ニュースで『Salone Internazionale del Gusto』 (世界味のサロンとでも訳す?)がトリノで開催されていることを知って、思い立って一泊2日で出かけることにした。
今年の冬季オリンピックの開催地でもあったことと、トリノが舞台になった映画『i giorni dell’ abbandono』 ではとても美しい町だという印象だったから、一度は訪れたいとかねてから思っていた町のひとつだ。
工業が発展している町という印象で、それ以外はあまり詳しく町の歴史を知ろうと思ったことがなく、個人的な興味の対象になっていた事といったら『シンドネ』くらいだった。それも何年か前の火災が理由で修復中だったはずで、それ以外にトリノへいく特別な理由はついぞ今までなかった、なぜか。
トレントからおよそ車で4時間半。高速道路を降りると、目の前に全く想像していなかったような近代的な都会の姿が現れ、かなりわくわくし始めた。
トリノの象徴でもある、モ-レ・アントネッリア-ナを目指した。1862年に設計され、資金不足のため一度市に譲渡され1889年に漸く完成した。パリのエッフェル塔に付随するという高さ167,5mの塔で現在は映画博物館として利用されているそうだ。
車を止めて近くまで歩き、脇のインフォメーションセンターで地図を手にいれるついでに、簡単な散策のアドバイスを受ける。インフォメーションセンターの人はなかなか感じがよく、ともかくトリノは好印象。
それから徒歩で。長いポルティチが続き、古本やCDを売る出店が多く、しかも値段もトレントに比べて安価で豊富なこと。 町の中心にあたるカステッロ広場はバロック様式の正面玄関のパラッツォ・マダマ、広場の奥にパラッツォ・レア-レが見える。1865年までイタリア国王サヴォイア家の居住の殿だったところ。
おもにローマ通り、サンカルロ広場、ヴィットリオ・ヴェネト広場に続くポー通りはお洒落な店も内装も歴史を感じさせる古典的なカフェも多い。
トリノは1861年イタリア統一王国成立から1946年国民投票で共和国宣言するまでの間の、イタリアの政府の中心になった最初の町だったそうだ。
立ち並ぶ古い建物の豪華さはその王国時代の豊かさが伺え、同じ位数多い近代建築、広い道路やシンプルでモダンな照明設備は、フィアット社に代表される盛んな機械工業の発展を示す例だろう。郊外にはかつてフィアット社の従業員のために建築されたという高層のコンドミニアムが相当な数の棟が立ち並んでいる。コンドミニアムからほど近い、現在のリンゴットを含みそこに隣接するガラス貼りのショッピングセンターは、かつてのフィアット社があったところだそうだ。その敷地の広さといい、コンドミニアムの数の多さ、一時期の景気の良さの痕跡だろうな。
流行からは随分はずれているのだろうけれど、町のはずれにあり建物も今では時代遅れといった、訪問者も少ない印象を受ける自動車博物館へ寄る。F1を走ったフェラーリ(歴史的?)や、『車』が生活に出現した時代の娯楽についての記録などが展示されている。 これはグレッグの希望で入場。
中心地の観光案内所でホテルを紹介してもらう。リンゴットの時期はかなり込み合うことが予想していたたから、ほどほどの金額で会場からもほど近いホテルが確保できたことはかなり運がよかったかも。
ホテルにチェックインしてから町の散策に出かける。(普段出無精でも、なぜか旅行先ではフル回転になる私たち、とくに彼のほうが、である。)
今回のもうひとつの目的は『トリュフ』と『ボリート・ミスト』だったから、案内所、バール、店員などなどあらゆる人々にトリノで美味しいものが食べたいからどこへ行くべきか尋ねまくったのだ。 ほとんどのひとが地方料理レストランを知らず、レストラン街やカフェの多くある地域を示してくれ、とにかくそこへいけば美味しいものがあるはずということだった。
日も暮れてきたので散策のあと、その地域を目指したところ、レストランらしきものはほとんど見当たらず、(多分まだ早い時間だったのかも)あるのは、少しお洒落なモダンな感じのカフェばかりで、ブッフェ式の前菜とアペリティフを飲んでお喋りする仕事帰りの人々を多く見かける。
あらためて通りすがりのトリノに住んでいる人々に尋ねる。
漸く最後に聞いたカップルがアドバイスしてくれたのは、ポー川の向かい側にある一件の名前、安くて美味しいし、ピエモンテ料理を出すとの話だった。
すっかりピエモンテ料理が頭にこびりついた私たち、タクシーを使って迷わずそこへ行く。
名前を教えてくれたカップル(60代)いわく、今やトリノに住んでいる人達は肉料理というより、魚料理など少し軽いものを食べるのが流行りなんだそうだ。たしかに生魚を出すという、日本風にいえばイタリアンカフェもあったし、世界各国のレストランの数に劣らずヴェジタリアン専用の店もかなりめだった。
つまり紹介してくれたのレストランは、いわゆる大衆レストランで、オーナーらしき人は愛想もよく、地元の人々で賑わっているということがよくわかる客層だった。
きっとピエモンテの家庭料理だろう、アンティパストミストも牛肉のツナソースかけなど、濃い味のソースを使ったもの、イワシを是非試すように言われて来たので、イワシを注文すれば、妙な顔をされ、持ってきたのはイワシのオイル漬け、山盛りのバターで、後でこれがピエモンテ風なのかと質問すると、『オイルサーディンはパンにバターを塗って食べるのは世界共通だろう?』と言われる。んん、担当のウエイターに恵まれなかったらしい。
アンティパストがすっかりお腹にたまったせいで、プリモのフォンドュのリゾットになったらとてもつらくなった。お米の焚き具合も丁度良い具合で味も良かったし、グレッグの注文したタリアテッレも美味しかったのだが、バターたっぷりのソースだったので、セコンドの前にすかッり満腹感を味わってしまった。
確かに美味しかった。だが私たちの頭のなかは『トリュフ』と『ボリート・ミスト』のことで一杯、中心地からタクシーをとばしてここまで来たのに、『トリュフ』のトも見当たらないことに、ついでに到着したときの空腹も手伝って、最初に少しがっかりしまったのだ。
ま、いつも思うが、レストラン探しは空腹時に行わないほうがいい、絶対に冷静になれないからだ。
デザートにナシの洋酒漬けがあったようだが、オーナーには失礼だったが、それも注文せずに、お勘定をお願いした。
ホテルまではトラムを使ってみることにした。しかし中心地から駅方面に行くときもそうだったが、グレッグが行き先を確かめずに停留所に止まったトラムに乗りこむ、イタリア人特有の習性があることを知らずに後をついていってしまったので、帰りはホテルまでたどりつけるかどうかも心配になってくる。第一自分たちが一体どこにいるのかも不明だったのだから。案の定ちっともトラムは来ない。
人気のない郊外の停留所でトラムを待っていたのは私たち旅行者だけで、ようやく着いたトラムもかなり空いていたが、駅へは無事到着。そこからは乗り継ぎの停留所を探し、ほぼ迷うことなく帰宅。
夜がふけても相変わらず交通ラッシュで、行き交う人々も多い。都会です、トリノって。
1 件のコメント:
tがひとつ抜けていたことに気がついた人が何人いるでしょうか?
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