2007年10月31日

25年ぶりの再会

 昨年の今ごろの話しなのだが、県の納税課から夫宛一通の手紙が届く。

その内容は自動二輪車に対する税金の滞納通知で、支払いの勧告だった。彼も疑ったのは、その二輪車は実に25年前に他人に売却したもので、納税滞納期間は近年3年くらいのものだったせいだ。昔々大切に乗っていた二輪車がいまだに廃車されずに実存、その税金の支払い勧告を今ごろ受け取ったのだ。他人の手に渡してからというもの、その消息は売った相手ももちろん途絶えていたのだ。

ところで問題は納税勧告で、彼は早速たまたま窓口の会社に勤めているいとこに相談してみる。売却したことを証明する公証書類は手元に残っていたから、彼のものでないことは明らかなのだ。

さらにつてをたどって、3年前までの二輪所有者の氏名と在住地域だけは調べることが出来る。

といってもここには同性同名なんてゴマンといる、特に地域で同じ苗字なんてザラである。しかも本人の名前で電話帳に登録しているとは限らない昨今。それでもと、同性の苗字のお宅に電話をかけ持ち主を探し始めたところ、ある日『それはきっとうちの甥だ』というシニョ-レにつながったのである。

親切な叔父サマは彼の甥の居所を教えてくれたことでちょっと期待を持ち、その後二輪の持ち主本人と連絡がとれることとなった。

持ち主もまた驚いたに違いないが、誠意のある人で幸いだったと思う。廃車処理手続きをする旨即合意。

約1年後のある日廃車処理場で二輪持ち主と待ち合わせすることになった。彼は二輪を、こちらは手続き書類を持参、25年ぶりに再会することになる。

その日持ち主は今でも愛好家らしい様相で現れた。20年ほど前に買取り何年間かは乗っていたが、部品が破損してからというものガレージにナイロンカバーをかけただけの状態で保管、動かない二輪車のために3年前までずっと税金だけ支払っていたというわけだ。

さてその二輪は錆がひどく、チェ-ンも切れたまま、見るからに手入れがされずにほっておかれたことがわかりちょっと痛々しい姿。名義変更がされていなかったために書類手続きができずにいたのだろう。25年後漸く廃車場行きになったという運命である。

シンプル極まりない型にみえるが、当時にしてみれば画期的な仕様モデルだったそうで、夫君がアルバイトをして貯めたお金で始めて手に入れた中古の『二輪車』だったという。想像していた以上に保管状態が悪かったのは残念、でも買った当時に自分専用のデザインにしようと切りこみをいれた個所がまだそのまま残っていたのは懐かしかったなぁ、、、とポツリ。

2007年10月29日

ヴェネト流焼き鳥祭り

先々週末です。知り合いのご両親がこのヴェネト州の小さな町出身とかで、もし近くまで来たら寄ってくれ、なんて言われたので覗いてみました。

いわゆる狩猟の時期行なわれている秋祭りで、獲物の鳥類を串焼きにして地域の人々で分け合い祝うという伝統行事を、禁猟云々の問題により、串焼きの肉をキジと豚に変えて慣習を引き継いでいるということです。

そこで始めて知ったのが『ポレンタ・ウンタ』。
ポレンタは一日前に用意し適当な大きさに切って焼いている串の下に鉄板を置き温め直すのですが、その時に脂が焼き鳥(豚)からしたたり落ち、焦げるのと同時に脂でちょっとべたべたになる、つまり肉の味がつくってことだそうな。生活の知恵といいますか。

週末土日に行なわれた祭りで、予約して昼食や夕食に自宅に持ちかえり、親戚や友人たちと集まる口実に一役かっているようです。随分注文が多かったそうで、飛び入りの私たちはかなり待つことになりましたが、知り合いの知り合いというこの町に住む一家族が、世間話をしたり、そのまた友人を紹介してくれたり、待っている間も飽きずに過ごせるように配慮を怠らない、ヴェネト州の人々人懐こいと聞いていましたが、まさにその通り。

2007年10月22日

日本料理教室

Yomoyamabanashi会主催の『日本料理教室 Sushi fai da te 』、ようやく第一回目にこぎつけました。

昨年まで隣県本部の日本文化交流会主催で行なっていた料理教室を引き継ぐようなかたちになりましたが、今回の特徴は在トレンティーノの日本人グループが提案する“家庭で作るお寿司”を中心に行なうこと。


