2008年9月9日

Bici - 自転車

最近こういうのに凝っているらしい、友人のために。イタリア製をかなり絶賛していましたが、んん納得するかも。たまたまディスプレイした店に通りかかったので写真撮っておきました。





こちらは、部品。私からすると単に“枠”に見えるけれど。
それにしてもディスプレイしてある『運動靴』かなりお洒落ではないでしょうか。

2008年8月13日

道具



山岳地方で見かけた家の壁にかけてある、ひょっとしたら意図的に飾ってある(?)かつての仕事の道具。
鍬とかのこぎりくらいはわかるけれど、一部しか残ってないものもあり、さて何に使うのだろうかと気にかかったので。

2008年4月21日

007

久しぶりの晴天の週末、リモーネまでドライブ。
ガルダ湖の西岸、細いカーブと崖を掘り起こして出来たと思える絶景の古いトンネルを抜けると、車道から下る坂に沿って小さなリゾート地Limoneがあります。

ちょうど今ガルダ湖で次回の『007』のロケーションをしているのです。(書いているうちに終了したかもしれませんが。)前々日(?)トブリーノ近郊でロケ中、スタントマンが運転を誤り車ごとガルダ湖に転落、スタントマンは無事脱出に成功、すばやくレッカー車が到着、撮影用の車も引き上げられた、というニュースを小耳に挟んではいたのですが、、、

次の撮影予定地であるリモーネにありましたね、それらしき撮影用の『車』。我ながらこの野次馬根性に少し苦笑いしながら、写真に収めました。ちなみにコムーネの掲示板いっぱいにロケに関する記事が張り出されていましたヨ。

憶えていたら次の『007』をお見逃しなく!

2008年4月6日

映画-『8月の狂詩曲』

黒澤明監督、1991年日本映画。
Cinema Vertigo のジャンピエロの絶大なる厚意と協力により2月から3月の間Barycentroで行った『SERATE A TUTTO CINEMA』の日本映画上映会の上映作品のひとつ。どの作品も様々な観点でいい映画ばかりだった。在日本人にとっては“家”を思い出す、日本を知らないイタリア人には“日本”を垣間見られるいい機会だったと思う。ホントにありがとう、ジャンピエロ。
記憶の新しいうちに、感想を。

<ストーリー>
戦後45年、長崎の田舎の祖母の家で夏休みを過ごす4人の孫たち。被爆地の長崎市内を訪問しながら歴史の中の出来事、第2次世界大戦について考えていく。またハワイに移民した祖母の兄弟のうちのひとりの息子(リチャード・ギア)が祖母を訪ね長崎を訪問、原爆記念45年にあたるその夏にアメリカ国籍の甥と初対面を果たす。

ジャンピエロも言っていたが、日本語オリジナル版の良さは特にリチャード・ギアが日本語を話している部分にあるのでは。日系二世の役柄の真摯な感じがとてもイイ。ハワイには日系人が多く住んでいることは周知だが、様々な理由で海外に移民し、現地で成功を収めている背景には家族とは疎遠にならざるを得ない犠牲もあるのだ。彼等の子供達は日本人の血をひいていても、完全な英語を話す米国人として成人する。

始めて会う伯母とそれほど流暢ではない日本語で会話するシーンが穏やかで印象的。親や自分のルーツを尊重する気持ちが無意識が働くのだろうか?これは終戦後のアメリカと日本の理想的な関係を象徴しているかのよう。

ひと夏の不思議な縁の対面と、原爆を思い起こす雷を伴う豪雨、それも湿気の多い日本の夏には起こる天空が狂ったようにまた怒ったように降る激しい雨のなか、人も恐怖で我を忘れたようになるシーンで締めくくっているところが、映画のタイトルの『狂』と重なるのかな。

常に疑問に思うことだが、被爆地の日本はこの歴史的過去についてどう受けとめるのが公正なのだろうか。

2008年3月21日

走り書き、3月

事務所の女性が別の仕事が見つかって急に辞める事になったのだけど、来てくれないかしらとボランティアでお手伝いしている事務所から電話がかかってきた。半信半疑で『ハ、いいですけど、こんな私でよかったら。』(どこかで聞いたような台詞)という簡単な合意で、短期契約であるが毎日働くことになった。

イタリアに来てからというもの早寝早起きの習慣がすっかり身についたので、朝8時半出勤という、画期的な時間帯で引き受けた。でもまあ、やれば出来るもんですね。これも習慣になればどってことはないかも。speriamo!

