々変わっていることに、改めて気がつく。きっと10年くらいはずっと同じ景色を眺めているとばかり思っていたから、すっかり新装したときに、その時の過ぎた長さをも感じて、思いがけない早さにも愕然としたのかも。

2007年11月27日

日本料理教室-第2回


Yomoyamabanashi日本料理教室、
<家で寿司を作ろう>の第2回目『巻き寿司』です。


具には玉子焼き、きゅうり、サケ、ツナ、カニ缶、サラダ菜などを用意、好みで巻いて頂いたのですが、これがなかなか日本人も顔負けの手付き。
皆さん結構巻くのが上手い!!



2本目の『裏巻き』も積極的に挑戦、しかもこちらもほぼ成功だった様子。

第1回目の時も和気藹々のムードでしたが、実習時間の多かった今回は一段と賑やか、自分で巻いたお寿司の一皿の出来あがりに満足してもらったようです。
片付けに関しては、協力すれば参加しているって気分になる、とかなんとか、あっという間に交替でやろうという話にまとめてくれ、おかげでほとんど予定時間を大幅に延長せずに終了。
こういうイタリア人のソリダリエタ(solidalieta`)精神、いつも感心します。

今回はAIさんとMASAKOさんが応援にかけつけてくれ、料理がお得意なふたりの協力に私はとても心強い思いをしました。どうもありがとう。

2007年11月12日

本ーわたしの外国語学習法

フランス語勉強会グループがまた時期も続けようと計画中で、参加する意志があるかどうか近日中に返事をしなければならない。思うように学習が進まない頃、3ヶ国語に堪能というかの人が推薦していた本。読んでみました。

ロンブ・カトーの『わたしの外国語学習法』(ちくま学芸文庫)

コースで親しいクラスメートのひとりが私のいつも愚痴る出来ない言い訳を制して、
『いくら日本人がグループが違う言語を勉強するといってもイタリア語を知っているなら、然程障害があるわけじゃない。要は自習をどれだけやるかにかかってくる。勉強もしないで出来ないっていうのは言い訳にすぎない。』ご尤も。

こんな当たり前に思えることが何故か『緊急に必要』とされない場合に限って難しいとさえ思えてくる。

ロンブ女史流、最後の方にある10の教訓(要約)

1)毎日学習する。最低10分でも
2)自分を鞭打ったりしないかわりに、学習は捨てない。本から離れ、ラジオを聞いたり練習をひとまずおいて、別のかたちを考える。
3)コンテストから引き離して覚え込まない。
4)多くの場合に最大限利用可能な成句を覚える。
5)あらゆる物事を頭の中で訳してみる。
6)正しい文章をしっかり覚えこむ
7)成句や熟語的表現は1~3人称、単数で書き出し覚える。
8)四方八方から同時に襲撃する。読み、書き、聞く、見る
9)喋るのをおそれない、誤りをおかすことを恐れず、それを直してくれるように頼む。そして、実際に誤りを指摘されたら、がっかりしたり、いじけたりしない。
10)自分自身が外国語を達成できると確信する。
*太字は個人的に特に同調する。

先のクラスメートはドイツ語、フランス語、スペイン語を操り、中国語を勉強中。中国語にはちょっとてこずっているらしいが。こういう何カ国語も話す人々の存在にはそれほど驚くことはなくなったのは、イタリア語を日常会話として生活しているからこそ、地続きの外国語は日本語からに比べると短距離だと実際感じているから。

しかし、短距離だからといっても、クラスメートのなかでも努力している人こそ、習得しているということも見逃してならないと思う。

2007年11月8日

映画 『どん底』

映画と演劇などを会員制で公開しているNuovoSpazioArteOFFというところで、日本語オリジナル版を上映するというので、行ってきました。

映画は1957年の黒澤明監督、『どん底』。
画像空間の配置や台詞の言いまわしは舞台を観賞しているような印象、しかもお説教(?)が多い重たい映画、と思ったら案の定後から映画評で、ゴーリキーの戯曲が原作、黒澤監督が日本に舞台を移して作った映画だと知る。しかもかなり原作に忠実に作っている作品、モノカメラ撮影ということ。

