2016年3月23日

映画「ハーフェズ ペルシャの詩(うた)」 (07 イラン・日) 予告編 




21日「ペルシャの正月」参加してきました。 BOOKIQUE 於

ハーフェズはイランの14世紀詩人。夥しい数の叙情詩は時代を超えて語り継がれ、現在でも聖なる存在として人々の生活に深く根づいているそうだ。

ちょうど終了したばかりの朗読会の課題で、「ペルシャ正月」の夜(SocioCinema とIl Gioco degli Specchi との共同企画イベント)ハーフェズの詩を読むことになりました。
ペルシャ正月には、家族親族などが詩集を読み合い叙情を分かち合うという習慣があるそうで、本来ならば、まず気持ちを整えてから詩集を開け、その時に開いたページを詩集を読むというところを、イベントため若干簡略、ペルシャ語を彼らが読み、イタリア語対訳を朗読するというもの。

ところが彼の叙情時というのが結構難解。翻訳だからか、文化の違いからなのか。私の場合は更に、ペルシャ語からイタリア語、イタリア語から日本語という3過程もあることで。

察した講師が特別に、短いけれど美しい一文を読むことで了承してくれました。正月にもっとも重要なのは、好きな詩を詠み味わうとことよ、とはイラン人知人。
載せておきます。

Ero Perso 
Ero perso con lo sguardo verso il mare
ero perso con lo sguardo nell'orizzonte   
tutto e  tutto appariva come  uguale ; 
poi ho scoperto una rosa in un angolo  di  mondo,
ho scoperto i suoi colori e la sua disperazione   
di essere imprigionata fra  le  spine   
non l'ho colta ma l'ho protetta con  le mie mani,   
non l'ho colta ma con lei ho condiviso il profumo e le spine, tutte quante.

詩人のことを調べている時に、「ハーフェズ、ペルシャの詩」というイランと日本との共作映画を発見。偶然にもこの詩人のことを扱っています。そのうち観る機会もあるかも。

原語朗読は詩というより歌に近いリズム。イラン人知人曰く、形にしにくい細かな感情?を詠み味わうというようなところが、日本文化と通ずるところがあるとか。ちなみに映画を撮っている彼女、小津安二郎の世界がとてもよく心に染みるそうだ。

「ハーフェズ」と「イタリア語での朗読」はまさに新春にふさわしい、私にとっては新しい出会い、しかも生ギター(おそらく民族楽器だった)をバックに朗読!!とても良い気分に浸らせてもらえた夕べだった。
帰路に輝く月が輝いて見えたのは偶然とも思えない、、、








2016年3月2日

お雛様

とても愛らしいので我が家でも飾ります。


和紙で丁寧に作られてて、ミニミニでも凛々しいい御姿。



何年か前に研究留学されてたTさんからお土産で頂いたお雛様。
今頃いつも彼女を思い出します、お元気かしら、、、?

2016年2月28日

The Revenant  レヴェナント:蘇りし者



観てきました。(オスカーで賑わっているけど、いいかしら)
話題のディカプリオ主演、”過酷”サバイバル映画。
あまりに過酷、残酷で思わず 何度も「ギャッ」(こういう音が相応しいのでは?)と。

ヒュー・グラス(デカプリオ)は幸運にも命をとりとめたけれど、熊に襲われるシーンがある。後席のシニョーラは、”熊を殺さないで!”と悠長につぶやいていたが、実際母熊はかなり体も大きく凶暴だった。そういえば、近年トレンティーノの山で熊に襲われる事件が続発。動物愛護協会もトレント人一体になって、他の問題をさておき”熊を守ろう”という傾向になったっけ。野生熊は凶暴で危険である。アニメに登場するような愛らしい熊さんが殺されるのを見て可哀想、というのは違うのじゃないかな?

何より最も残酷残虐なのは人間側。そして生き抜くという強い信念も持ち合わせているらしい。現代社会では”虫も殺さない”のが常識のようだけれど、それ以外の「欲」よりもっと究極にあるもの「生存」に対する執着がより強い。強いことによって生き抜いていくのだ。もっとも、何事もそうだけど、明確な目的がある方が達成しやすい。
でも「生きる」のは運にも大いに関係があると思う。

また「自然」は人間には支配することも出来ない、もっと違う世界のもので、時にどんな武器も役立たないと思わせるようなこともある。攻めるのは無理、守るのみって意味です。

ディカプリオのパフォーマンスが見もの、とどこかの批評で読んだが。確かにその通り。この俳優、なぜか出演する映画どれも狂人じみているところがあるが、今回もそうだった。個人的にどうしても好きになれない俳優なんだけど。(ファンの皆さまごめんなさい)

気の弱い人にはお勧めできません。
でも、自然の映像が素晴らしい、これは特筆しておきます。


2016年1月21日

Sopravvissuto - The martian オデッセイ

かなり興味深く鑑賞したので覚書。




ストーリーは《ウィキペディア》より
オデッセイ』(原題: The Martian)は、2015年アメリカ合衆国SF映画である。アンディ・ウィアーの小説『火星の人英語版』(2011年出版)を原作としている。監督はリドリー・スコット、主演はマット・デイモンが務める。火星に一人置き去りにされた宇宙飛行士の生存をかけた孤独な奮闘と、彼を救いだそうとする周囲の努力を描く。
サイエンス・ファンタジー映画、STAR WARS に続いて今年2作観ましたが、断然こちらが面白い。もちろん個人の好み。