 
講師は在トレント歴が長く、料理好きの本人と家族のためにずっと日本食を作ることを試みてきた、そして昨年までの教室経験のあるKさんにお願いしました。

和食を作るために必要な基本的な調味料などは近年オープンしたタイ・アジア食材店で手に入ります。中心地にも近く寄りやすい場所にあり、毎週木曜日には新鮮な野菜が入荷、とてもありがたい店。


近頃は日本人も純和食というより、タイ、中国をはじめとする東南アジア各国の料理を、自分たちの口に合うようにアレンジして家庭でも作る傾向でしょう。この店で売っている食材を利用して、なんとなく日本で食べているものに近いものが食べられるというわけです。

さて今回は『ちらし寿司』。

お米のとぎ方から始まり、日本で食べているものってホント小さな細かい注意が必要です。そして、実に丁寧に神経を使って準備していき、出来あがりはシンプルであっても色合いも綺麗な、見た目も楽しい食事をいただく工夫をしている、、、。

等々というようなことが、少しでも伝わったことを願っております。

第1グループは女性の参加者がほとんどで、皆さんとても協力的、和気あいあいとした雰囲気で、しかも積極的。しっかりメモもとっていただいた様子からすると、きっと家でも試してくれるでしょう!

イタリア人学生チャギくんには料理部のメール担当をお願いし、当日は、以前に料理コース参加経験のある、四方山話囲碁部長のレイクくんにも助っ人に来てもらいました。日本語の読み書きにも驚くほど優れているこの二人の、影ながらの応援と協力にとっても感謝してます。

2007年7月27日

囲碁の練習会

日本でいうと5段イタリアでは3段という、そうそうたる囲碁のタイトルを持つ方が最近トレントに越してきたので、いったいその遊戯とはどんなものだろうと興味をもって調べてみると、どうやらイタリアでもかなりの数の愛好家が存在するらしいのだ。

その“黒帯のカンピオネッサ”(と勝手に呼ばせてもらっている)に『是非ともイタリア人に手ほどきを』ともちかけるとすぐにOKの快い返事。もちろんご主人もご協力いただけそうなのであった。

そんなことがキッカケで、現在まだ非公式ではあるが、春に発足したばかりのYomoyamabanashi会として、碁に少し興味を持っていたり、対戦の経験があるイタリア人数人と在トレンティーノの日本人数人に声をかけて、暫く前から試験的に集まって遊び方を習い始めている。秋頃に是非ともトーナメントを企画したいと思っていたが、対戦するにはまだまだ訓練が必要らしい。

練習のためににテーブルを貸してくれているのは、中心地にほど近いBarycentroというバールで、そこはさまざまな趣味の同好会の会合などのためにテーブルを開放してくれている。

時々とおりすがりの、バールにお茶を飲みにきた人々が、何をやっているのだろうかと覗きにくる。私たちの伝統的な遊戯『囲碁』を知ることによって、興味のアンテナの先をちょっと日本に向けるトレンティーノの人たちが、少しずつ増えてくれたら嬉しいと願っているのだけれど。

2007年7月16日

コルシカ島(3)

リヴォルノからバスティアへカーフェリーで4時間の旅。カーフェリーにはレストラン、バール、ミニマーケットもあり、甲板で日光浴し、昼食後くつろいでいる間に到着する。

フェリーのレストランの職員が皆張りきって仕事していて、サービス精神旺盛。この辺が今まで訪れた観光地と違って、コルシカ到着前に既に好印象。(もちろん帰路も同様に)


島にはコルクガシの木が至るところに見られ、ほとんどがこんな風に皮をはがれされている。そういえば同じ地中海のサルデーニャはワインのコルクの産地で有名。

それから食べ物のことをちょっとひとこと、ふたこと。

コルシカ島はチーズやサラミが地元特産品なのだそうだ。でも個人的に美味しい!!と思わず口にでたのは、前回もちょっと触れたバゲット。イタリアに戻ってから、バゲットまたはフランスパンとして売っているものを味見し直したものの、コルシカで朝食に食べていた焼き立てのバゲット以上のものはまだ見つかっていない、、、

フランス(コルシカ)風の朝食は、オレンジジュース、バターとジャムを塗りこんだバゲットとカフェオレというかのもの、この組み合わせは普段と変わらないのに、なぜかそれぞれがイタリアの味と違う。ここは断然朝食が美味しい。