時代は江戸、さまざまな人間が共存している長屋の住人とその『日暮し』を描き、どう生きるかを問う。

モノクロ、音響も悪く、口の動きと音がずれているという条件で、映像も全体に暗いうえ、話もやりきれない。長屋の様子はちょうど今イタリアで問題になっているジプシーの棲家を思わせるような、簡素な紙と木の作りで、畳でなく藁のような床、混沌としていてちょっと目を覆いたくなるみすぼらしさ。継ぎのあたった布団一枚にもぐってまるまって床に寝ていたり、アルコール中毒の人間や、病気で死にかけている妻がいる男、売春婦、盗人、旗本くずれ、などの長屋の住人たち、それはそれは貧しい様子。隣に住む長屋の主人と底意地の悪そうな妻と世間知らずな妹の三人はそれでも着ているもので、金銭の出入りがあることがわかるけれど、決して幸せでない。この夫婦の怖い顔とすざましい姉妹喧嘩!

話し言葉は現代の若者とちょっと違う、でも確かにこういうアクセントでこんな話し方をする人達はいた、と思う。
それにしても、憂さ晴らしにお酒を飲み、酔っ払い、歌い踊い、何事も笑ってやり過ごす(ごまかす)傾向は何時の時代もでしょう。最初か最後にウへへへ、とかウヒヒとかいうのはいかにも日本人らしいけれど。 

とても面白かったのはこの頃の俳優たちの表情豊かで個性的な顔つき。美男美女もいるし、それに醜いという顔もあるということ。50年前には『日本女性』の美しさがあったらしい。山本五十鈴も香川京子もかなり綺麗です。

観始めてすぐ席を立ちたくなったほど、話も画像も暗い作品だったのに、登場人物の動きなど隅々観察したらもっといろいろな発見があったかもしれないと、書きながら思っている。

2007年11月4日

夕暮れのアディジェ川







アディジェ川にかかるポンテ・ピエトラ(Ponte Pietra)。
灯りがボチボチ燈る頃から一段と魅惑的になるヴェローナの一角。

2007年10月31日

25年ぶりの再会

 昨年の今ごろの話しなのだが、県の納税課から夫宛一通の手紙が届く。

その内容は自動二輪車に対する税金の滞納通知で、支払いの勧告だった。彼も疑ったのは、その二輪車は実に25年前に他人に売却したもので、納税滞納期間は近年3年くらいのものだったせいだ。昔々大切に乗っていた二輪車がいまだに廃車されずに実存、その税金の支払い勧告を今ごろ受け取ったのだ。他人の手に渡してからというもの、その消息は売った相手ももちろん途絶えていたのだ。

ところで問題は納税勧告で、彼は早速たまたま窓口の会社に勤めているいとこに相談してみる。売却したことを証明する公証書類は手元に残っていたから、彼のものでないことは明らかなのだ。

さらにつてをたどって、3年前までの二輪所有者の氏名と在住地域だけは調べることが出来る。

といってもここには同性同名なんてゴマンといる、特に地域で同じ苗字なんてザラである。しかも本人の名前で電話帳に登録しているとは限らない昨今。それでもと、同性の苗字のお宅に電話をかけ持ち主を探し始めたところ、ある日『それはきっとうちの甥だ』というシニョ-レにつながったのである。

親切な叔父サマは彼の甥の居所を教えてくれたことでちょっと期待を持ち、その後二輪の持ち主本人と連絡がとれることとなった。

持ち主もまた驚いたに違いないが、誠意のある人で幸いだったと思う。廃車処理手続きをする旨即合意。

約1年後のある日廃車処理場で二輪持ち主と待ち合わせすることになった。彼は二輪を、こちらは手続き書類を持参、25年ぶりに再会することになる。

その日持ち主は今でも愛好家らしい様相で現れた。20年ほど前に買取り何年間かは乗っていたが、部品が破損してからというものガレージにナイロンカバーをかけただけの状態で保管、動かない二輪車のために3年前までずっと税金だけ支払っていたというわけだ。

