2021年4月20日

タタール人の砂漠 

ペルージャ時代のイタリア語学習の教科書にほんの一部が掲載されていたことでブッツァーティを知った。簡単な著者紹介文から興味を持っていた作家のひとりだったが、長いこと邦訳を読もうという気になれないでいた。彼の少し皮肉的ともユーモアともいえるフレーズは、イタリア語でも私にはやや飲み込みが難しい分野でもあったせいである。

近頃やっとイタリア人に慣れてきたのかもしれない。(今更言うかな?)「そのココロは?」という部分が少しづつ理解できるようになってきて、日本語になっていたところで、彼らの思考や言葉が想像ができるようになってきたらしい。


「タタール人の砂漠」は砂漠の要塞で、敵を待ちながら緊張と不安の一生を過ごす主人公ジョヴァンニ・ドローゴの話である。彼は少し生真面目で羽目もはずさないが、わずかに野心もある地味な軍人のひとりである。軍人という職業を選択した理由も、これといった目的があったわけでもなく始まり、大きな理由もなく留まる。


砂漠という環境で孤独で単調な生活の繰り返し、日々の積み重ねでしかない人生を送っている。それでも人生の中で幾つかの出会いや別れ、アクシデントや悔いなどがあり、喜びや楽しみに多くは恵まれない平凡なものである。


いつ攻めてくるかしれない敵軍を待ち、毎日緊張と不安を抱えて大半を過ごし、やがて既に力も気も衰えた老人になる。戦うべき時に戦う能力も体力もなく呆然とする。


ジョヴァンニ・ドローゴの人生そのもののように、物語も単調に語られていく。彼の人生とは同じでも似通っているわけでもないだろうが、限られた環境のなかでの先の見えない不安やあせり、誰にでも全く起こりえないとは言いきれず、思わず共感してしまう不思議な物語である。


2020年のロックダウン中、コロナ禍の単調で不自由な毎日とどこか共通するなと思いながら読了した一冊。書き溜め下書きが見つかりました(苦笑)


#dinobuzzati #buzzati #ブッツァーティ#読書感想文 #covid 


2020年4月22日

遠い太鼓 #村上春樹 

村上春樹、しばらく読んでいませんでした。(お恥ずかしながら)ブレーク??年後に在伊となり日本でのブームに乗り切ら(れ)なかった。イタリア語にも翻訳されているので友人たちからHaruki Murakami の評判は聞いていたにもかかわらず、ついに初期作品以降は読まずじまい。
20年ぶりくらいの再会、と言っていいものか、、、

このエッセイ本は、著者が1986年から3年間のギリシャ・イタリア滞在中の旅日記、大人になってからの海外移住体験を綴っている。私も実は”大人になってからの移住組”で、在伊にいたる自分自身と、かなり共感するところもあったわけで、なかなか面白く読めた村上春樹でした。

彼の翻訳が世界に受けた理由は勝手に、 ”原文が翻訳文しやすい文章だからではないか、つまり主語、述語、修飾語が完璧にあり、しかも表現の仕方もものの見方も、外国語を習得している人のやり方で、だからこそ翻訳文は内容が伝わりやすいのではないか” とずっと思っていた。

しかし今回はちょっと見方が変わったかも。それ以上に、もともと観察力が鋭敏でなければ書けない文章に違いなかったのだ。多くの人に受け入れられるというのは、当然幸運もあるけれど、そうでした、才能がなくっちゃね、今更ながら、お恥ずかしながら言うけど。

それはともかく、イタリア人やイタリアに対する観察、非常に的を得ている。若干付け加えると、例えばジョッガーがお洒落であること、一人では走っていない、にはニンマリしたが、実際スポーツジムに通っても、皆どうでもいい格好では現れない。これはスポーツに限らず、イタリア人はどんなイタリア人でもファッションセンスがいい。普通のおばさん、おじさん、子供でもなぜか。だからどこの国に行ってもイタリア人はすぐわかる、 「お洒落なのがイタリア人」。そして、 グループ行動するの好きらしい、「団結」してより強く固まる、いい方にも悪いほうにも作用する。

ローマ滞在においては、盗難を常に心配していることなどは、きっと30年後の今も同様だろうし、あるいは、最近のニュースを聞いているともっとひどいかも。

イタリア人が異常なくらい食に関して固執していること、イタリアという国が居住するところとしてはこりごりでも、何度か訪問したいと思う気持ちは100パーセント共感する。