そこでお土産にグレープフルーツとオレンジ、クラマンティ-ヌのミックスジャムを買う。ジャムという言葉『confiture』(コンフィットュ-に聞こえる)からも想像できそうなたっぷりした味のもので、糖分と酸味がちょうど良く、これも私のマルメラータ(ジャム)に対する意識を変えてしまった。

もうひとつ、コルシカ産ビール『ピエトラ』は栗からできていて、琥珀色のコクがあるとても個性的な味。機会があったら是非お試しを。

2007年7月13日

Corsica-コルシカ島(2)




コルシカは地中海に浮かぶフランスの島。ジェノヴァ湾から155キロ、トスカーナ州から80キロの海をはさんだ場所に位置する。

その表面積は8722平方キロメートル、最北端から最南端までの距離が183キロ、西北の83キロ、周囲を1100キロ以上の長い海岸線に囲まれているが、島のほとんどが山岳地帯である。13世紀にジェノヴァの支配が確率、現在あるコルシカ島の街はジェノヴァ統治時代に建造されたものだそうだ。




[パロンバッジャ]
この透明度と白い砂浜はやはり半島から離れないと見つからないのでは。既に視覚からリラックス、、、。






 

2007年7月5日

Corsica-コルシカ島(1)

始めて訪れたのに、休暇が終りに近づくと感ずる郷愁に似たもの、その場所が気に入るとありますよね。



ポルトヴェッキオからバスティアの港に向かう約150キロの道中で、島を離れることが寂しくなってしまったほど愛着を持ってしまった、とてもイイところです。

小さな港町はフランスの香りがたっぷり、イタリアから随分近いのに異国の気分を十分味わえて、人々の暖かいもてなしや、新鮮な魚介類と感動的に美味しいバゲットで幸せな気分になり、エメラルドグリーンの海と長い長い白い砂浜の美しさを大満喫、しっかりリヴァイタルして帰ってきました。

さて整理するにはちょっと落ち着いてからに。



まず幾つかの写真をアップします。コルシカ島南端ボニファチオから。でもさすがに強風でした、この日。



細い路地、ピンク色の壁

2007年6月18日

ジョルジョの誕生日



イタリアでは誕生日をお祝いするのは、友人同志の年中行事のひとつ。少なくとも集まる口実に誕生会をやる友達が私のまわりには多い。集まって皆で美味しいものを食べて飲んでお喋りするっていうのが好きな人々が多いのだ。

それに自分ももちろんだが近しい人も、存在しているのは誕生があったから祝って然るべき、だから祝う、と考えるのは全然おかしくない。祝いたいし、お祝いされたいじゃない、誰しもやはり。

ともかく私も“祝い事が好き、集まること”が好きな部類なのでこのごくごく内輪のお呼ばれを楽しみにでかける。

ずっと年上なので、「ともだち」といって失礼にあたらないかちょっと心配だけれど、知り合ってからはもう随分長い。
日本人の私はいつもからかわれる対象でしかないのが残念である。これはまだ私がイタリアに来たばかりの頃、イタリア語のコースを終了して得意気になって『Lei』で話しかけてからずっとだ。



彼はイタリア人の美意識の高さとその層の厚さを想像させてしまう。その彼のアトリエの作品である。もし機会がもっとあれば、お友達のひとりとして頻繁にお付き合いさせていただきたいシニカルで個性的なジョルジョである。

2007年6月14日

Chiaretto Bardolino Doc キアレット・バルドリーノDOC

6月8日から10日まで『Palio del Chiaretto Bardolino Doc』とガルデサーノの丘陵地帯で耕作される葡萄からできるロゼDOCワインのプロモーションが行われていた。



湖畔の長い散策道に並ぶカンティーナのスタンド。
よくよく見るとゼラニウムもナプキンの色も、ワインに合わせて一帯が全部ピンク色。樽も新しいから幾分、、、





ガルダ湖畔のバルドリーノBardolinoは目の前に広々と湖の景色が広がるリゾート地として知られる。トレントから車で約一時間、私たちがドライヴがてらよく足を延ばす場所のひとつ。

この時期位から夏の間中ほぼ毎週末いろんな催しがあって訪れる人々を飽きさせない、そしてそこに流れるゆったりした雰囲気が『休日を過ごしている』という気分にさせてくれる。

日中が長くなったこの頃。こんな風に外にいられる時間が多い季節は、気持ちも軽くなり目に入ものも一層綺麗に映って見えるのだ。

こぞってガルダ湖を訪れる北欧からの観光客はその後何度も通ってしまうらしい。
それはなぜって、一度この土地に来て、ここの空気を吸ってみると理解できるってもの。


それに、いかにも冷えてます、という感じのガラス瓶を見かけるとロゼはどうかなと関心をそそりつい立寄りしたくなる気持ち、わかるでしょう、、、?!