2015年9月29日

羊は迷わない、、、

「迷える子羊」と比喩されるが、決して羊は迷わないのではないかと思う瞬間がある。


迷うというより、迷わずに後をついていく様子のことが多いのではないか。
しかも体の傾き方まで他と同様、というのがいかにも人に似通っていて、なんとも不思議な動物群だなと、いつも眺めてしまう団体である。

2015年8月26日

プーリア土産カチョカヴァッロ

長い休暇を終えたバンド仲間が戻っきて、ぼちぼち秋口からの練習計画についての連絡が回り始まる。再起動は結構「やろう!」って気持ちが必要なのだ。
お土産のプーリア産カチョカヴァッロをいただきながら、異常に暑かった今年の夏を懐かしんでいる次第。始まる前は十分長いと思っていたが、そろそろおしまいかなと感じ始めてからはあっという間に涼しくなってきたのは、やはりちょっと寂しい。



このチーズ、北イタリアではあまり見かけないこと、また大きな塊で売っているせいか、実はなぜか買ったことがなく、食初体験。北部と違うコクの味わいです。

《走り書きイタリア語》(Wikipediaより)
カチョカヴァッロ(伊語: Caciocavallo )は、イタリアチーズの種類のひとつ。「カチョ」はチーズ、「カヴァッロ」は馬の意(熟成させる際に袋に詰めたもの二つを紐で繋ぎ、横棒などに振り分けてぶら下げた様子が、馬の鞍の左右に袋をぶら下げて運ぶのに似ていたため)。

2015年8月24日

La gabbia dorata - La Jaula de Oro

「LA GABBIA DORATA」原題-LA JAULA DE ORO (2013年スペイン・メキシコ共作)



ベネズエラ出身の主人公3人の少年(少女)が夢を求めて、ひたすら歩き、通る汽車に飛び乗り、わずかな幸運により、北へ北へ向かい、アメリカを目指すストーリー。

イタリアでは(だけでなく)、ほぼ毎日到着するアフリカ大陸からの難民船、移民・難民の受け入れ問題は緊急課題になっている。
南米が舞台であっても、おおよそ絡む問題はさほど遠くないに違いないと思いながら、淡々と少年たちを追う単調とも感ずる映画ではあったが、最後まで目が離せなかった。

「移民希望の」人々を”良く”もであるが、悪くも利用する組織が必ずあるだろうということを、もっと深刻に考える(想像する)べきではないだろうか。








2015年8月18日

夏の終わり イゼーオ湖より

フェッラゴーストを待っていたかのように、涼しくなったこの頃。
友人宅訪問の帰り、イタリア第6番目に広いというイゼーオ湖を通過。湖の真ん中に大きな島があるというのが珍しいのだとか。


夕暮れ前に"もうひと練習"しているシニョーリ若干2名。夏の間も漕いでいたこともうかがえる背中の日焼け、なかなかスポーティではありませんか。

2015年7月13日

Magdalene - Trailer  マグダレンの祈り




2002年ヴェネチア国際映画際の金獅子賞受賞作。

1996年までアイルランドに実在していたマグダレン洗濯所として知られる施設を舞台にした物語。アイルランドにおける厳格なカトリック戒律にもとずく道徳観で、主に婚外交渉した女性などを収容、更生を目的に洗濯作業をさせていた施設であったそうである。

ほんの半世紀で社会の価値観がこれほど変わることに、再び少し驚いている。

様々な夥しい過去の例があったからこそ、現在の言論や行動の解放があるわけで、相当な自由を獲得している現在において、どこに善悪の境界を定めるべきなのか、更に周囲は何を求めて「自由・平等」と大声で叫んでいるのか、疑問に思うことしきりなのである。

広大な海と同様、リミットを定めなければ、どこからが危険でどこまで安全なのかを知るのさえ困難になるのに、と懸念するこの頃。おっと、これは近頃のイタリア事情(寛大主義?)における批判(苦情)でした。




2015年7月1日

早朝散策

早朝とも言えない日もありますが、目覚めてすぐにスポーツウエアに着替え、外出する、ということを暫く試している。



朝の空気が心地よく、雑多な考え事で滞っている頭の中や心のもやもやも少しすっきり、この気分が1日続くというわけ。
一夏試してみるつもりでいます、そのまま習慣になれば尚有難いと願いつつ。