さてその二輪は錆がひどく、チェ-ンも切れたまま、見るからに手入れがされずにほっておかれたことがわかりちょっと痛々しい姿。名義変更がされていなかったために書類手続きができずにいたのだろう。25年後漸く廃車場行きになったという運命である。

シンプル極まりない型にみえるが、当時にしてみれば画期的な仕様モデルだったそうで、夫君がアルバイトをして貯めたお金で始めて手に入れた中古の『二輪車』だったという。想像していた以上に保管状態が悪かったのは残念、でも買った当時に自分専用のデザインにしようと切りこみをいれた個所がまだそのまま残っていたのは懐かしかったなぁ、、、とポツリ。

2007年10月29日

ヴェネト流焼き鳥祭り

先々週末です。知り合いのご両親がこのヴェネト州の小さな町出身とかで、もし近くまで来たら寄ってくれ、なんて言われたので覗いてみました。

いわゆる狩猟の時期行なわれている秋祭りで、獲物の鳥類を串焼きにして地域の人々で分け合い祝うという伝統行事を、禁猟云々の問題により、串焼きの肉をキジと豚に変えて慣習を引き継いでいるということです。

そこで始めて知ったのが『ポレンタ・ウンタ』。
ポレンタは一日前に用意し適当な大きさに切って焼いている串の下に鉄板を置き温め直すのですが、その時に脂が焼き鳥(豚)からしたたり落ち、焦げるのと同時に脂でちょっとべたべたになる、つまり肉の味がつくってことだそうな。生活の知恵といいますか。

週末土日に行なわれた祭りで、予約して昼食や夕食に自宅に持ちかえり、親戚や友人たちと集まる口実に一役かっているようです。随分注文が多かったそうで、飛び入りの私たちはかなり待つことになりましたが、知り合いの知り合いというこの町に住む一家族が、世間話をしたり、そのまた友人を紹介してくれたり、待っている間も飽きずに過ごせるように配慮を怠らない、ヴェネト州の人々人懐こいと聞いていましたが、まさにその通り。

2007年10月22日

日本料理教室

Yomoyamabanashi会主催の『日本料理教室 Sushi fai da te 』、ようやく第一回目にこぎつけました。

昨年まで隣県本部の日本文化交流会主催で行なっていた料理教室を引き継ぐようなかたちになりましたが、今回の特徴は在トレンティーノの日本人グループが提案する“家庭で作るお寿司”を中心に行なうこと。


 
講師は在トレント歴が長く、料理好きの本人と家族のためにずっと日本食を作ることを試みてきた、そして昨年までの教室経験のあるKさんにお願いしました。

和食を作るために必要な基本的な調味料などは近年オープンしたタイ・アジア食材店で手に入ります。中心地にも近く寄りやすい場所にあり、毎週木曜日には新鮮な野菜が入荷、とてもありがたい店。


近頃は日本人も純和食というより、タイ、中国をはじめとする東南アジア各国の料理を、自分たちの口に合うようにアレンジして家庭でも作る傾向でしょう。この店で売っている食材を利用して、なんとなく日本で食べているものに近いものが食べられるというわけです。

さて今回は『ちらし寿司』。

お米のとぎ方から始まり、日本で食べているものってホント小さな細かい注意が必要です。そして、実に丁寧に神経を使って準備していき、出来あがりはシンプルであっても色合いも綺麗な、見た目も楽しい食事をいただく工夫をしている、、、。

等々というようなことが、少しでも伝わったことを願っております。

第1グループは女性の参加者がほとんどで、皆さんとても協力的、和気あいあいとした雰囲気で、しかも積極的。しっかりメモもとっていただいた様子からすると、きっと家でも試してくれるでしょう!