出勤2日目、バスの乗換え5分の予定が先のバスが案の定遅れて、久しぶりに人中走りました。朝のあの時間目立ってしまったな、と反省。なにしろイタリアで走る人、見た事ありませんから。

5、6分遅れそうになった時に連絡し、事務所で、こういうこともあることをご承知おき下さい、と事情を説明したら、『多少の時間の遅れを気にするよりも、もっと気にしなくてはいけないことが山ほどあるのよ。大事なのは来ることだから、そういう些細なことは心配しないように。』との返事。

本当にそうだと思うが、日本人のメンタリティでは出勤時間厳守、が原則だし。
私自身がなぜかイタリアに来てから急に時間に神経質になって、ほぼ15分は遅れてくるイタリア人より時間を守る几帳面な人側になったのはちょっと不思議な現象だと思いつつ。

おかげで翌日からはバス1本逃しても慌てないことにした。そこで遅れてもせいぜいわずか数分のことなので。

環境は予想していたものよりもずっと良く、とにかくここの一番偉い『会長』女性であるが、腰の低さには恐れ入る。小柄なこの女性は声に張りのある人で、スゴイ数の人から絶大な信頼を得ている。そしてその人達の強い賛同と快い協力を得て大きなプロジェクトを運営している。でもちっとも高慢なところがない、こういう女性に会えたのはちょっとした幸運かもしれない。

春だから、私にも新しいことが始まったかも、と思うような3月の出来事である。

2008年3月1日

卒業後の試練

甥の大学卒業のお祝いに駆けつける。
こちらの学生が大学(高校もだが)を卒業するためにかなり一生懸命勉強するっていう姿には感心している。それに学生時代勉強した事を就労に生かす、という社会全体の姿勢も。

甥も同様、多くの試験を通過、分厚い論文を提出。それから卒業のその日までは論議の準備も怠られない。
フェスタに呼ばれた私達など、彼が新品のジャケットにネクタイを結び緊張している様子、同日に卒業する同級生やその仲間たちがドアの外で励ましあったりする様子なんかをカメラに収めたりして、呑気なものである。

教授とのディスカッション会場には、親戚と友人一同がガサガサ入場。最初相当な早口で始まった論議も、皆が会場に着席して静かになったころにはやや落ちつきを取り戻したらしい。この騒々しさがきっと本人の緊張を高めたに違いない、、。ひととおり質疑応答が終ったところ退場、もう一度呼ばれて自分の合格点を知らされ、改めて卒業を認められる。

無事卒業。おめでとう!!

しかし、

祝う前に『試練』があって、卒業の印である月桂樹をいだいて町を練って人通りの多い街頭へ。その後をぞろぞろついていく、私達親族友人たちの列。
どうやら恒例の“コンパ通り”があるらしく、そこへ到着すると彼はガールフレンドからジャケットを脱がされ、ネクタイを解かれ、シャツを脱がされ、この寒い中下着一枚になる。そして友人一同が作ったトンネルを何回も裸のまま通り抜けさせられる間、身体中滅茶苦茶にひっぱたかれる、背中が真っ赤になるまで。

いい加減なところで、漸くTシャツを着て、ついでにビニール袋もかぶせられ、ガムテープで巻きつけられて、その中に野菜や生きた魚も突っ込まれる。他の同級生は身体中にマジックで何か書きこみ、その後は生卵を投げ、小麦粉を顔中塗りつけられる。洗いものを強いられたり、同級生の言いつけに従うままである。

やはり寒いからというのもあるし、酔わなきゃ出来ないというのもあるだろうが、ワインボトルを手渡されて『Bevi』コールを何度も受ける。そして、友人たちがあらかじめ用意しておいた、在学中のエピソードをもじった彼のストーリーを大声で読み上げていく。その間も小麦粉シャワーを浴びたり、野次がとんだり。

卒業後の初の試練がこの街頭での長い恥ずかしいパフォーマンス。

人通りの多い街頭での同級生のキツイ冗談には思わず苦笑いしてしまうもので、親も親戚も知らない、友人だけが知る甥への“お祝い”。まあそれだけ在学中は『愛された』ということらしい、、、。