バルドリーノのインフォメーション:
http://www.comune.bardolino.vr.it/
http://www.stradadelbardolino.com/

2007年6月11日

サクランボの季節


こちらのサクラの木から成る果物は、サクランボという名前からイメージする可憐なフルーツでなく、少し勇ましい感じのする濃いワインカラーで、果肉も厚い味もしっかりしている種類。

近所の畑ではせっせとサクランボ採りに忙しい様子。それにしても一本のサクラの木にはかなりの数多いサクランボが成るので、成熟するこの頃はお花見さながら『サクランボ見物』でもできそうなほど。

季節の果物を本来のその時期に食べること、シンプルな選択で四季の彩りを楽しめるという贅沢が味わえる。

2007年6月7日

私事、、、伊丹十三のこと

(c)新潮社
何を隠そう、私はこの方のファンのひとり。

昔昔書いていたエッセイや、文庫本に描かれた挿絵がとても好きだった。その愉快さは、大笑いするというより、笑いがこみあげるのをこらえられなくてクククッと傍から見たらどうしたのといわれそうなリアクションをついしてしまう、そういう類のものだった。

どの文庫本にでていたのかはすっかり忘れてしまったが、オムレツの作り方を映像の細部を説明するように言葉にしていることがとても印象的で、そのとおりに作ってみると正にそのとおり(多分)になるということに、かなり満足したことを覚えている。

(c)新潮社

後に映画を撮ることになる伊丹十三が映画のなかの一シーンに、このオムレツが出てくるらしいことを最近知ったばかりだ。うろおぼえだが『タンポポ』なのではないかと思う。

なんとかして一度観てみたい映画。どうやらイタリア語版『Tampopo』があるらしい、是非見つけなければ。
もし知っている方がいらっしゃったらどうかご連絡を。

それからこんな本も出版されたそうだ。
この2冊の本のカバーを見ていると、そういえば動いている姿も素敵な方だったと、少し思い出してくる。

2007年6月4日

パリの石畳

和田俊著 朝日新聞社

<カバー紹介文から>
朝日新聞特派員として
パリ市サンビクトル街14番地に
居を定めた著者は、
さまざまな風に吹かれ、
さまざまな人に出会う
人々の心を魅了し続けしつづけたてきた
この街角から、
パリ、フランス、ヨーロッパ、
海のかなたの日本について語る
好エッセー49編

イタリアに住んでいる現在でもフランスという国は近くてなかなか遠い国。というのも近頃は旅行も車で移動というケースが多いので飛行機でわずかな距離のパリ行きなど、いつか行けると思いつついつも後回しになっている。

車で国境を超えてフランス国内へは数回訪れたことがあるが、同じヨーロッパの国でも景色が異なるように、文化や習慣もイタリアとは似通っているがやや違う国民性をもつ国というのが、ちょっと足を踏み入れた時の私の感想だ。

この文庫本はかなり(相当年数が経っている)前に読んで本だなの隅に誇りを被っていたものだが、近頃フランス語をかじっているから再読したくなったのだ。

カバーの紹介文の通り、著者は当時の朝日新聞特派員で文庫本になったのは1983年。EC加盟国が9ヶ国と記載されているから、時代の経過はあるものの、パリの街はもとより、ヨーロッパ生活の雰囲気を十分味わえる。たっぷり写真の入った近頃の旅行ガイドブックなんかよりはずっと想像をかりたてる。

当時に比べて今のパリはきっともっと早いリズムが生活のなかにある違いないが、フランスに対する日本人がもつ印象というのは、たとえわずかな期間であっても相変わらず、同じような驚き、感動があるのではないか。そしてこの好印象が発端でヨーロッパ文化に対する憧憬のようなものもどこかに生まれるに違いない。