イタリア人学生チャギくんには料理部のメール担当をお願いし、当日は、以前に料理コース参加経験のある、四方山話囲碁部長のレイクくんにも助っ人に来てもらいました。日本語の読み書きにも驚くほど優れているこの二人の、影ながらの応援と協力にとっても感謝してます。

2007年7月27日

囲碁の練習会

日本でいうと5段イタリアでは3段という、そうそうたる囲碁のタイトルを持つ方が最近トレントに越してきたので、いったいその遊戯とはどんなものだろうと興味をもって調べてみると、どうやらイタリアでもかなりの数の愛好家が存在するらしいのだ。

その“黒帯のカンピオネッサ”(と勝手に呼ばせてもらっている)に『是非ともイタリア人に手ほどきを』ともちかけるとすぐにOKの快い返事。もちろんご主人もご協力いただけそうなのであった。

そんなことがキッカケで、現在まだ非公式ではあるが、春に発足したばかりのYomoyamabanashi会として、碁に少し興味を持っていたり、対戦の経験があるイタリア人数人と在トレンティーノの日本人数人に声をかけて、暫く前から試験的に集まって遊び方を習い始めている。秋頃に是非ともトーナメントを企画したいと思っていたが、対戦するにはまだまだ訓練が必要らしい。

練習のためににテーブルを貸してくれているのは、中心地にほど近いBarycentroというバールで、そこはさまざまな趣味の同好会の会合などのためにテーブルを開放してくれている。

時々とおりすがりの、バールにお茶を飲みにきた人々が、何をやっているのだろうかと覗きにくる。私たちの伝統的な遊戯『囲碁』を知ることによって、興味のアンテナの先をちょっと日本に向けるトレンティーノの人たちが、少しずつ増えてくれたら嬉しいと願っているのだけれど。

2007年7月16日

コルシカ島(3)

リヴォルノからバスティアへカーフェリーで4時間の旅。カーフェリーにはレストラン、バール、ミニマーケットもあり、甲板で日光浴し、昼食後くつろいでいる間に到着する。

フェリーのレストランの職員が皆張りきって仕事していて、サービス精神旺盛。この辺が今まで訪れた観光地と違って、コルシカ到着前に既に好印象。(もちろん帰路も同様に)


島にはコルクガシの木が至るところに見られ、ほとんどがこんな風に皮をはがれされている。そういえば同じ地中海のサルデーニャはワインのコルクの産地で有名。

それから食べ物のことをちょっとひとこと、ふたこと。

コルシカ島はチーズやサラミが地元特産品なのだそうだ。でも個人的に美味しい!!と思わず口にでたのは、前回もちょっと触れたバゲット。イタリアに戻ってから、バゲットまたはフランスパンとして売っているものを味見し直したものの、コルシカで朝食に食べていた焼き立てのバゲット以上のものはまだ見つかっていない、、、

フランス(コルシカ)風の朝食は、オレンジジュース、バターとジャムを塗りこんだバゲットとカフェオレというかのもの、この組み合わせは普段と変わらないのに、なぜかそれぞれがイタリアの味と違う。ここは断然朝食が美味しい。

そこでお土産にグレープフルーツとオレンジ、クラマンティ-ヌのミックスジャムを買う。ジャムという言葉『confiture』(コンフィットュ-に聞こえる)からも想像できそうなたっぷりした味のもので、糖分と酸味がちょうど良く、これも私のマルメラータ(ジャム)に対する意識を変えてしまった。

もうひとつ、コルシカ産ビール『ピエトラ』は栗からできていて、琥珀色のコクがあるとても個性的な味。機会があったら是非お試しを。

2007年7月13日

Corsica-コルシカ島(2)




コルシカは地中海に浮かぶフランスの島。ジェノヴァ湾から155キロ、トスカーナ州から80キロの海をはさんだ場所に位置する。

その表面積は8722平方キロメートル、最北端から最南端までの距離が183キロ、西北の83キロ、周囲を1100キロ以上の長い海岸線に囲まれているが、島のほとんどが山岳地帯である。13世紀にジェノヴァの支配が確率、現在あるコルシカ島の街はジェノヴァ統治時代に建造されたものだそうだ。




