2006年11月9日

いまなんじですか

短期間だが日本語を教えることになってから、事前に簡単な会話のプリントを作っている。最近のこと、『いま なんじ ですか』とワードを打ち始めて、自分がイタリア語を勉強し始めたころのことを思いだす。

イタリア語の場合、時に未来の出来事でも、そのことが確実である場合現在形の動詞を使うことが多い。逆に動詞の未来形は、もちろん単に話している時間を基準にして、その後の動作を表すという文法上の自制の一致もあるが、その他に、仮定、可能性など、不確実なことを意味する場合もある。この不確かさを匂わせる場合に、あえて未来形を使うっていう手があるのだ。

時間を言う時に、およそとかおそらくというニアンスで使う未来形を使うことがある。

当時『今何時?』という時間を他人に聞く必要性をどうしても想像なかったが、現実にも見知らぬ人に時間を聞かれることがやたら多かった。自分も聞かれたし、『今何時くらいかしら』『おそらく○時頃でしょう』という会話を街中でよく耳にした。そしてやはり『私の時計では』とか『おそらく』という不確かな答え方をしている人が多かったように思う。

日本では至るところで時計が存在し、駅でもお茶を飲む喫茶店でも学校でも、街中公共の至るところに『時計』があったから、見知らぬ人に今何時と聞く必要がまずなかった。そして『目にする時計は正確に時を刻む』、そういう生活に慣れ、比較的時間通りに予定通りに動くということも当たり前だった。

イタリアに暮し始めたころは街のなかに時計をほとんど見かけなかったし、全員が自分で確認しながら、時間正確に行動しているわけではないらしかった。今ならきっと、イタリア人のほぼ全員が持っている携帯電話をちらりと見て、必要があれば時間くらい簡単に知ることができるだろうが。

『大学時間』という言葉があって、これは教授が15分ずれて授業を始まることからきた言葉らしい。だから8時という約束は8時15分と解釈、(それでも私は8時頃行くが)イタリア人との付き合いのなかで、15分の遅刻は遅刻にならない、という観念が出来上がった。

イタリア人全般的に、然程時間の正確さを追求し合わない国民性なのだろうと思っている。(注:でもここトレントの人々は以外と時間に忠実。)

さて日本語を教える話にもどるが、『いま何時?』という質問と答えは、これはもちろん自分で問うフレーズに違いないが、いったい日本の生活で交わされる会話の一例だろうか、これが私のなかに芽生えた疑問。

それからは、それではどんな場面で人と会話するのか?と考え始めて、ショッピング?駅?レストラン?電話?ときたところで、ひょっとすると、現代の日本の生活ではどの場所においても人と会話する必要があまりない、かもしれないという不安が沸く。

ほとんどの場所で機械化が進み、人の代わりに機械を相手にした方が事はよりスムーズに運ぶといった生活が成り立っているような感じだ。

買い物ために行く『大型(大衆)デパート』ではおよそ何でも揃っていて、必要な大概のものは手に入るだろう。ほとんどの売り場では自分で見て、触って、時には試着して、自分で決めて、会計に持っていき、支払うというシステムがうまく回転している。そこでは、ありとあらゆる商品のなかから自由に選択できるので、わざわざ定員に他の違うものを出してきてもらったり、自分が探しているものがどんなものかを定員に説明する必要があまりなく用が足りる。

食品もスーパーが多いだろうから、何の野菜をどのくらい下さいという手間がなく、既にパッケージされて売られているものを籠にいれ、会計に並ぶだけ。

駅で買う切符は、ほとんどが機械で操作する、あるいは操作できる。電話?いまや携帯のメールがほとんど。ファーストフードの店も多いから、会話ができなくてもメニューの絵を示したりすれば、何か食べられる、といったような。

果たして外国人が日本の大都市に行って、日本語で会話できなければ困る場面があるのだろうか、と考えこんでしまった。イタリア生活のように、言葉がわからず窓口で切符が買えないとか、八百屋で何エットのほうれん草とか、何のチーズをどのくらいと大声で言う必要がないだろう、日本では。

イタリアは『セルフサービス』で出来ることが多くなってきた昨今でも、まだ、"人を介さなければ事が運ばない"場面が多いから、イタリア語がわかっていたほうが"絶対"生活がしやすいのだ。 だから一瞬、こんな会話あるのか、と思うようなことも覚えておくにこしたことがない。

それからもうひとつ、ニュースのアナウンサー同士が会話しているような、丁寧な『です、ます調』の言葉使いが、現代の日常生活でよく話されているのだろうかと、私のなかにさらにでてくる疑問である。
教えている彼女たちと同世代の日本人の間で交わされる話し言葉が、今彼女たちが習っている日本語とはかなり違うのではないか、とちょっとばかり心配だ。

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