2007年4月24日

日本語『~めぐって・~をめぐる』についての一考

a,bのどちらが正しいか。
a)この空き地の利用法をめぐってまだ両者の対立が続いている。
b)この空き地の利用法をめぐる両者の対立が続いている。

 『~をめぐって、~をめぐる』という動作の対象を示す表現の問題。
練習問題の解答はaとなっているのだが、何故bではいけないのか、という疑問が残り日本語の文法について調べてみる。

 この表現は、~を中心点にして、どんな議論や対立関係が起っているかを言う時に使われる。例えば、
①この規則の改正をめぐって、まだ討論が続いている。
②土地の利用をめぐって、ふたつの対立した意見が見られる。
③待ちの再開発をめぐり、住民が争っている。
④マンション建設をめぐる争いがようやく解決に向かった。

後には、意見の対立、いろいろな議論、争うなどの意味を持つ動詞が来ることが多い。そして使い方としては名詞+をめぐってという説明。

そこで他の参考書は、
①憲法の改正をめぐって国会で激しい論議が闘わされている。
②彼の自殺をめぐって様々なうわさや憶測が乱れとんだ。
③人事をめぐって、車内は険悪な雰囲気となった。

〈中略〉名詞を修飾するときには、NをめぐるN、NをめぐってのNの形になる。
①政治基金をめぐる疑惑がマスコミに大きくとりあげられている。
②父親の遺産をめぐっての争いは、日増しにひどくなっていった。

そして別の文法ハンドブック、

複合格助詞の多くは動詞のテ形と同じ形をしている。テ形は動詞などを熟語に続いていく形で名詞に続いていく場合には辞書形にするかもしくは「テ形+の」の形にする必要がある。
東京湾の埋め立て{×をめぐって/○をめぐる/○をめぐっての}議論は、環境大臣の一声で決着した。

〈中略〉実際には熟語に続く形のテ形でも、名詞に続く形(辞書形・「テ形+の」)のいずれでもいい場合もある。
委員たちは新しい道路の建設{をめぐって/をめぐる/をめぐっての}議論を激しく闘わせた。

この場合、テ形の「をめぐって」は「議論を闘わせた」を修飾。辞書形と「テ形+の」は「議論」を修飾しているが、実質的な意味に差があまりない。
このように述語に続き形と名詞に続く形がどちらも用いられるのは次の場合、
1) サ変動詞「議論する、勉強する」が「議論をする」「勉強をする」のように格助詞「を」を伴う場合
2) 「議論をする」の意味で「議論を闘わせる」など「する」の変わりに他の動詞が用いられる場合
3) 受身形で「議論がなされる」や「議論が闘わされる」などの形で用いられる場合

さて、bの使い方は間違いなのでしょうか?


 

2007年4月21日

La finestra sul deserto.

44匹の猫たちに時々登場するヴィットことVittorioが、Dino Buzzatiについてのエッセイ集を出版、トレント市立図書館で行われたプレゼンテーションに行って来ました。

Dino Buzzatiの傑作といわれる『Il deserto dei Tartari』の一部を朗読。アルゼンチン音楽のアコーデオン生演奏のBGMがシーンの描写の想像を駆りたて、対象になる作品の作風や内容を紹介する良い演出だったと思う。ところが質疑応答のさい、一人の男性が『なんだってアコーデオンの伴奏をつけたのか?詩の朗読じゃあるまいし!!』なんて言って憤慨して席を立ったというハプニングがあり、これに対して会場に来た他の人々からの『ブラボ!』の再喝采があった。他の皆もかなり気に入ったということでしょうね。

このエッセイ集はBuzzatiの作品や作家自身の人生における永遠のテーマ、人生の苦悩、懸念、死に直面する時に自己に見出す生の意義について、作品を読みすすめるうえでの共感や疑問などを鉛筆書きでメモしておいた記録の集大成だそうだ。

小説の最後の場面、目前の広大な砂漠のなかに聳え立つ、頑丈な破壊不可能な『要塞』を目にした主人公に、作家自身の本能的にある自分との葛藤のそれと重ねたに違いないのと同様に、ヴィットもまた、以前聴いたことのある音楽や、目にする写真映像など、日常偶然出会うことがある様々な瞬間にも、Buzzatiが常に自身に持っていた孤独や苦悩を言葉で描写したシーンが重なり、今回のプレゼンテーションではそんな偶然を試したのではないだろうか。

つまり生きていくこと事が無意識に存在する意識を呼び起こす、偶然の出来事の出会いの連続なのではないかと。


Dino Buzzati (1906‐1972)
ベル-ノの名家に生まれる。父親はパヴィア大学の国際法学の教授で、ほとんど両親在住のミラノで生活する。本人も法学部を卒業する一方文学に強い興味を持つ。コリエレ・デラ・セラの報道記者としておもにヨーロッパ各地、アフリカ(1939)アジアを周る。またコリエレの芸術評論家としても活躍、ついには編集者を経て、週間誌ラ・ドメニカ・デル・コリエレの編集責任者に。常に『ノーベル賞を受賞するよりル-ブルに展示されたい。』が口癖で、『小説家でなく、描き書く』ことで日常を御伽噺語に見たてて語った。山とスキー、狩を愛す。
(『L’italiano e l’italia』guerra edizioni より引用)

2007年4月8日

Yomoyamabanashi-4ciacere 会の発足


〈お知らせ〉

この度、日本とトレンティーノの文化交流と在トレント日本人の生活支援が主な目的の小さな会を発足しました。

会(Associazione)の名称はYomoyamabanashi-4ciacere、声に出して読んでみると日本語で『四方山話』となり、トレント方言で『クワトロチアチェレ』となります。

近頃リクエストが増えてきた日本語の学習や日本料理教室、その他の親睦会などを通じ、トレントの人々に日本人や日本文化と交流する機会を設け、その一方で在トレント日本人たちが積極的にトレント地方文化にふれながら‘生活を楽しむ行事’を予定しています。

もちろんここに住む個人個人が日本人の代表ですが、ちょっと集合するだけで、日本人のアイデンティティがより明確になり、文化を伝達する大きな力になり得ると思うのですが、いかがなものですか?