フェスタ会場はシャワー完備のレストランで。
彼がすっかりりりしい姿で再登場するまで随分待たされたのは、髪についた卵はなかなか落ちないだろうとか、足についたガムテープをはがすのは大変とか、香りに気を使ったとか、鏡を見ている時間が日ごろから長いとか(イタリア人は皆往々にしてナルシストだし)様々なことが想像できた。

私達は次々出てくる料理と飲み物に感嘆して、彼の仲間たちはいとおしい『同期のサクラ』の卒業に相変わらず浮かれていた。

食後のお菓子の後、このフェスタの締めくくりにチョコレートのサラミが仰々しくワゴンに乗って運ばれる。卒業した本人が、端のシッポを切って次の卒業予定者に投げ渡される。受け取った友人が次の戦士、先輩からのエールというわけである。ここの学生たちの慣習だそうだ。

卒業までの楽しく苦しい日々を思い返しながら、その日も緊張いっぱいの朝を迎え、称号を頂いて漸くほっとし幸福感を味わったのはきっと甥だけではない。両親も親戚も同じくらい感慨していたようだ。

帰る頃にはなんだか甥が『dottore』にふさわしい、また一層美男子にも見えてくるから不思議。(もちろん手前味噌!ですが)

2008年2月18日

徒然

Yomoyamabanashi料理教室の第2グループもお蔭様で催行を決定、先日初回を迎えた。日本食といっても、私達の提案する料理教室は日本食の代表みたいになった『Sushi』と『Tempura』を家で作ろう、というもので、料理を通して私達の習慣や食文化を紹介するひとつの試みである。

近年タイ・アジア食材店ができてからは調味料の多くが手に入るようになったので、工夫次第で『日本の味』に近いものが自宅で作れてとても助かっている。しかもここのオーナー夫妻も親切で会の料理教室の材料調達でもお世話になることがしばしば、協力的でありがたい。

先日店の奥さんから、たくさんの顧客からタイ料理教室をやったらどうかと言われているんだけどどうしたものか、ともちかけられたので、確かにこれは私達日本人にも面白そう、今度共同企画しましょうヨ、と答えながら、でも私はタイへ行ったことがないのだと思い出した。

タイには日本食品の工場もあり、『スシ』も『天ぷら』の他、彼等にとっては日本食も身近なものらしい、この店に置いてある菓子類なども日本製かなと思うようなものもある。

一方私自身は、かつて訪れたアジア各国ではいつだってその土地の料理が口に合うことがなかったので、(旅行や仕事で行っているからごく一部のものの評価にすぎないけれど)日本でそれを食べようという意識に欠けていた。唯一タイという国はいつか行きたいという希望はかなわず、こちらに来てしまってますます遠い国になった。日本にあるアジア料理レストランに数回足を運んだくらいで、よくよく眺めてみるとこの食材店に並んでいる野菜や調味料の類もどうやって使っていいかも見当もつかないくらい、無知である。

またトロピカルな国=濃い辛い味つけという図式が頭の中で出来あがっているし、混沌ととしたイメージのある国、トムヤンクンくらいしか思いだせないからきっと沢山の材料や香草を混ぜるんだろう、、、とかますます???である。

つまり自分が知っていることは少ない。知らないことは人にも薦められないし、それをどう形に出来るかは少し知ってから、興味を持てるかどうかもその後のことだ。
だから残念ながらちょっとこの案は一時保留“オアズケ”である。何か良い案がある方は是非一報を!

2008年2月8日

会員証

 なんだかここのところ“44匹の猫たち”ではYomoyamabanashiの話しばかりですが、、

暫く前からNatsukoさんにいろんな種類の用紙の組み合わせで試作品を作ってもらいながら思考錯誤。彼女の忍耐と創作の協力に感謝、感謝です。遂に納得いくものが出来あがりました、『会員証』です。

傍からみるとどうでも良い些細なことのように思えるけれど、好ましいものを作りたい、という気持ちからです。せめて自己だけでも満足しないとね。
いいでしょ?と言えるもののほうが、何事も説得力があるというものだから。

2008年1月31日

映画 『la giusta distanza』


<監督> Carlo Mazzacurati
<出演> Giovanni Capovilla, Ahmed Hafiene, Valentina Lodovini, Giuseppe Battiston, ecc.