このエッセイを好ましいと思うのは、見たものや感じたものを『憧憬』というフィルターを通しては描いていないところ。異文化にふりまわされずにそこに立ち止まって見渡して、目に入るものや体験することを大袈裟な装飾をせずに綴っているという感じを受けるからだ。

フランス語のコースはもう終了するが、やはりせっかくだから、ひととおり聞いたり話せるようになって近いうちにパリ行きを実現しなければ、などと期待を膨らませてくれた再読の一冊だった。

2007年6月1日

Festival Economia Trento



今年もトレント・エコノミー・フェスティヴァルが行われています。5月30日から6月3日まで。

今日はあいにくの雨模様ですが、週末は好天に恵まれますように。

各分野著名人たちによる討論を聴くためにわざわざ各地からたくさんの人々がトレントを訪れるはず、数日間の滞在中に晴天のもと、美しいトレント・チェントロを見ていただきたいではありませんか。

2007年5月28日

Cantine Aperte



5月最終日曜日は県内のいくつかの醸造所が一般訪問者にワインの試飲を提供した『Cantine Aperte』の一日。今年はトレンティーノ特産のひとつマルゼミーノワインの醸造を始めて歴史の長い、ロヴェレートのアディジェ側の西岸にあるCantina d'Isera(イゼラ葡萄醸造所)へ。



トレンティーノ産のマルゼミーノは辛口でさっぱり飲みやすいのが特徴である。
この醸造所の『907』はマルゼミーノ『Eccellente Marzemino』より味は個性的。ラグレイン、テロルデゴ、マルゼミーノ、レボ、カベルネ・フランク、カベルネ・スーヴィニオン、メルロの7種類の葡萄が混合されたワインだそうだ。



ワインの味もともかく、天井の高い総ガラス張りで自然光が入り明るいフロアとテラスからは一面の葡萄畑が望め、自然のなかでゆったりと過ごせる気分が味わえる。また、ちょうどこの日のイヴェントでジャズトリオのライヴが行われていて、ワインと音楽と新緑がほど良い調和をかもし出し、いずれも満足感を味わう。



樽で醸造させ手間隙かけたワインを味わい瞑想する趣きもあるが、日が長くなる今ごろの、夕方まだ明るいうちに軽いジャズ音楽を聴きながら、その時のシーンにあわせられる赤ワインを飲みながらチーズを軽くつまむっていうのもなかなかオツなもの。

このあたりにはイタリアの古くからの街らしい赤レンガの屋根の密集した村があるなどという、そんなことも新たに発見した日曜日でした。

2007年5月27日

Giro d'Italia

ジーロ・ディタリアの15日目、ドゥオモ広場11時出発の予定だったので、その後に走るブレンネロ通りまでちょっと様子を見に。

トレントからトレ・チーメ・ディ・ラヴェレード(Tre Cime di Lavaredo)まで通算184キロのコースで、パッソ・サンペレグリーノ(Passo San Pellegrino)、ギアウ(Giau)、コルティーナ・ダンぺッツォ(Cortina D'Ampezzo)、パッソ・トレ・クローチ(Passo Tre Croci)、ミズリーナ(Misurina)トレ・チーメ( le Tre Cime )という行程だそうだ。聞いただけで急坂やカーブが多そうな、苦戦しそうな山岳地帯を走るレース。

天気が良ければドロミティ山塊のトレ・チーメの景色は素晴らしいのです。しかし走る人々はどうなんでしょうか。

自転車で走ることといえばトレンティーノの人々に愛されているスポーツのひとつでもあり、地元トレント出身のジルベルト・シモーニもなんだかとても親近感のある人物のため、つい足を運びたくなったのでした。

ところが、自転車といえども相当なスピードがでるらしく、誘導の二輪を先頭に軍団が来るなと思いきや、あっという間に見えなくなり直後に一行の最後を見送ったという感じです。それにしても後方に自転車のグループ以上に長い列の交換用車輪を積んだ各チームのサポート車が続いていたのがとても印象的だった。個人競技であり、団体競技なのですね、これは。

2007年5月22日

トレント流BBQとおにぎり

日曜日、お天気は私たちの味方をしてくれた様子。
晴天に恵まれた一日『親睦野外バーベキュー』はどうやらそれぞれに楽しんで頂けた模様です。皆さん遠くまで足をのばして頂いてありがとう。

参加してくれた人達同志、友達の友達とか、その友達など知り合いの輪を広げてくれたらしいのは、この野外バーベキューの大きな目的のひとつで、これに成功したのは企画側も大満足。