追記:長いこと下書きに眠っていた感想文、ついでにアップします。感想文は書いている途中だったかも。何年か前にお友達が貸してくれてた一冊。だからと言って、それ以降小説に関しては初期の数冊しか読んでない。なぜかファンタジー映画という感じが受け入れられない理由のひとつ。またその後、翻訳された短編も見つかって再読したり、大昔のエッセイも何冊か読んでみたが、これほど観察していると思わせたものはなかった。
まあ、イタリア滞在はそうでなくても刺激が強いから、観察も鋭くなるはず、なんだけど。

2020年4月17日

#帰れない山 #Le otto montagne


帰れない山」 パオロ・コニェッティ著・関口英子訳

良本が好きそうな友人には思わず薦めた、昨年前半に読んだいち押しの一冊。
どうやら翻訳がよく、最初に日本語で読もうと思ったが、入手を待てずに言語版を購入した。そうしたらイタリア語がとても美しいのだった。私のイタリア語レベルで断言するのもおこがましいが。

まず主人公が山男たちであるということや、山岳地方の情景などは私にはとても近しいこともあるから、ほぼ共鳴できると錯覚することばかりだった。山を愛する北部の男たちは彼ら共通の顔つきなんかがありそうで、朴訥な話し方や地方独特のアクセントがあり、それゆえに親近感を持ちあったりする。

そして父と子、男友達の関係が実にいいのだ。それぞれが心情を表に出すことに慎重であり、そのことにより間違えたりすることもたたあるが、ただそれぞれの方法で人生を進めていく。個人的に、こういうちょっと内向的で難しい人たちに興味を持つ傾向がある。

母親は自然で押し付けがましくなく、無理のない女性で、息子と母親のほどほどの距離を保つことにうまく成功している。女友達は、彼女よりもう少し反社会的でモダンであったりする、というような彼らの身近な女性たちも実に思いあたるふしがある。

帰省して、ようやく読んだ日本語版も美しい日本語で翻訳されていてこちらも好ましかった。在伊の身からすると、イタリア語の方が、話し方やアクセントまで想像できてしまうところがあり、もっともっと親しみを持てるというメリットはあったかもしれない。

#帰れない山 #パオロコニェッティ #読書 #leottomontagne



2019年8月13日

#楽園のカンヴァス

私にはやや珍しい部門「ミステリー」なのだが、「楽園のカンヴァス」(原田マハ著)はなかなか興味深く、面白かった。ニューヨークの#MOMA、#大原美術館も実際に行ったことのある場所、#ルソーの絵も何枚か観ているということから、一層親しみが持てたのかも。



それでふと思い出したのだが、最初にルソーの絵を鑑賞したのは、#諏訪湖湖畔にある#ハーモ美術館だった。一休みするにはちょうどいい、景色の良い小ぶりの美術館で、私的には「#花」がもっとも惹かれる作品だったことを記憶している。

梅雨期のバカンス中に読んだ一冊である。


2019年2月4日

Creedence Clearwater Revival - I Heard It Through The Grapevine

シンプルで演奏しやすそうだけど、この哀愁はなかなか出せない。


(思い出したように更新するのを反省)
バンドのレパートリーの一曲。聴くといい感じなんだけれど、実際歌うと、いつも不満が残るんだなぁ、、、難しい〜

2017年11月7日

洋画覚書 「SILENCE」  沈黙 サイレンス


マーティン・スコセッシ監督が28年前に読んだ遠藤周作の小説を、長い年月かけてようやく映像化したという。
17世紀の日本におけるキリシタン弾圧、渦中のポルトガル人司教を通じて信仰と信仰の意義を描く。とても考えさせる映画です。

欧州先進国は、欧州文化は人類にとって最良と考え、彼らの視点を主張する姿勢は現在でも同様だと思う、良しにつけ悪しきにつけ、、、。現代に事情対照してみれば、相手の事情や背景は、あまり考慮に入ってないのじゃないかなぁと思うことも多々あり、当時の日本側がある時期、西洋の信仰を拒絶した理由もわからないわけでもない。

映画を観てから原作を読みたくなったので、早速文庫本を注文。かなり原作に忠実に作られている映画だったというのが、早読み読後の感想。
映画は「井上筑後守」役のイッセイ尾形が原作から抜け出してきたようにリアル。「キチジロー」は原作よりもっともっとずる賢く、とても西洋人ぽいのだっだ。ユダと交差してるからこんな風なのかも。