ジョヴァンニはポー川を望む小さな田舎町に住むジャーナリスト志望の18歳。地方紙の特派員記者をしていることは誰も知らないし、記事にも氏名が載らない。
傍ら私生活で大型廃棄物のなかから見つけた二輪の修理をするために近所の工場に通っている。そこに勤める善良なチュニジア人技師アッサンと短期で赴任してきた、若く美しい小学校の教師マラの間に芽生える恋心を遠くから見ている。


題名が示唆しているが、ある相応しい距離をおいてひとつの事柄を眺めていくと、近距離ではわかり難かった事実が見えてくることがある、これは映画の中でベテランのジャーナリストが若い彼にアドバイスした言葉の意味。

時にある村祭りに皆が参加したり、唯一あるレストランにどの住人も通っているような、長いポー川沿いを中距離バスが1時間に数本通るような、大きな魚が連れたことが大きな話題になるくらいの平穏な日常生活は、逆に異常でさえもある。

昔ながらの土地に新しくやってきて暮していくのは、少し好条件の外国人と似たようなものだ。でもだから尚更慎重でなければならない。外人はさらに悪条件で暮していかなければならないから、余程である。

表面的には“外国人は悪いやつばかりじゃない”のは皆わかっているようです。でも何か問題があったときには、顔が違い、話し方が違い、習慣も違う『誰か=外人』を疑うのが、一番都合がいい。だからいつも大抵少し弱い立場に立ってしまうわけで、しかも賢く立ち振る舞う人でなく、生真面目にやっている人間がその不利な立場に立たされることも多いというのも事実。

大きな事件にかかわらず、日常的に起きていることです。

従って(知らない土地で暮す時は)自己防衛を心がけ、忍耐力をもって慎重に行動する、、、なんかいつも同じ結論にたどりつくなあ、とは独り言ですが。

2008年1月28日

日本料理教室ー第4回

Yomoyamabanashi 日本料理教室、第4回目『天ぷら』



天ぷらはたくさん揚げるともう見ただけで美味しそう、です。

トレントでも日本の某有名メーカー『天ぷら粉』が手に入るようになって、材料を切って揚げるだけになりそうだったので、(イタリアでも海の幸の揚げ物はありますからね、、!)『和食の特徴をつけるための一工夫』をインストラクターを担当してくれているKYOKOさんにお願いしました。

“衣を変える”ことと“かき揚げ”は日本風のアレンジ、私達のちょっとした食文化の紹介になったでしょうか?



後から気がついたのですが、参加者が菜ばしを不思議そうに試している様子。
皆さん食べる時の箸は上手に使えるけれど、この長いのは苦戦したに違いありません。イタリアでは、同じ用途で大型のピンセットみたいな調理器具が存在します。

この料理教室は今回が最終回。共通の『いつもと違う料理』に興味をもった人達の集まりであったことはもちろん、偶然同年齢くらいの女性が多い小人数グループだったせいか、あっという間に皆さん仲良くなり、和気藹々とした調理実習の時間を作り上げてくれました。

日本の習慣や食文化、料理に興味を持ってくれて参加してくれた皆さんはをはじめ、実習担当のKYOKOさん、それから参加者登録の受付、問い合わせ等一切を引き受けてくれたチャギくん、お手伝いにも駆けつけてくれた囲碁部部長レイクくん、AIさん、MASAKOさん、遠くから鮮魚の仕入れ担当してくれたNATSUKOさん、場所を提供してくれたVillaの方達、そして台所のロベルトなど、たくさんの方達の協力を得て小さな料理教室を開くことができました。皆さんの応援とご協力にとっても感謝しています。どうもありがとう!!