それから朝早くから起きて遠くから蒔きと友人のパン屋特製グリッシーニ持参で参加してくれたご家族、ご家族からはお皿やコップ、紙ナプキン、なども提供していただきました。おにぎり作りに協力してくれた“おかーさん”とその家族の方たちの日本の遊びパフォーマンス、ケーキをさし入れてくれたグレッグのお母さん、もちろんYomoyamabanashiの台所担当のKさん(おにぎりとケーキ)、副会長の自称オルソC(!)は場所を確保するために早朝出向いてくれました。などなど、皆さんのご協力にとっても感謝しています。

それから忘れてはならないのは、当日大きく目立ちはしなかったものの、メニューはもちろんオーガナイズ全般についても見守ってくれアドバイス、下見、準備から買い物、計画から当日にいたるまでBBQの総監督グレッグには特にGrazie 1000。彼の援助なしにはとても実現できなかった企画です。

まず、こんな風に時々トレント近郊に住む日本人たちが集まって四方山話する、という機会を作れたらいいと思っている。そこに連れ合いや、友達のイタリア人を巻きこんだりするわけだ、自分のための楽しみに大切な人達を誘うというふうに。

そしてこれからのYomoyamabanashiの提案が、トレントに住むイタリア人と日本人の交流の接点になっていくことを願っている。

2007年5月16日

親睦野外バーベキュー

在トレント日本人とその家族を中心に、日本文化に興味を持つイタリア人(トレント人)たちを招待して親睦を目的とした野外BBQを計画中である。

年末の忘年昼食会以来、住んでる皆さんとなかなか顔を合わせてゆっくり四方山話も出来ない日が続いているということもあるし、ちょうど気候も、自然に恵まれたこの地方の春(初夏?)を満喫するには好都合、アウトドアを好むトレント人たちとそれに馴れ親しんでいる(せっかくだから馴れ親しんでほしい)トレントに住んでいる日本人たちとの親睦をはかるにはうってつけの口実ではないかと思っているわけだ。

BBQはイタリア語でいってみればグリリア-タgrigliata。今回は肉中心のトレント流グリリア-タに『ポレンタ』、そこに日本人にとって遠足にかかせない『おにぎり』を食べてもらおうという計画である。

そして『Yomoyamabanashi』会を発足したので、その紹介もできる良い機会とも思っている。もちろん在日本人の皆さんには既に口頭でお知らせ済み。

この親睦という意味を和伊辞典でひくと、まず『cameratismo』とでてくるらしいが、この言葉は戦時中ファシスト党員同志の呼び名に使われた『camerata』〈史〉という言葉から発しているという説明とのこと。そのカメラティズモの言葉はもちろん仲間意識という意味が第一で、ほかにも戦友愛なんてこともでてくる。

それからふと思ったのだが、やはりイタリアで生きていくというのは日本人にとってある意味で戦いのようなものに近い、だから“戦うための仲間意識”というのもまんざらないわけじゃないかな、と。

ま、本当はイタリア人と日本人が一緒になって大きな杓子でポレンタを四苦八苦しながら混ぜたり肉を焼いたり、ワイワイしながら親睦をはかり、そして一緒に食べる、それぞれが楽しめる一日というのが趣旨だ。

あとは天気にかかっております。どうか皆さん日ごろの行いを良くしてほしい。と、こんな時は日本人特有の神頼みをする。

2007年5月10日

続・フランス語

昨日は小人数だったので、始めてエドの隣の席になる。彼はクラスの中でも優秀なひとり。しかし飛び抜けて上達しているのは理由があった。

彼は人出不足という分野の医師で、週数日はトレント以外にも出張するという、早朝から夜遅くまで予定のある忙しい生活をしていて、そのためいつも彼の睡眠不足が話題に上るくらいだが、にもかかわらず山ほどでる宿題は忘れずにやってくる。それからなんと、彼も新しく出てくる単語を自分で作った単語帳に書きこんで意識して憶えるようにしているらしい、つまり努力している。

イタリア人の彼も努力しているから上達しているということは、私が努力もせずにできないと愚痴るのはずるいかな、と反省した次第。

毎回授業のあとフランソワ先生とバスを待つ5分くらい話をする。宿題をやるのは良いことよ、書き取りは大事だからちゃんとやりなさい、授業中全員スペルチェックする時間がないから提出しなさい、と。必然的に予習と復習はやらせるわけだ。