ところで、17世紀の日本はこれほど貧しかったのか、とは夫のひとこと。苦しい暮らしから逃れ、天国に行きたいという理由で信仰を貫いたくらいに、ひどく貧しかったらしい。改に信仰を持つとはさまざまな理由によるのだ。

2017年7月17日

夏便り、嵐の後の、、、

今年は春先にちょいと体調をくずしたのを長引かせてしまって、5、6月は遠出ができずにいたが、不調ながらもイベント参加に気をまぎらせ慌ただしく過ごしていた。


天候のほうも、私の体調と同様なかなか安定しなかった様子、7月になりようやく夏らしい暑い日が続くようになる。といっても、日中の暑い日が数日、夜には雨雲が発達して夕立が降る。なんだか気候の性質も変わってきているみたいだ。

久しぶりの暑さが我慢できずに7月初旬に海へ出かけた。
35度を超える真夏日(とこちらでもいうのだろうか)で、久しぶりに存分に 日差しを満喫、夜はぐったり疲れて早めに就寝。

ところが夜中の一時頃轟音で目を覚ます。雷も遠くに聞こえる。まあ、その風の音の大きさといったら、初めて聞くくらい大きな音で、まさしく「轟く」といった感じ。周りに遮るものがないからだろう。まもなく雨、しかもあっという間に強い降りになったようだ。天気予報アプリによると、ちょうどその時間が豪雨のピーク、朝にかけて雨量が少なくなるはずだった。予報を確認しながら(というのも妙だったが)、この轟音と強い雨音をしばらくの間聞いていたが、そのうちにうとうと寝てしまったらしく、強い朝日で目が覚めた。つまりあまり心配することはなかったというわけ。

翌朝は海辺のバールまで砂浜を歩き、カプチーノとブリオッシュの軽い朝食をとる。毎度海の朝はのんびりしたものである。砂浜はすでに整備され、昨夜の強風豪雨の跡形もない。快晴、海は波もなく人もまだまばらな朝の時間だから、まさに静かな光景なのだ。

県の規定なのだろうか、毎早朝に大型トラクターがやってきて砂浜を整備、ビーチチェアはパラソルの脇に見事に整然と並べられ、テーブルの砂ほこりもビーチ監視員によって一掃される。昨晩何事もなかったような朝の海岸風景にすっかり戻っているのだった。


イタリアのビーチは、それがイタリア風と言われるほど、かなりきっちり縦横並んでいる。”きっちりしてる”というのがとても意外なのだが、イタリア人って整理(整備)整頓が上手いのだ、実は、と感心してしまうことのひとつである。

”嵐”の翌日は晴天、気温もかなり上がり、短い週末でも長いバカンスをしてきたくらいの日焼け、久しぶりの遠出でリラックスできたのも言うまでもない。


2016年9月19日

帰国便覚書 #羽田発着 #バスタ新宿




毎回帰国のたびに新しくなる「東京」(どちらかというと「TOKYO, JAPAN」という感覚なんだけれど。)、その変化の著しさに驚くばかりである。(大抵は便利に変わっていく)時に東京は素通りの場合も毎度様子が変わっていて、毎度迷うばかり。
今回のポジティブな考察は、新宿バスターミナルの開設によって、新宿から羽田空港への移動がかなりシンプルで便利になったこと。

近年は羽田空港を利用という選択もあるが、長いこと成田空港発着で渡航してきたので、ともかく不慣れであるという先入観がある。小さくともトロリーをずるずる引きずって都内で電車を乗り換えるのは何だか気がひける、とか、リムジンバスというのもラッシュアワーならどうしようとか、駅構内の人混みに圧倒されないだろうとか、云々。

さて帰路は新宿から空港間は乗り換えなしのリムジンバスを利用する。 前回は新宿駅に着いてから、地下やらショッピングモールをうろうろして漸くバス乗り場までたどり着いた記憶があるので、今回はこのうろうろを避けるために、エスカレーターで移動できる出口「南口」へ直行。まあそこまで行けばなんとかなるさ、なんて結構楽観的に外へ出ると、なんと目の前にバスターミナルの案内がある。「バスタ新宿」というのだそうです。

