2009年8月25日

Pranzo di ferragosto

Pranzo di Ferragosto (2008年イタリア映画)ジャンニ・デ・グレゴリオ監督 

ジャンニはローマの中心地に母親と二人暮らし。一日のほとんどを母の世話と近所のオステリアで過ごす。
ある日コンドミニアムの管理人がやってきて、数年間の未払い修理費のかわりに休暇中母親を預かってもらえないかという提案をする。
ところが管理人は当日、母親のほかにやはり一人置いておくわけにはいかない叔母を連れてきて、断りきれないジャンニは2日間だけという約束で老女たちの世話をすることになる。
気分が優れない彼は友人の医者を呼び気を静めるが、友人もまた仕事の当直を理由に自分の母親を預かってほしいという頼み。フェッラゴーストの休暇を母親と初対面の3人の老女と過ごすことになるわけだが、、、



愉快な映画です。

ジャンニは結構戸惑っているのに、能面のような顔でどんなときもお年寄りに親切、老女たちのへそを曲げないように上手に気をつかっている。これはとってもイタリア男(ローマ男)らしい。
お年寄りたちはそれぞれにわがままで気まぐれ、もう他人には気を使いたくないからそれぞれに自由に振舞う。この気ままな人たちが、でもせっかくだからと打ち解けあって仲良くなっていくところが、さすがに憎めないイタリア人らしいなぁと。
ローマ人(と言っていいと思うな)の人付き合いや普段の暮らしぶりが垣間見られて面白く観ました。

Ferragosto
聖母被昇天の祝日(8月15日)
→フェッラゴストの祝祭(8月15日以降の約一週間)の起源は古代ローマのアウグストゥス帝が自分の誕生日に因んで制定したFeriae Augusti (8月1日の祭り)に由来。キリスト教の「聖母被昇天の祝日」Assunzione にあたり休日

映画と地元の特産品やワインを楽しむDOC 企画にて。

2009年8月18日

カ・ドーロ

<カ・ドーロ>

15世紀ヴェネチアン・ゴシック建築様式、ファサードを飾っていた金箔から『Ca’ d’Oro』 (黄金の家)と呼ばれる。フランケッティ美術館には大理石彫刻、ブロンズ彫刻、絵画コレクションが常設。



11月22日まで“L’Anima dell’Acqua”展を行っています。



8艘の木製の船、7箇所にモニターが設置されています。
海底にいるのか波打ち際なのか、または陸地なのか自分の居る場所の思い違いを起こしそう。



2階のバルコニーには魚が泳ぐ!!この向かいには魚河岸があるんですね。一瞬、つくりものの魚から臭うのかと思ったら、、、



船着場



歴史の中にある今―同時性という『共存』の試みが個人的にとても好きです。
私の甘味のひとつ、彫刻もモザイクも楽しみました。

2009年8月14日

ヴェネチア 夏編

暑い日、久しぶりに歩きました。
でもヴェネチアは何度訪れても胸がキューンとなる場所。



お馴染み、「ため息の橋」
ドゥカーレ宮殿が修復中のためその外観を抜けるような青空で目隠し。
牢獄に入れられる前の見納めにはラッキーとも思えそうな素晴らしい景観??



中央奥が「時計塔」
修復が終わってから(2006年)やっと見ることができました。



木造のアカデミア橋



リアルト橋



カ・ドーロのファサード
今回の目的はここ。外観も'美しい'につきます。

2009年8月10日

Egna/Neumarkt -エーニャの夏祭り

夫の休暇中でもここのところ朝起きて快晴というわけでもないので、日光浴も山歩きもどちらにするのもあまり思わしくない日曜日。
午後からトルコ祭りの行われているモエナに行っての帰り道、通りかがりに寄ってみたエーニャの夏祭りです。




Via Portici 


ボルツァーノ県に入るとすぐにドイツ語との二ヶ国語の看板が目につきますが、エーニャの町並みも行き交う人々も楽しみ方もなんとなくドイツにきたみたい。
1キロはないと思われるアーケード通りの3箇所の小さな広場にライブステージが設けられていて、大人のほとんどがビール片手におしゃべりしたり、音楽に身を寄せたり。アーケードの下にテーブルがセッティングここで飲んだり食べたり。

こちら本場南チロル風ストラウベン、トレンティーノより生地が細くてサクサク、そして量もたっぷり。

アーケード通りをまた奥へ入ると小さな中庭にまたドリンクカウンターがあって若者たちで賑わうディスコがあったりする。


家族連ればかりでなく、いろんな世代の住人ほとんどが外出してきたという雰囲気。
周りの皆さんほとんどドイツ語、なにしろ外人をじろじろ見ないし、おかげで一緒にホロ酔わせていただきました。

扇風機


夏も終わりに近いのに、、、

今年は売ってそうな場所に行くと必ず足を運んで『扇風機』モデルを見比べまくりました。結論として、もし置くなら傘のやや大き目の四枚羽のもの、素材は'ステンレス製'とほぼ的は決まっていたのだけど、ある電気屋さんで銅製のものを発見。

さすがにずしりと重く、大きな音はする、弱でもかなり風が来ます。

朝晩涼しくなったこのごろ、今年はもうあまり活躍しそうもないなぁ、でも来年からのためにと納得してやっと購入しました。

2009年8月5日

草々

ソフィアが自宅を訪ねてくれるというので、ヴァルスガナ線の最寄の駅まで迎えにいきました。無人駅ですが、電車が到着する前にはちゃんと『一番に到着します』と放送で案内があります。一番線しかないけど。
帰りの電車を待っている間には予定の10分ほど前に『5分送れで到着します』との案内が流れました。びっくり!(当たり前かな)



そうそう、彼女は一年間の予定で日本の高校へ留学、今月末日本へ出発します。厳しい選抜で奨学金を獲得した頑張り屋さん。
出発前の心臓が飛び出るくらいの期待と不安が手に取るようにわかるのと、彼女の前向きな姿勢に、できるだけ応援したい気持ちでいっぱいです。

Ape AC Calessino


1956年モデルのミニカーが発売されるっていうんで(しかも3,99ユーロ)買ってしまいました。まあオモチャです、でも付録のカタログにはちょっとした細部の説明もあってへ~となります。

軽トラック型、三輪車『Ape』、幌なしの型は今でもよく走っています。どれも畑道具なんかを乗せた仕事帰りといった様子、発売当初はきっと人を乗せる目的だったのが、需用が変わりいつの間にかモノを運ぶ専用になったんでしょう。

1948年にApe が誕生。有名なVespa の後方を二輪を伴った座席シートを固定し、メタルカバーに半円形の幌をつけたモデルは一頭立ての二輪馬車(Calesse)によく似ています。

Calessinoの名前の由来もきっとCalesse からだと想像できますね。イタリア語の接尾辞 -ino(a)は愛称接尾辞とされていて、小さなくて可愛らしいニュアンスをもちます。

そう言われてみれば横から見ると車体半分はべスパです。

2009年8月2日

8月2日 ボローニャ



1980年8月2日10時25分にボローニャ中央駅、2等待合室で置き去りにされたスーツケースが起爆、85人が死亡、200人以上が負傷した。

イタリアでは8月2日をすべてのテロ犠牲者のための記念日とする。ボローニャ市では遺族会とともに毎年追悼の意味で国際作曲コンクールを開催しているそうです。

写真はボローニャのマッジョーレ広場にあるネプチューンの泉(昨年秋撮影)