そして私の大きな問題は『聴くこと』。しかも発音を意識したものであり、それを毎日15分でもフランス語を繰り返し聞くこと、練習問題をたくさん解くことで随分上達するだろう、と自分でも想像できる。

ただ毎日15分でもフランス語を意識することが出来ないっていうのは『怠け』ているからで、日々の努力を怠っていながら、日本人には難しいというのは私の甘えでしたね。

2007年5月7日

Elisa エリーザ

彼女はまだ若いのに歌手歴10年だそうだ。

イタリア生活のライヴ版のような映画だという感想をもった『Manuale d’Amore 2-capitoli successivi』のEppure sentire がとっても印象に残ったので、ラジオから流れるたびに映画のことも思い出されて記憶に新しい。

そこへきて、MTVで彼女の特集をやっていたものだから、ビデオクリップと曲にまつわるエピソード、英語でされたインタヴューでの個人について話している彼女を観る機会があった。なんだかスゴイ歌手なんだ、というのが感想。かなりエネルギッシュで向上心に満ちあふれ、同時にアルバムとして出来あがるまでの葛藤など、自分の仕事に対する真剣さがうかがえた紹介番組だった。

これに刺激されて珍しくCDを購入しました。
エリーザの10年間のベストヒットアルバム、タイトルは『Soundtrack 96-06』。


1. Stay
2. Gli ostacoli del cuore (feat. Luciano Ligabue)
3. Broken
4. Swan
5. Labyrinth
6. Together
7. Gift
8. Almeno tu nell'universo
9. Heaven Out of Hell
10. Dancing
11. Una poesia anche per te
12. A Feast for Me
13. Sleeping in Your Hand (Mark Saunders Remix)
14. Luce (Tramonti a Nord Est)
15. Rainbow (Bedroom Rockers Remix)
16. Eppure sentire (Un senso di te)
17. Qualcosa che non c'è


私の場合は、同じ音楽でも詞の内容を聴いてしまうものと、聞き流してしまうものとがあり、イタリア語で歌った彼女の曲は前者、耳をすましてしまうことがよくあったのだ。それも誰のものかも知らずに。どうやらそれほどに彼女の曲は強いメッセージがあるらしい。アルバムに収録されている曲全てどこかで聴いたことがあるいうことは一種の驚きである。

なかでも何年か前にやはりレンタルで見た『Ricordati di me』に流れる『Almeno tu nell'universo』は、つぶやくように始まる曲で映画の余韻とともに心に残るもの。(ちなみに映画もいろんなことを考えさせてくれる良いものです。)

彼女が精力的に参加しているアルバム作りには映像が大事な役割を果たしていて、視覚と聴覚との両方の方法で個人を表現することを試みているらしく、かなり面白いアーティストだと思う。

是非一度聴いてみて下さい。

2007年5月2日

Profumo- パフューム ある人殺しの話

1985年出版で世界各国語でも翻訳されベストセラーになったパトリック・ジュースキントの同名小説の映画化。

18世紀のフランス、パリに程近い貧しい小さな村に生まれたジャン・バッティスティ・グルヌイユは生後まもなく孤児になり売却される。5歳になるまで言葉が話せないでいたが、彼には特別な才能があった。それは、世の中に存在するありとあらゆるものに臭いを識別する鼻をもっていたことだ。

ある日、イタリア人の香水店のオーナーにその才能を認められ、弟子入りすることになり、香水のエッセンスの蒸留法を学びはじめる。ところが彼は女性の持つ独特な香りを調合し保存する拘り続け、研究と実験を重ねていくうちに殺人を犯していくことになる。

映画は18世紀のフランスの山村の光景や衣装、エッセンスとなりうるあらゆる存在物の色彩や香水店のボトルなど、映像が非常に美しい。一方残虐なリアルなシーンもかなりあって、目を反らしたくなる場面が度々あった。

ノンフィクションの物語に違いないが、18世紀頃のフランスはまだ狂喜が充満、混乱していて、様々な過ちを犯していても不思議がないだろうと想像してしまう。天才的な臭覚の持ち主がいても少しも変ではないだろうし、大衆を惑わすという香りが、大衆を動かす思想のように存在したということもありえないこともないだろうと、錯覚を起こしかねない映画である。