これをきっかけに、どうかトレンティーノの人々が『日本』を一層身近に感じてもらえますように。

2008年1月16日

映画ーLa Sconosciuta

クリスマスから年末年始は風邪をひいたり、車のトラブルがあったり(事故ではなく)ちょっと冴えない長い長い休暇でしたが(?)、逆に考えれば、おかげで自宅でゆっくり休養することができたとも言えるかも。

この間に今まで見逃したイタリア映画をまとめて何本か観たのだけれど、偶然にも『移民』『外国人』と『国民』の関係について別の視点から、でも共通して『より良い解決とは?』という疑問を残したものばかり。『共存』とは確かに現在の、この国の大きな緊急を要する課題のひとつなのだ。

そのうちの1本“La sconosciuta” は、ウクライナから『イタリア』の裕福で閉鎖的な住宅地域へやってきて暮し始めたイレーネという女性の物語。

<監督>Giuseppe Tornatore

<出演>Xenia Rappoport, Michele Placidi, Caludia Gerni, Margherita buy ecc,


直訳で『見知らぬ女』でも『異国人』とも言える、または『外人』。
でもこの題名は実際に、どこからやって来て、どんな過去を持つかもしれない異国人に対する受け入れる側の不安、猜疑心と新参者である主人公をよく表していると思う。実際未知であるから。

イレーネは幸(ある意味で)を求めてイタリアにやってきたのにも拘わらず、目的を果たすどころか自らさらに大きな賠償を請け負うことになる。ひとりの不幸な女性の例にすぎないかもしれない。でも過去を捨てて異国で生きている人というのは、例えば貧困や社会事情で、しかたなく母国を諦めることが多いらしいのは事実らしい。

確かにイタリアに住んでいる外人の中にはどこか悲しそうか、寂しそうか憂鬱そうという印象を受ける場合もあり、相手を不安に思わせることもある。(というのは私個人の勝手な意見。)主人公の女優も演技が上手かったということだろうが。

主人公イレーネが背負っている過去とイタリアでの現実との交錯、どん底の貧困と豊かさ、幸福と不幸との比がとても対象的に描かれている。それに思いがけない結末で、驚愕する。おかげで立て続けに2度観てしまった。

移民を迎えるイタリア側も、ある程度慎重でなければならない理由であまり寛大に振舞うわけにいかないのだ。でもこれが全ての外国人に対する偏見につながらないことを是非とも祈ります。

2008年1月1日

謹賀新年



親愛なる友人知人、親族の皆々様へ

昨年はだいぶご無沙汰してしまいましたが、お元気でお過ごしのことと察します。
皆様にとって、ますます健康で喜びの多い2008年になりますように。

また、

今年も相変わらず(ご贔屓に!)宜しくお願い致します。

2007年12月28日

ナツメヤシの実ー(2)

ダテリ(ナツメヤシの実)を開いて、中から種を取り出し、マスカルポーネを塗りこんで、トレンティーノ産の胡桃をのせるだけ。

砂糖付けのものと、乾燥させただけのダテリが売っていますが、後者、自然の甘味のあるものを使いました。
こちらも我が家担当だったフルーツの1品。

Alchenchengi-洋種ほおずき

今年のクリスマス昼食の我が家担当はお菓子と果物。
そのうちの1品で洋種ほおずき(イタリア語ではアルケンケンジと長い不思議な名前なので、覚え書きのため。)をビターチョコレートでコーティング。

ス-パーではトロピカルフルーツと同じコーナーに小さな箱に入って売っているので、すっかりそちら方面からの輸入果物だとばかり思っていたのが、よくよく見ると、コレ日本にもあるほおずきじゃないの、ということは日本と似た気候の土地でできる果物なわけです。

案の定、イタリアでも標高1000mを超えるパドヴァの山岳地帯で耕作しているそうで、成熟期は9月。
日本でコレを食べたのは随分昔々の話しなので、味はよく覚えていませんが、この洋種ほおずきのほうは柑橘のさっぱりした味。甘くなりすぎない食後の一口サイズの果物になりました。

2007年12月19日

日本料理教室ー第3回

Yomoyamabanashi会日本料理教室、
〈家で寿司を作ろう〉の第3回目『にぎり寿司』です。

にぎりのネタはまぐろ、バス(スズキの類;ブランジーノ)、サケ(サーモン)、エビ、そしてイクラ、これは軍艦巻きを紹介し、鉄火の細巻きを添えたものを一人前として提案。

イタリア流でにぎりはやや大きめになったかも、でも盛り沢山にすると美味しそうです。

趣向を凝らした大きめの皿に少しだけ盛りつける、日本風の上品なやり方もいいけれど、ここはイタリア、家で友達を呼んでワイワイ言いながら食事をすることも多いので、そんなカジュアルな食事会の前菜だったら、ご飯の大きさなんかに拘らない、盛りつけもダイナミックにどんと出したほうが食卓が華やかになるに違いありません。
(こんなことはイタリア人の皆さんの方がよっぽど手馴れたものでしょうが。)