なぜ今までなかったのだろうと不思議なくらいだが、中遠距離バス発着所が一箇所にまとまったらしく、行き先別の乗車案内(空港のバスターミナル並みです)、乗車場所、切符売り場、待合室などがあるべくしてある。なんといってもJR駅に隣接、場所が見つけやすいのはかなりありがたかった。切符購入してから間もなく空港行きバスに乗車。

ラッシュ時間にもかかわらず程なく空港へ到着。ちなみにリムジンバスは第二ターミナル、第一ターミナルを経て最後に国際線ターミナルへ到着。

台風が来るかもしれないと周りからも、(本人も)懸念されていたから、かなり余裕を持って空港へ。まあ雨の心配はなし、空港でも欠航の心配で困惑している様子もなし。
おかげで空港の土産物屋をゆっくり散策し、これからの長旅を思いながら、まずコーヒー一服。

宅配で送っておいたしてスーツケースをピックアップしてチェックイン。予めオンラインで済ませておいたので、預託荷物を預けるのみ。ここまでは皆にこやかで親切だなぁ、なんて日本流サービスを満喫。

出国前、空港ビルのレストランや、最後のお土産物を探すにあたっては、コンパクトに一箇所にまとまっているから、成田空港に比べてずっと充実している印象を受ける。(あくまでも個人的見解)ただし早すぎる出国は退屈かもしれないので、あしからず。

フランクフルト乗継は、前回同様スムーズ。到着後、乗継便案内が日本語で表示されているので、電光掲示板で探しにくい場合でも乗継ゲート、つまりどちら方面に進むべきががわかりやすい。ただし空港は広い、ということをお忘れなく。そして入国と手荷物検査はシビアである。(御尤も)

フライトについて追記。
今回はヴェネチアを夕方発ちミュンヘン経由羽田空港、帰国便も羽田発深夜便という長距離線は全日空とルフトハンザ航空の共同運行便フライトを利用、ドイツからヴェネチア間はルフトハンザ航空を利用。
初めて深夜便を利用したが、なかなか理にかなった時間帯である、これが。
つまり、今まで利用していた欧州行き午前出発便では、およそ12時間の飛行時間が日中ということもあって、食事とビデオ鑑賞などでくつろぐ程度、機内でうまく睡眠できないこともあったが、深夜出発の場合、食事後ちょうどいい具合に睡魔が襲い、到着した頃起床するというふうに、自然に現地時間にシフトするのだ。
出発後、軽食サンドイッチが出て就寝、起床時間に合わせてたっぷりの朝食、というように、現地到着して1日目が始まるというような。
尚、帰国便のドイツ発時も深夜で到着が日本時間の午後。長い1日を終えて疲労のため就寝、となり到着日から日本時間に合っていった。疲れが少ないのである。

確かにエコノミーの寝心地は十分良いとも言えないが、比較的広めのシート。(相変わらずエコノミークラスで旅行している身分である。苦笑)最初はぐずぐずしているが、時間が時間だけに必ず”寝てしまう”のではないか、と思う。

というわけで、次回から帰国便を選択する上で、羽田発着便も考慮に入れようと思った次第である。何はともあれ無事到着。

相変わらず帰省中はお騒がせしました。お世話になった方々、忙しい中いろいろありがとう。


2016年3月23日

映画「ハーフェズ ペルシャの詩(うた)」 (07 イラン・日) 予告編 




21日「ペルシャの正月」参加してきました。 BOOKIQUE 於

ハーフェズはイランの14世紀詩人。夥しい数の叙情詩は時代を超えて語り継がれ、現在でも聖なる存在として人々の生活に深く根づいているそうだ。

ちょうど終了したばかりの朗読会の課題で、「ペルシャ正月」の夜(SocioCinema とIl Gioco degli Specchi との共同企画イベント)ハーフェズの詩を読むことになりました。
ペルシャ正月には、家族親族などが詩集を読み合い叙情を分かち合うという習慣があるそうで、本来ならば、まず気持ちを整えてから詩集を開け、その時に開いたページを詩集を読むというところを、イベントため若干簡略、ペルシャ語を彼らが読み、イタリア語対訳を朗読するというもの。

ところが彼の叙情時というのが結構難解。翻訳だからか、文化の違いからなのか。私の場合は更に、ペルシャ語からイタリア語、イタリア語から日本語という3過程もあることで。