[パロンバッジャ]
この透明度と白い砂浜はやはり半島から離れないと見つからないのでは。既に視覚からリラックス、、、。






 

2007年7月5日

Corsica-コルシカ島(1)

始めて訪れたのに、休暇が終りに近づくと感ずる郷愁に似たもの、その場所が気に入るとありますよね。



ポルトヴェッキオからバスティアの港に向かう約150キロの道中で、島を離れることが寂しくなってしまったほど愛着を持ってしまった、とてもイイところです。

小さな港町はフランスの香りがたっぷり、イタリアから随分近いのに異国の気分を十分味わえて、人々の暖かいもてなしや、新鮮な魚介類と感動的に美味しいバゲットで幸せな気分になり、エメラルドグリーンの海と長い長い白い砂浜の美しさを大満喫、しっかりリヴァイタルして帰ってきました。

さて整理するにはちょっと落ち着いてからに。



まず幾つかの写真をアップします。コルシカ島南端ボニファチオから。でもさすがに強風でした、この日。



細い路地、ピンク色の壁

2007年6月18日

ジョルジョの誕生日



イタリアでは誕生日をお祝いするのは、友人同志の年中行事のひとつ。少なくとも集まる口実に誕生会をやる友達が私のまわりには多い。集まって皆で美味しいものを食べて飲んでお喋りするっていうのが好きな人々が多いのだ。

それに自分ももちろんだが近しい人も、存在しているのは誕生があったから祝って然るべき、だから祝う、と考えるのは全然おかしくない。祝いたいし、お祝いされたいじゃない、誰しもやはり。

ともかく私も“祝い事が好き、集まること”が好きな部類なのでこのごくごく内輪のお呼ばれを楽しみにでかける。

ずっと年上なので、「ともだち」といって失礼にあたらないかちょっと心配だけれど、知り合ってからはもう随分長い。
日本人の私はいつもからかわれる対象でしかないのが残念である。これはまだ私がイタリアに来たばかりの頃、イタリア語のコースを終了して得意気になって『Lei』で話しかけてからずっとだ。



彼はイタリア人の美意識の高さとその層の厚さを想像させてしまう。その彼のアトリエの作品である。もし機会がもっとあれば、お友達のひとりとして頻繁にお付き合いさせていただきたいシニカルで個性的なジョルジョである。

2007年6月14日

Chiaretto Bardolino Doc キアレット・バルドリーノDOC

6月8日から10日まで『Palio del Chiaretto Bardolino Doc』とガルデサーノの丘陵地帯で耕作される葡萄からできるロゼDOCワインのプロモーションが行われていた。



湖畔の長い散策道に並ぶカンティーナのスタンド。
よくよく見るとゼラニウムもナプキンの色も、ワインに合わせて一帯が全部ピンク色。樽も新しいから幾分、、、





ガルダ湖畔のバルドリーノBardolinoは目の前に広々と湖の景色が広がるリゾート地として知られる。トレントから車で約一時間、私たちがドライヴがてらよく足を延ばす場所のひとつ。

この時期位から夏の間中ほぼ毎週末いろんな催しがあって訪れる人々を飽きさせない、そしてそこに流れるゆったりした雰囲気が『休日を過ごしている』という気分にさせてくれる。

日中が長くなったこの頃。こんな風に外にいられる時間が多い季節は、気持ちも軽くなり目に入ものも一層綺麗に映って見えるのだ。

こぞってガルダ湖を訪れる北欧からの観光客はその後何度も通ってしまうらしい。
それはなぜって、一度この土地に来て、ここの空気を吸ってみると理解できるってもの。


それに、いかにも冷えてます、という感じのガラス瓶を見かけるとロゼはどうかなと関心をそそりつい立寄りしたくなる気持ち、わかるでしょう、、、?!