2015年6月24日

チェリージャム覚書

先日義父がチェリーを一箱届けてくれました。



今年は豊作だったそうで、さすがに夫がチェリー好きでも、小家族の我が家ではとても食べきれないほどの量。そこで、久しぶりにジャムを作ることにしました。

しかし種取りがひと作業なんですね、これが。
今年はチャイニーズバザーでスノッチャラトーレ(なんと1ユーロ)を見つけて、早速購入、お役立ちもの。



作り方覚書
1)チェリーの種を取り除き、小さく刻む。




2)フルッタペック(ペクチンベースのゼリーの素)、砂糖(好みにより指定の量)を強火でかき混ぜながら沸騰させる。




3)沸騰してから更に約3分煮る。(ゼリーの状態によりそれ以上)
4)熱いうちに、消毒済みのガラス瓶に詰め、5分ほど逆さにしてしておく。



4)およそ24時間ほどで適度なゼリー状のジャムに固まる。

時々こうして、夫の実家から畑で採れた野菜や果物が届きます。おかげで旬のものを味わえる食の贅沢に感謝です。



2015年4月6日

短期帰省を終えて

昨年は”仕事の都合”で家族の昼食会欠席しましたもので、今回は無事、復活祭の前に戻りました。




両親の顔をちょっと見に行っただけの短い日本滞在ではありましたが、それでも帰省は大いに気分転換になります。

さて、復活祭ミサの司祭の説教中『再生』の言葉が必要に繰り返し聞こえていたのですが、ブログもなんだか滞っていると思いながら、書く気になれない、つまりいつもソワソワしていたように思うこの頃、きっと”気をとり直してやり直せ”とか、そういう警告だったのでしょう。久しぶりにここを開ける気になったのでした。

どうぞ相も変わらずご贔屓に!



2015年3月24日

天婦羅 たらの芽

春の恒例、帰国中。
日本で食べるお天婦羅はなぜか美味しいと思うのは私だけ?




旬のものに必ず出会う、嬉しい”歓迎”夕食会で。
今回は超短期、それでもいつもいつもお世話になります。

2015年1月3日

新年のご挨拶

明けましておめでとうございます。



2015年は20年前を思い起こす年なんだとか、なんだか個人的にも思い当たるふしが、、、。
元気と心意気で乗り切るつもりでおります、何事も。




2014年8月26日

日没 in ガルダ湖畔




カメラシャッターを押したつもりが偶然ショートビデオに。
やはりライブ感が違う、、、最新カメラにはこんな機能がついていたとは嬉しい驚き!ますます使いこなせるようになりたい気持ち大です。

2014年7月29日

こちら雨降りばかりの7月です

日曜日、天気予報は「雷」でしたが、運よく「曇りのち時々晴れ」のガルダ湖方面。暫く気忙しかった夫君も一段落したので、魚介類のランチへ行こう、というお誘いにのって、ひと走りして来ました。




雨降りが続いたせいか、珍しく人気の少ないガルダ湖。初心者ウインドサーファー達が学ぶにも丁度いい加減だったのかも。

ランチも申し分なく、午後は長い遊歩道をウォーキング、短い晴れ間を満喫しました。気の置けない古い友人と近況報告を交わし、ともに良い一日を過ごすことができたかな、お付き合いありがとう~でした!


2014年7月10日

日光浴便り

6月末、海に行ってきました。この時期やはり日焼けしておかないとね。
今回は友人が滞在中のリミニに合流することになり、何年かぶりのエミリア・ロマーニャ。

パラソルがえんえんと“きっちり”並んでいる砂浜の光景。この几帳面さがいかにもイタリア人好みだと、漸く理解できてきたこの頃。




早朝長い砂浜をウオーキング、朝食たっぷりとってから海へ。
読書、合間にお喋り、それから再び活字に、(スマホも便利になったけど、読むのは“今のところ”紙に限る、、、)厚めの本を読む良い機会です。

帰路に立ち寄ったチェゼナティコは、かのチェーザレ・ボルジアがレオナルド・ダ・ヴィンチに都市計画のプロジェクトを相談した?(かなり大雑把な要約)町だとか。




サッカーのザッケローニ監督の初場所という情報も?(ワールドカップで盛り上がってる時期でもあり)

友人と彼女の可愛い姪たちの同行で、いつもと違う休日が過ごせました。お付き合いありがとう!

2014年6月17日

Merceria 小間物屋

クリエイティブな店先で、思わず足を止めたくなる。
まだまだ存在するんです、こういう店をイタリア語で Merceria ”メルチェリア”といいます。(リボン、ボタン、針など主に服飾品の)小間物屋。
主に複数形で小間物(類)になります。





随分前のこと、洋裁屋の伯母に一度洋服を作ってもらった事があります。
シンプルなワンピースとジャケットをデザインしたところまで事はかなりスムーズに運んだのでしたが、さてボタンを探しに生地を持参で来てみたら、なんと店内には、ありとあらゆる種類きっちり並べて置かれていたわけです。しかも、どれもこれもすべて似通ってみえる、つまりその大きさも形もわずかな違いと思えるようなものも取りそろえている。だからどれでもいけそう、、、。ボタン、されどボタン、、、途方に暮れた末選んだものは、結局ごくごく特徴のないものでしたが。
さすが”モードの国”なのだと再認識、デザインのニーズに対して几帳面に対応しています。

またイタリア生活は、デザインした洋服に一番合うボタンをひとつを選ぶように、たくさんの似たもの中から、”自分が好ましいひとつを選択”することを覚えます。