察した講師が特別に、短いけれど美しい一文を読むことで了承してくれました。正月にもっとも重要なのは、好きな詩を詠み味わうとことよ、とはイラン人知人。
載せておきます。

Ero Perso 
Ero perso con lo sguardo verso il mare
ero perso con lo sguardo nell'orizzonte   
tutto e  tutto appariva come  uguale ; 
poi ho scoperto una rosa in un angolo  di  mondo,
ho scoperto i suoi colori e la sua disperazione   
di essere imprigionata fra  le  spine   
non l'ho colta ma l'ho protetta con  le mie mani,   
non l'ho colta ma con lei ho condiviso il profumo e le spine, tutte quante.

詩人のことを調べている時に、「ハーフェズ、ペルシャの詩」というイランと日本との共作映画を発見。偶然にもこの詩人のことを扱っています。そのうち観る機会もあるかも。

原語朗読は詩というより歌に近いリズム。イラン人知人曰く、形にしにくい細かな感情?を詠み味わうというようなところが、日本文化と通ずるところがあるとか。ちなみに映画を撮っている彼女、小津安二郎の世界がとてもよく心に染みるそうだ。

「ハーフェズ」と「イタリア語での朗読」はまさに新春にふさわしい、私にとっては新しい出会い、しかも生ギター(おそらく民族楽器だった)をバックに朗読!!とても良い気分に浸らせてもらえた夕べだった。
帰路に輝く月が輝いて見えたのは偶然とも思えない、、、








2016年3月2日

お雛様

とても愛らしいので我が家でも飾ります。


和紙で丁寧に作られてて、ミニミニでも凛々しいい御姿。



何年か前に研究留学されてたTさんからお土産で頂いたお雛様。
今頃いつも彼女を思い出します、お元気かしら、、、?

2016年2月28日

The Revenant  レヴェナント:蘇りし者



観てきました。(オスカーで賑わっているけど、いいかしら)
話題のディカプリオ主演、”過酷”サバイバル映画。
あまりに過酷、残酷で思わず 何度も「ギャッ」(こういう音が相応しいのでは?)と。

ヒュー・グラス(デカプリオ)は幸運にも命をとりとめたけれど、熊に襲われるシーンがある。後席のシニョーラは、”熊を殺さないで!”と悠長につぶやいていたが、実際母熊はかなり体も大きく凶暴だった。そういえば、近年トレンティーノの山で熊に襲われる事件が続発。動物愛護協会もトレント人一体になって、他の問題をさておき”熊を守ろう”という傾向になったっけ。野生熊は凶暴で危険である。アニメに登場するような愛らしい熊さんが殺されるのを見て可哀想、というのは違うのじゃないかな?

何より最も残酷残虐なのは人間側。そして生き抜くという強い信念も持ち合わせているらしい。現代社会では”虫も殺さない”のが常識のようだけれど、それ以外の「欲」よりもっと究極にあるもの「生存」に対する執着がより強い。強いことによって生き抜いていくのだ。もっとも、何事もそうだけど、明確な目的がある方が達成しやすい。
でも「生きる」のは運にも大いに関係があると思う。

また「自然」は人間には支配することも出来ない、もっと違う世界のもので、時にどんな武器も役立たないと思わせるようなこともある。攻めるのは無理、守るのみって意味です。

ディカプリオのパフォーマンスが見もの、とどこかの批評で読んだが。確かにその通り。この俳優、なぜか出演する映画どれも狂人じみているところがあるが、今回もそうだった。個人的にどうしても好きになれない俳優なんだけど。(ファンの皆さまごめんなさい)

気の弱い人にはお勧めできません。
でも、自然の映像が素晴らしい、これは特筆しておきます。


2016年1月21日

Sopravvissuto - The martian オデッセイ

かなり興味深く鑑賞したので覚書。




ストーリーは《ウィキペディア》より
オデッセイ』(原題: The Martian)は、2015年アメリカ合衆国SF映画である。アンディ・ウィアーの小説『火星の人英語版』(2011年出版)を原作としている。監督はリドリー・スコット、主演はマット・デイモンが務める。火星に一人置き去りにされた宇宙飛行士の生存をかけた孤独な奮闘と、彼を救いだそうとする周囲の努力を描く。
サイエンス・ファンタジー映画、STAR WARS に続いて今年2作観ましたが、断然こちらが面白い。もちろん個人の好み。