例えばお客さまを招く時の『Sushi』の1皿は、招く側は作るのを楽しみ、招かれた側は変り種の1品に感嘆、ちょっと珍しい日本の料理に話がはずみ賑わうこと請け合いです。

それから私たちはいつも『正しい食べ方』と『正しい作り方』を言及する傾向がありますが、基本的には巻き寿司のネタはご飯に味が合って、巻きやすいもの(当たり前か?)ならなんでもOK、にぎりについても、それがやや正統から外れても浸透した手まり寿司があるように、寿司飯との組み合わせ次第、他のお皿や飲み物とのバランスについてちょっと想像力を働かすことができれば、『視覚と味覚を楽しむ』という好ましい食事の条件を満たすのではないでしょうか。

今回はNatsukoさんに仕入れの協力をお願いして、お手数かけて鮮魚を運んで頂きました。イクラもちょっとこの辺りでは手に入りにくい、とっても感謝しています。

2007年12月11日

変わること、変わらないこと

週末1年ぶりにミラノへ。

修復中で覆われていたドゥオモのファサードがようやくほぼ姿を見せた、少なくとも暫くぶりに見ました。随分綺麗に洗われて、夜には白い大理石の聖堂が“聳え立つ”様子は壮大で劇的。

脇のリナシェンテがニューリアルしたので、興味で覗いたところ、7階には回転寿司バーや飾っておくだけでも素敵なパッケージのリナシェンテブランド食品コーナーなどができ、随分お洒落に変わっていてビックリ。
さらに、テラスからドゥオモのテラスが近くに見え、しかも尖塔の彫刻もちょっと手が届きそうなくらいに観賞できる。

カレコレかなり昔にテラスに小さな細い階段を一生懸命上って広場を眺めた記憶がありますが、隣のビルのエスカレーターを使ってあっという間に近くまで行き着け、その当時と近い感動が味わえたことに、またまた驚く。

毎年のように何かの用事でミラノには出掛けても、今年ほど“新しくなった”という印象を受けたのは始めて。
どこの都市へ行っても、いつも変わらない景色がイタリアの良さだとばかり思っていたけれど、ともかく日々変わっていることに、改めて気がつく。きっと10年くらいはずっと同じ景色を眺めているとばかり思っていたから、すっかり新装したときに、その時の過ぎた長さをも感じて、思いがけない早さにも愕然としたのかも。

2007年11月27日

日本料理教室-第2回


Yomoyamabanashi日本料理教室、
<家で寿司を作ろう>の第2回目『巻き寿司』です。


具には玉子焼き、きゅうり、サケ、ツナ、カニ缶、サラダ菜などを用意、好みで巻いて頂いたのですが、これがなかなか日本人も顔負けの手付き。
皆さん結構巻くのが上手い!!



2本目の『裏巻き』も積極的に挑戦、しかもこちらもほぼ成功だった様子。

第1回目の時も和気藹々のムードでしたが、実習時間の多かった今回は一段と賑やか、自分で巻いたお寿司の一皿の出来あがりに満足してもらったようです。
片付けに関しては、協力すれば参加しているって気分になる、とかなんとか、あっという間に交替でやろうという話にまとめてくれ、おかげでほとんど予定時間を大幅に延長せずに終了。
こういうイタリア人のソリダリエタ(solidalieta`)精神、いつも感心します。

今回はAIさんとMASAKOさんが応援にかけつけてくれ、料理がお得意なふたりの協力に私はとても心強い思いをしました。どうもありがとう。

2007年11月12日

本ーわたしの外国語学習法

フランス語勉強会グループがまた時期も続けようと計画中で、参加する意志があるかどうか近日中に返事をしなければならない。思うように学習が進まない頃、3ヶ国語に堪能というかの人が推薦していた本。読んでみました。

ロンブ・カトーの『わたしの外国語学習法』(ちくま学芸文庫)

コースで親しいクラスメートのひとりが私のいつも愚痴る出来ない言い訳を制して、
『いくら日本人がグループが違う言語を勉強するといってもイタリア語を知っているなら、然程障害があるわけじゃない。要は自習をどれだけやるかにかかってくる。勉強もしないで出来ないっていうのは言い訳にすぎない。』ご尤も。