バルドリーノのインフォメーション:
http://www.comune.bardolino.vr.it/
http://www.stradadelbardolino.com/

2007年6月11日

サクランボの季節


こちらのサクラの木から成る果物は、サクランボという名前からイメージする可憐なフルーツでなく、少し勇ましい感じのする濃いワインカラーで、果肉も厚い味もしっかりしている種類。

近所の畑ではせっせとサクランボ採りに忙しい様子。それにしても一本のサクラの木にはかなりの数多いサクランボが成るので、成熟するこの頃はお花見さながら『サクランボ見物』でもできそうなほど。

季節の果物を本来のその時期に食べること、シンプルな選択で四季の彩りを楽しめるという贅沢が味わえる。

2007年6月7日

私事、、、伊丹十三のこと

(c)新潮社
何を隠そう、私はこの方のファンのひとり。

昔昔書いていたエッセイや、文庫本に描かれた挿絵がとても好きだった。その愉快さは、大笑いするというより、笑いがこみあげるのをこらえられなくてクククッと傍から見たらどうしたのといわれそうなリアクションをついしてしまう、そういう類のものだった。

どの文庫本にでていたのかはすっかり忘れてしまったが、オムレツの作り方を映像の細部を説明するように言葉にしていることがとても印象的で、そのとおりに作ってみると正にそのとおり(多分)になるということに、かなり満足したことを覚えている。

(c)新潮社

後に映画を撮ることになる伊丹十三が映画のなかの一シーンに、このオムレツが出てくるらしいことを最近知ったばかりだ。うろおぼえだが『タンポポ』なのではないかと思う。

なんとかして一度観てみたい映画。どうやらイタリア語版『Tampopo』があるらしい、是非見つけなければ。
もし知っている方がいらっしゃったらどうかご連絡を。

それからこんな本も出版されたそうだ。
この2冊の本のカバーを見ていると、そういえば動いている姿も素敵な方だったと、少し思い出してくる。

2007年6月4日

パリの石畳

和田俊著 朝日新聞社

<カバー紹介文から>
朝日新聞特派員として
パリ市サンビクトル街14番地に
居を定めた著者は、
さまざまな風に吹かれ、
さまざまな人に出会う
人々の心を魅了し続けしつづけたてきた
この街角から、
パリ、フランス、ヨーロッパ、
海のかなたの日本について語る
好エッセー49編

イタリアに住んでいる現在でもフランスという国は近くてなかなか遠い国。というのも近頃は旅行も車で移動というケースが多いので飛行機でわずかな距離のパリ行きなど、いつか行けると思いつついつも後回しになっている。

車で国境を超えてフランス国内へは数回訪れたことがあるが、同じヨーロッパの国でも景色が異なるように、文化や習慣もイタリアとは似通っているがやや違う国民性をもつ国というのが、ちょっと足を踏み入れた時の私の感想だ。

この文庫本はかなり(相当年数が経っている)前に読んで本だなの隅に誇りを被っていたものだが、近頃フランス語をかじっているから再読したくなったのだ。

カバーの紹介文の通り、著者は当時の朝日新聞特派員で文庫本になったのは1983年。EC加盟国が9ヶ国と記載されているから、時代の経過はあるものの、パリの街はもとより、ヨーロッパ生活の雰囲気を十分味わえる。たっぷり写真の入った近頃の旅行ガイドブックなんかよりはずっと想像をかりたてる。

当時に比べて今のパリはきっともっと早いリズムが生活のなかにある違いないが、フランスに対する日本人がもつ印象というのは、たとえわずかな期間であっても相変わらず、同じような驚き、感動があるのではないか。そしてこの好印象が発端でヨーロッパ文化に対する憧憬のようなものもどこかに生まれるに違いない。

このエッセイを好ましいと思うのは、見たものや感じたものを『憧憬』というフィルターを通しては描いていないところ。異文化にふりまわされずにそこに立ち止まって見渡して、目に入るものや体験することを大袈裟な装飾をせずに綴っているという感じを受けるからだ。

フランス語のコースはもう終了するが、やはりせっかくだから、ひととおり聞いたり話せるようになって近いうちにパリ行きを実現しなければ、などと期待を膨らませてくれた再読の一冊だった。