2015年9月29日

羊は迷わない、、、

「迷える子羊」と比喩されるが、決して羊は迷わないのではないかと思う瞬間がある。


迷うというより、迷わずに後をついていく様子のことが多いのではないか。
しかも体の傾き方まで他と同様、というのがいかにも人に似通っていて、なんとも不思議な動物群だなと、いつも眺めてしまう団体である。

2015年8月26日

プーリア土産カチョカヴァッロ

長い休暇を終えたバンド仲間が戻っきて、ぼちぼち秋口からの練習計画についての連絡が回り始まる。再起動は結構「やろう!」って気持ちが必要なのだ。
お土産のプーリア産カチョカヴァッロをいただきながら、異常に暑かった今年の夏を懐かしんでいる次第。始まる前は十分長いと思っていたが、そろそろおしまいかなと感じ始めてからはあっという間に涼しくなってきたのは、やはりちょっと寂しい。



このチーズ、北イタリアではあまり見かけないこと、また大きな塊で売っているせいか、実はなぜか買ったことがなく、食初体験。北部と違うコクの味わいです。

《走り書きイタリア語》(Wikipediaより)
カチョカヴァッロ(伊語: Caciocavallo )は、イタリアチーズの種類のひとつ。「カチョ」はチーズ、「カヴァッロ」は馬の意(熟成させる際に袋に詰めたもの二つを紐で繋ぎ、横棒などに振り分けてぶら下げた様子が、馬の鞍の左右に袋をぶら下げて運ぶのに似ていたため)。

2015年8月24日

La gabbia dorata - La Jaula de Oro

「LA GABBIA DORATA」原題-LA JAULA DE ORO (2013年スペイン・メキシコ共作)



ベネズエラ出身の主人公3人の少年(少女)が夢を求めて、ひたすら歩き、通る汽車に飛び乗り、わずかな幸運により、北へ北へ向かい、アメリカを目指すストーリー。

イタリアでは(だけでなく)、ほぼ毎日到着するアフリカ大陸からの難民船、移民・難民の受け入れ問題は緊急課題になっている。
南米が舞台であっても、おおよそ絡む問題はさほど遠くないに違いないと思いながら、淡々と少年たちを追う単調とも感ずる映画ではあったが、最後まで目が離せなかった。

「移民希望の」人々を”良く”もであるが、悪くも利用する組織が必ずあるだろうということを、もっと深刻に考える(想像する)べきではないだろうか。








2015年8月18日

夏の終わり イゼーオ湖より

フェッラゴーストを待っていたかのように、涼しくなったこの頃。
友人宅訪問の帰り、イタリア第6番目に広いというイゼーオ湖を通過。湖の真ん中に大きな島があるというのが珍しいのだとか。


夕暮れ前に"もうひと練習"しているシニョーリ若干2名。夏の間も漕いでいたこともうかがえる背中の日焼け、なかなかスポーティではありませんか。

2015年7月13日

Magdalene - Trailer  マグダレンの祈り




2002年ヴェネチア国際映画際の金獅子賞受賞作。

1996年までアイルランドに実在していたマグダレン洗濯所として知られる施設を舞台にした物語。アイルランドにおける厳格なカトリック戒律にもとずく道徳観で、主に婚外交渉した女性などを収容、更生を目的に洗濯作業をさせていた施設であったそうである。

ほんの半世紀で社会の価値観がこれほど変わることに、再び少し驚いている。

様々な夥しい過去の例があったからこそ、現在の言論や行動の解放があるわけで、相当な自由を獲得している現在において、どこに善悪の境界を定めるべきなのか、更に周囲は何を求めて「自由・平等」と大声で叫んでいるのか、疑問に思うことしきりなのである。

広大な海と同様、リミットを定めなければ、どこからが危険でどこまで安全なのかを知るのさえ困難になるのに、と懸念するこの頃。おっと、これは近頃のイタリア事情(寛大主義?)における批判(苦情)でした。




2015年7月1日

早朝散策

早朝とも言えない日もありますが、目覚めてすぐにスポーツウエアに着替え、外出する、ということを暫く試している。



朝の空気が心地よく、雑多な考え事で滞っている頭の中や心のもやもやも少しすっきり、この気分が1日続くというわけ。
一夏試してみるつもりでいます、そのまま習慣になれば尚有難いと願いつつ。