こんな当たり前に思えることが何故か『緊急に必要』とされない場合に限って難しいとさえ思えてくる。

ロンブ女史流、最後の方にある10の教訓(要約)

1)毎日学習する。最低10分でも
2)自分を鞭打ったりしないかわりに、学習は捨てない。本から離れ、ラジオを聞いたり練習をひとまずおいて、別のかたちを考える。
3)コンテストから引き離して覚え込まない。
4)多くの場合に最大限利用可能な成句を覚える。
5)あらゆる物事を頭の中で訳してみる。
6)正しい文章をしっかり覚えこむ
7)成句や熟語的表現は1~3人称、単数で書き出し覚える。
8)四方八方から同時に襲撃する。読み、書き、聞く、見る
9)喋るのをおそれない、誤りをおかすことを恐れず、それを直してくれるように頼む。そして、実際に誤りを指摘されたら、がっかりしたり、いじけたりしない。
10)自分自身が外国語を達成できると確信する。
*太字は個人的に特に同調する。

先のクラスメートはドイツ語、フランス語、スペイン語を操り、中国語を勉強中。中国語にはちょっとてこずっているらしいが。こういう何カ国語も話す人々の存在にはそれほど驚くことはなくなったのは、イタリア語を日常会話として生活しているからこそ、地続きの外国語は日本語からに比べると短距離だと実際感じているから。

しかし、短距離だからといっても、クラスメートのなかでも努力している人こそ、習得しているということも見逃してならないと思う。

2007年11月8日

映画 『どん底』

映画と演劇などを会員制で公開しているNuovoSpazioArteOFFというところで、日本語オリジナル版を上映するというので、行ってきました。

映画は1957年の黒澤明監督、『どん底』。
画像空間の配置や台詞の言いまわしは舞台を観賞しているような印象、しかもお説教(?)が多い重たい映画、と思ったら案の定後から映画評で、ゴーリキーの戯曲が原作、黒澤監督が日本に舞台を移して作った映画だと知る。しかもかなり原作に忠実に作っている作品、モノカメラ撮影ということ。

時代は江戸、さまざまな人間が共存している長屋の住人とその『日暮し』を描き、どう生きるかを問う。

モノクロ、音響も悪く、口の動きと音がずれているという条件で、映像も全体に暗いうえ、話もやりきれない。長屋の様子はちょうど今イタリアで問題になっているジプシーの棲家を思わせるような、簡素な紙と木の作りで、畳でなく藁のような床、混沌としていてちょっと目を覆いたくなるみすぼらしさ。継ぎのあたった布団一枚にもぐってまるまって床に寝ていたり、アルコール中毒の人間や、病気で死にかけている妻がいる男、売春婦、盗人、旗本くずれ、などの長屋の住人たち、それはそれは貧しい様子。隣に住む長屋の主人と底意地の悪そうな妻と世間知らずな妹の三人はそれでも着ているもので、金銭の出入りがあることがわかるけれど、決して幸せでない。この夫婦の怖い顔とすざましい姉妹喧嘩!

話し言葉は現代の若者とちょっと違う、でも確かにこういうアクセントでこんな話し方をする人達はいた、と思う。
それにしても、憂さ晴らしにお酒を飲み、酔っ払い、歌い踊い、何事も笑ってやり過ごす(ごまかす)傾向は何時の時代もでしょう。最初か最後にウへへへ、とかウヒヒとかいうのはいかにも日本人らしいけれど。 

とても面白かったのはこの頃の俳優たちの表情豊かで個性的な顔つき。美男美女もいるし、それに醜いという顔もあるということ。50年前には『日本女性』の美しさがあったらしい。山本五十鈴も香川京子もかなり綺麗です。

観始めてすぐ席を立ちたくなったほど、話も画像も暗い作品だったのに、登場人物の動きなど隅々観察したらもっといろいろな発見があったかもしれないと、書きながら思っている。

2007年11月4日

夕暮れのアディジェ川







アディジェ川にかかるポンテ・ピエトラ(Ponte Pietra)。
灯りがボチボチ燈る頃から一段と魅惑的になるヴェローナの一角。