2008年3月21日

走り書き、3月

事務所の女性が別の仕事が見つかって急に辞める事になったのだけど、来てくれないかしらとボランティアでお手伝いしている事務所から電話がかかってきた。半信半疑で『ハ、いいですけど、こんな私でよかったら。』(どこかで聞いたような台詞)という簡単な合意で、短期契約であるが毎日働くことになった。

イタリアに来てからというもの早寝早起きの習慣がすっかり身についたので、朝8時半出勤という、画期的な時間帯で引き受けた。でもまあ、やれば出来るもんですね。これも習慣になればどってことはないかも。speriamo!

出勤2日目、バスの乗換え5分の予定が先のバスが案の定遅れて、久しぶりに人中走りました。朝のあの時間目立ってしまったな、と反省。なにしろイタリアで走る人、見た事ありませんから。

5、6分遅れそうになった時に連絡し、事務所で、こういうこともあることをご承知おき下さい、と事情を説明したら、『多少の時間の遅れを気にするよりも、もっと気にしなくてはいけないことが山ほどあるのよ。大事なのは来ることだから、そういう些細なことは心配しないように。』との返事。

本当にそうだと思うが、日本人のメンタリティでは出勤時間厳守、が原則だし。
私自身がなぜかイタリアに来てから急に時間に神経質になって、ほぼ15分は遅れてくるイタリア人より時間を守る几帳面な人側になったのはちょっと不思議な現象だと思いつつ。

おかげで翌日からはバス1本逃しても慌てないことにした。そこで遅れてもせいぜいわずか数分のことなので。

環境は予想していたものよりもずっと良く、とにかくここの一番偉い『会長』女性であるが、腰の低さには恐れ入る。小柄なこの女性は声に張りのある人で、スゴイ数の人から絶大な信頼を得ている。そしてその人達の強い賛同と快い協力を得て大きなプロジェクトを運営している。でもちっとも高慢なところがない、こういう女性に会えたのはちょっとした幸運かもしれない。

春だから、私にも新しいことが始まったかも、と思うような3月の出来事である。

2008年3月1日

卒業後の試練

甥の大学卒業のお祝いに駆けつける。
こちらの学生が大学(高校もだが)を卒業するためにかなり一生懸命勉強するっていう姿には感心している。それに学生時代勉強した事を就労に生かす、という社会全体の姿勢も。

甥も同様、多くの試験を通過、分厚い論文を提出。それから卒業のその日までは論議の準備も怠られない。
フェスタに呼ばれた私達など、彼が新品のジャケットにネクタイを結び緊張している様子、同日に卒業する同級生やその仲間たちがドアの外で励ましあったりする様子なんかをカメラに収めたりして、呑気なものである。

教授とのディスカッション会場には、親戚と友人一同がガサガサ入場。最初相当な早口で始まった論議も、皆が会場に着席して静かになったころにはやや落ちつきを取り戻したらしい。この騒々しさがきっと本人の緊張を高めたに違いない、、。ひととおり質疑応答が終ったところ退場、もう一度呼ばれて自分の合格点を知らされ、改めて卒業を認められる。

無事卒業。おめでとう!!

しかし、

祝う前に『試練』があって、卒業の印である月桂樹をいだいて町を練って人通りの多い街頭へ。その後をぞろぞろついていく、私達親族友人たちの列。
どうやら恒例の“コンパ通り”があるらしく、そこへ到着すると彼はガールフレンドからジャケットを脱がされ、ネクタイを解かれ、シャツを脱がされ、この寒い中下着一枚になる。そして友人一同が作ったトンネルを何回も裸のまま通り抜けさせられる間、身体中滅茶苦茶にひっぱたかれる、背中が真っ赤になるまで。

いい加減なところで、漸くTシャツを着て、ついでにビニール袋もかぶせられ、ガムテープで巻きつけられて、その中に野菜や生きた魚も突っ込まれる。他の同級生は身体中にマジックで何か書きこみ、その後は生卵を投げ、小麦粉を顔中塗りつけられる。洗いものを強いられたり、同級生の言いつけに従うままである。

やはり寒いからというのもあるし、酔わなきゃ出来ないというのもあるだろうが、ワインボトルを手渡されて『Bevi』コールを何度も受ける。そして、友人たちがあらかじめ用意しておいた、在学中のエピソードをもじった彼のストーリーを大声で読み上げていく。その間も小麦粉シャワーを浴びたり、野次がとんだり。

卒業後の初の試練がこの街頭での長い恥ずかしいパフォーマンス。

人通りの多い街頭での同級生のキツイ冗談には思わず苦笑いしてしまうもので、親も親戚も知らない、友人だけが知る甥への“お祝い”。まあそれだけ在学中は『愛された』ということらしい、、、。

フェスタ会場はシャワー完備のレストランで。
彼がすっかりりりしい姿で再登場するまで随分待たされたのは、髪についた卵はなかなか落ちないだろうとか、足についたガムテープをはがすのは大変とか、香りに気を使ったとか、鏡を見ている時間が日ごろから長いとか(イタリア人は皆往々にしてナルシストだし)様々なことが想像できた。

私達は次々出てくる料理と飲み物に感嘆して、彼の仲間たちはいとおしい『同期のサクラ』の卒業に相変わらず浮かれていた。

食後のお菓子の後、このフェスタの締めくくりにチョコレートのサラミが仰々しくワゴンに乗って運ばれる。卒業した本人が、端のシッポを切って次の卒業予定者に投げ渡される。受け取った友人が次の戦士、先輩からのエールというわけである。ここの学生たちの慣習だそうだ。

卒業までの楽しく苦しい日々を思い返しながら、その日も緊張いっぱいの朝を迎え、称号を頂いて漸くほっとし幸福感を味わったのはきっと甥だけではない。両親も親戚も同じくらい感慨していたようだ。

帰る頃にはなんだか甥が『dottore』にふさわしい、また一層美男子にも見えてくるから不思議。(もちろん手前味噌!ですが)